第1 ヨハネ 3章18節
「子供たちよ。私たちは、ことばや口先だけで
愛することをせず、行ないと真実をもって愛そう
ではありませんか。」
つい何年か前のことだったと思います。
一人のアメリカ人が宣教師として国外に
遣わされる事になった時、当然の事ながら
一杯色んな事を勉強したそうです。
知的な学びは勿論の事、その国の生活習慣も、
生きるという事に直結する事として丹念に
心の目を向けたと云います。
そしてフトした時に、全然知らないドイツの教会の
夫人達が、そのアメリカ人宣教師の生活を
具体的に、実際的に支えてくれた事を知りました。
その時、彼女はドイツへ行って自分を支えて
くれた婦人方に会い、お礼を云いたいと願い、
ドイツ教会の婦人達に会ったそうです。
そこで宣教師である彼女が見たものは、
宣教師を支える為に働いてガサガサに荒れた
ドイツ教会婦人方の手と、
支えられた側の自分のなめらかな手。
彼女は新しくチャレンジを受けたということを
聞いた事がある。
日本では、アジアの人々と連携してというか、
3月の第一金曜日に宣教を支えるアジアの
婦人達の集まりがあるんですね。
毎年3月の第一金曜日に回り持ちの教会で
それぞれが共通な言葉で・・
今年はどこの言葉だったでしょうか?
じゅんぐりに、日本語であり、東洋の人の・・
インドの言葉であったりとか、フィリピンの言葉
であったり、あるときは中国の言葉であったと
いう記憶もあるのですが。
そうやって本当に祈りで支えていくという、
集まりの中にも、そういう集まりがあったと
思い出したのですけれども。
本当に口先だけではなくって、みんな口先だけで
いいとは思ってはいないのでしょうけれども、
一日延ばしになってしまっているということが
あるんじゃないかなという風に思う。
今言ったそんなすごい大きなことでなくても
やっぱり心にかかっている人に一言声をかける
事であったとしても、それは具体的な愛の現れ
でしょうし。
実際的に何かを助けることが出来たら
それはそれで、小さなことであったとしても
本当に言葉や口だけでなく行動を通して
するという事ですね。
日本人はわりに思っていても、なんかちょっと
出すぎちゃうんじゃないかと思って、
相手のことを思いすぎる面があって
行動がなかなか現れていないという事がある
ことも多いなとも思うのですけれどもね。
アブラハムが行動によって神様に義と認められた
とあるので、それが聖書の中に残されていると
いう事は私たちにとって必要なことなんだろうな
と改めて思わされながらいました。
こういう言葉は良く言われていますが、
「ことばや口先だけで愛することをせず行ないと
真実をもって愛そうではありませんか。」
そういう風にありたいという風に願っています。
神様ありがとうございます。
あなたは行動をもってわたしたちを愛して
くださいました。私達も置かれたところで
行動をもって愛するという行為が出来るように
助けてください 。
聞き手・文責:フェイス佐々木
