城田憲子さんの『たかがジャンプ されどジャンプ』を読んだ。

彼女が2011-2012シーズンの夏に沖縄合宿を企画して、羽生さんの『ロミオ+ジュリエット』のブラッシュアップをナタリア・ベスティミアノワ、イゴール・ボブリン夫妻に依頼したということがわかったのは収穫だった。この「特訓」がどこでどのように成されたものだったのか、ずっと知りたいと思っていたので。

 

ただ、読み終わって、後味が良くないというか、何と言うか残念な思いがした。

日本のフィギュアスケート選手のオリンピック金メダル獲得のために、どれだけ彼女が心身を賭して頑張ってこられたのかはよくわかったつもりだ。荒川さんの金メダル獲得後にスケート連盟を追われたり、それでも戻ってきて、羽生さんのクリケット行きに尽力したり羽生さんの平昌まではANAのスポーツ部の監督として支えてくれた。

 

ただ、彼女の選手たちへの対し方が、私は好きではないと思うのだ。

詳しいことはわからないし、この本と彼女の前書『金メダルへの挑戦』から感じただけだけだが、彼女は選手たちを「駒」として考えていると感じる。自分の壮大な目的を達成させるための駒。

「みどりに金メダルを獲らせる」を始めとして使役助動詞がものすごく多用されている。

「荒川に金メダルを獲らせる」

「本田を帰国させる」「違うコーチにつかせる」

「羽生をそこに参加させる」

「羽生を進化させる」

「団体戦ではショートを希望して絶対に譲るなと伝えた」などなど。

 

10代の選手に対して、一々意見を聞いて合意を得てなんてまどろっこしいことが出来るか、ということなのかもしれないけど、ブライアンやトレイシーが選手に対してこういう居丈高な対応をしているとは思えない。それでも選手は伸びていく。自分の采配に全て従わせることが、選手の成長に直結するのだろうかと疑問を感じた。

 

もう一つ残念なことは、記述の間違いがあること。

他の選手のことに関しては私の頭に全くデータが入っていないので、気づいたのは羽生さんに関連する部分からだけだが。


p.175、ソチオリンピックのフリーのところで、

「パトリックが11年の世界選手権で記録した当時の世界最高得点187.96点を超えないまでも、それに迫る演技をすれば」

とあるが、当時の世界最高得点は、パトリックが13年のエリック・ボンパール杯で記録した196.75点である。

 

また、p.186 で、宇野昌磨選手の説明として

「羽生が欠場した2017年の世界選手権で銀メダルに輝き、平昌五輪の直後に開催された同大会でも二年連続の2位」

とありますが、間違いです。ここは、

羽生が優勝した2017年の世界選手権で銀メダルに輝き、平昌五輪の直後に開催され、羽生が欠場した同大会でも二年連続の2位」

とすべきである。

 

また、データの間違いではないが、p.173の

「羽生のストロングポイントはショートプログラムにある」という記述。

理由として現在のショートプログラム世界最高得点111.82点を持っているからと。

ちょっと解せない気がして、羽生さんが出場した2010-2011シーズンから昨年末の全日本までの62試合のうち、ショート、フリーそれぞれで、1位を獲った試合を数えてみたところ、ショートが35試合、フリーが31試合、Totalでは31試合で一位を獲っていることがわかった。

どちらも十分強いと言うべきではないか。というか、勝率5割ってすごい。

 

 

羽生さんの部分だけでも間違いがいくつかあるので、他の部分にもあるのかもしれない。

 

一番残念だったのは、羽生さんに、応援の「黄色い声援」がよく似合い、会場の声援を自分のエネルギーに昇華させることができることの理由として、「羽生は、強い自己愛の持ち主」と分析していることである。p.179

これには、大いに異議がある。

羽生さんの近くでANAの監督として仕事をしていたのに、彼女には羽生さんの人柄は理解出来なかったのだなと思った。

一介のアマチュアフィギュアスケーターが、ナルシストでもなければ、膨大な数のファンの応援、愛を受け止められる訳がない、と思ったのだと思う。

 

実は私もそう思ったことがある。2015年NHK杯で羽生選手に気づいたころである。

これだけの応援を、びくつかず、エネルギーに変えられるというのは、一体どういう人物なのか。答の1つの可能性としてナルシストというのは考えられた。

私は私なりに、過去に遡ってできる限りのネット上の記事、ブログ、雑誌・書籍などを調べた。目的があってというより、単純に羽生さんの魅力に取り付かれて調べずにはおられなかったというのが正しいが。

