今日は、映画「真幸くあらば」について。


「カーネーション」のヒロインが決まった直後に、

彼女が主演していたということで話題になった映画です。


お話は、金欲しさにある家に忍び込んだ男が、そこで密会(?)していた

男女を殺してしまい、逮捕・投獄・死刑判決が出る。

おそらくは国選弁護人である人から、ある女性を紹介され、

身の回りの面倒をみる といわれる。この女性は、殺された男性の

婚約者だったという設定。これがオノマチ。

その女性との「純愛」がテーマらしい。


結論から言うと、映画としてはあまり評価できない気がします。

個人的にはね。映画に詳しくはないけれど、一視聴者として

そう感じます。

時代設定がわからない、なぜ「クリスチャン」で「聖書」が

必要なのかもわからない。一歩も二歩も間をおいた会話の中で

なぜ犯人の男はこの女性に惹かれていくのかわからない。

こういったポイントの、間を埋める感情の動きとか、

そういったものを表現できていない気がするのです。


初めて観てから一週間、最後の最後になんとなく気づいたことは、

主演の男性が下手だったんだと思ったこと。

気づくのが遅すぎたかも。

あ、時代設定がわからないのも大きかったです。


この作品には原作があって、1998年発表。

作者の小嵐九八郎は大学時代に左翼運動にかかわり、

投獄経験がある。

もし時代設定がこの頃というなら、何か、映画のつくりの

感覚が古臭い印象もあります。これは脚本に問題ありかな。



また、恋愛の形はいろいろあるとは思うけれど、

んー。。。

主演の男性 久保田将至 が「純愛」を語るには、ちょっと

気持ちの悪い目つきをしていたこと。(変な印象だな。。。)

どこかのレビューに「久保田がイイ男すぎ」とあったけれど、

私にはどうしてもそう思えなくて。


ファンの欲目ではないと信じつつ、オノマチのスタンスは

的確だったと思うのです。

婚約者を殺された女性、その婚約者はそのときに別の女性と

関係を持っていた。その男を殺してくれて、事実を公に

してくれたのが犯人の男。

その男をどういうふうに見つめ、どういうふうに距離が

縮まっていくか、それはゆっくりゆっくりと表現していたと

思えるから。


男のほうは、面会を繰り返すオノマチに、ある日「あなたが

好きだ」と告白をするのだけど、それまでの表現が途中

抜けていて、いきなり「好きです」、「実は俺は童貞です」と

告白する。はっきりいって私なら気味悪くて離れますね。

もう少し男性側の心理面を緻密に描いて欲しかったかな。


という点で、映画としては評価できません。


最後に、この男は死刑が執行されます。

おそらくは同時間帯に、オノマチは電車の遮断機のところで

待っている間に、白日夢のようなものを見ます。

前を向くと犯人の男が見える。

彼を愛している彼女は、満面の笑みで彼のところへ

駆け寄ろうとして、画面が終わります。



おそらくは、題名の「真幸くあらば」のもとの、

万葉集、有間皇子の歌に沿ったものなのでしょう。

(女性は電車に飛び込んで死んだ、と。)


「磐代の浜松が枝を引き結び 真幸くあらば またかえり見む」


下の句にあるとおりの最期、だったという終わり方。

これも評価が分かれるところのようですが。

私としては、オノマチの満面の笑みで帳消しかな。




オノマチは、映画向きかな。と思いました。

ドラマもいいんですけどね。

特に今のカーネーションなんか最高ですから。

今日、「真幸くあらば」を返して、次のを借りてきました。

「トロッコ」。

これについては、また機会があれば後日^^