一度壊れた心は元には戻らない。





何度も修復したつもりで傷を塞いできたけれど、何かをきっかけに、完璧に塞がった傷痕がいとも簡単にぱっくり開くことはよくある。





今、ライタリアンレイエクステンションの伝授を受けているのですが、エネルギー作用が強くて強くて、また完全に開いてしまいました。





このタイミングで開くってことは、開いた方が良い何か意味があるんだろうけど、何でだろう?





よくよく考えてみると、「治す」という言葉があるから「治るんだ」って思っちゃう。





でも、壊れた事実は無かったことにはならないし、その痛みを忘れたふりは出来るけど、思い出そうと思えばありありと思い出せる。何故なら、その現実は今ここに同時に存在しているから。





(スピリチュアル的な変化が進んでいくと時間の概念を飛び越えるので、今ここに同時な感覚は、確実に増します。)





だから、治るってことはないんだ!!!





イスが壊れたとか、スマホの画面が割れたとか、物質を直すのとは違うんだよな、と、やっと気が付きました。





よく考えたら肉体次元の骨折だって、骨を継ぐことは出来るけど、そこは他の折れていない骨より折れやすいわけだし。完全に元通りはあり得るわけないんだ。





私の心は壊れた。何度も何度も壊れた。

そして、今も壊れている。





治したつもりでいただけで、壊れた事実は変わらないんだ。





ここまできてやっと気が付いた!!!





「私が治った現実を見たくて、勝手にそう見ていただけだよ。」と、私のハイヤーセルフが呟きました。





実際にフラッシュバックは無くなり、涙も出なくなったし、笑顔で話せるようにもなったし、そんなこと考えることも無くなった!恨みつらみの感情もゼロ、むしろ感謝!





でも、それと治ったのとは別のことだ。





その事実を悟って、びっくりして、吹雪の中をぐんぐん走って、雪にダイブして、植え込みに突っ込んで、飛び込んで、ぐるぐる回って、無茶苦茶に叫びました。





「死にたいー!!!!!私はずっと死にたい!!!

消えたい!!!!ボロボロだー!!!!!」





雪まみれで道に倒れて、車に轢かれてもいいやって、大の字で空を見上げて、雪が自分に積もるのを見ていたら、





アセンディッドマスターのレディ・ナダが囁きました。





「死にたくて良いんだよ。死と生は一つだから。

死ぬ気になって、初めて生きられるんだよ。」





確かに…!





「esterは壊れた心の治し方を学んできたのではなくて、壊れた心との付き合い方を学んできたのよ。全ては黄金率。壊れた方が良かったのよ。」





確かに…!





「あなた、今迄死ぬ覚悟した時に奇跡を起こしてきたでしょ?(前世もふくめて)」





確かに…!!!





壊れた=悪いこと=治さなきゃ=治るものだ





というジャッジメントが私の中にまだ残っていることに気が付きました。





この話は、今からヒーリングを始めようとしている人にはキツいかもしれません。治らないならやる意味ないじゃん!って思われると思います。





かつての私もそう思ったと思います。





でも、esterは癒しの先にある進化を伝える存在。

雪の中突っ込んで雪だるまになって叫んだヤバいやつ。





でも、歴史上、固定概念を壊してきたのはいつだってヤバいやつだったはず!





もう恐れず、取り繕わず、ぶっ壊れた私で生きていこうと思います。





「もうちょっと生きて、壊れた先を見ようよ。

どうせ一瞬の瞬きなんだから。」