そして、彼は自己をのみ愛しているのでは無い。彼は本当にファンを、そしてファンで無い人も愛しているのだと今は結論している。

もちろん、羽生さんは「羽生結弦」という存在を大切に育てている。でもそれは「自己愛」とは違うものだと思う。

彼の生き方の根底には、いつも感謝がある。

ティーンエージャーの頃から普通に親に感謝していた。これはとても希有なことだと思う。

どんなに親によくしてもらっても、当たり前に思い、自分の思いどおりに行かないと不満をぶつけるのが普通のティーンエージャーだと思う。

そして、コーチに、振付師に、音楽を作ってくれる人に、研磨師に、製氷する人に、会場・組織を運営する人に、メディアに、ファンに、地元に、神社に感謝する。あなたたちがいるから僕は存在できるし、活躍できる、という想いを常に持って表明し続けている。多分、私たちが嫌悪するジャッジにすら感謝している。2021国別でイタリアのジャッジ、トイゴとのショットを見たが、いささかも嫌そうな顔をしていなかった。

https://hapiyuzu.com/archives/13500

 

当初は、羽生さんのこの表明を私はかなり疑わしく思って見ていた。良い子ぶりっこは、続かないよと思っていた。ファンの応援を「本当は重いんだけど、でも感謝しなくちゃ」と思っているのではないかと疑った。

いつからだろう、わかりました、まいりました、本物なんだね、あなたは正直にいつも自分自身をさらけ出しているんですね、と思うようになった。

メディアの前に出るときだけ、試合の時だけ、いい人ぶるだけなら、すぐぼろが出る。心にないことを言っていたら、いつか整合性がとれなくなる、

でも、彼の言葉をメディアが伝えるようになってからもう15年以上? 成長はしてるけど、まったくぶれがない、一貫性がある。

 

羽生さんが多くの人の愛情を受け入れ、それをエネルギーに変えられるようになったのは、多分震災のせいなのだろう。あれ以来、彼は変わったのだと思う。

そこが、城田さん、わからないの? と私は残念に、少し悲しく思った。

 

残念に思ったことの最後は、彼女が羽生さんの演技を、音楽性や、トータルパッケージで評価していないこと。彼女にとっては、何が何でもスケートはジャンプなのだろう。

羽生さんの演技を観て、彼がフィギュアスケートに注いでいる愛を感じないのだろうか。トレイシーも、ブライアンも、羽生さんがフィギュアスケートの発展に貢献しているといい、マッシミリアーノさんは、羽生さんがあるべきフィギュアスケートの形を伝えようとしている、と感謝している。

城田さんにとって、羽生さんはそういう存在ではないようだ。

二回、日本に金メダルをもたらしてくれたら、もう十分、結構よ、という存在のようだ。

 

ジャンプの得意なネイサンを褒めちぎり、羽生さんが彼に勝つには北京で4回転アクセルをフリーで二回入れなければならないと言う。

そんなことはない。1回で十分だと思う。

羽生さんの演技を正しく採点してくれれば、羽生さんは優勝します。

 

羽生さんが北京オリンピックで、羽生さんの思い描く演技が出来ますように。

 

 

追記

p.43

「仙台で、都築コーチに小学2年から高校一年まで指導を受けた羽生はその後、12年の世界選手権で3位を獲得するまで、同じ仙台の出身である阿部奈々美コーチの指導をうけていました」

とあるが、

「仙台で、都築コーチに小学2年から小学4年まで指導を受けた羽生は、小学6年から

12年の世界選手権で3位を獲得するまで、同じ仙台の出身である阿部奈々美コーチの指導をうけていました」

とするべきではないか。

都築章一郎氏自身が語っているように、彼が仙台を離れてからも横浜で羽生さんが高校一年になるまで週末に指導しておられたのは本当かもしれません。でも常に側にいて、プログラムを作り指導して、世界中の試合に帯同したのは阿部奈々美先生です。

 

 

追記2

p.59

伊藤みどりさんは、カウンター・ターンからトリプルアクセルを跳ぶと書いてあります。私は、カウンター・ターンからのトリプルアクセルは羽生さんの専売特許だと思っていたのでびっくりしました。1989年世界選手権のアクセルジャンプがカウンター・ターンからの素晴らしいものだったと書いてあったので、1989年世界選手権の映像を何度も見たのですが、私の動態視力では(0.25倍速にしても)わかりませんでした。もしかしたら、カウンター・ターンに対する私の理解が間違っているのかもしれません。もし、どなたか、明解に説明して下さるととても有り難いなと思っています。