私の父は元小学校長。病気で休んだことなく定年退職を迎えその後は教育相談室で働いていた。発達の遅れが見られる子の就学相談などをしていた。現在80歳を超えているのでもう15年くらい前。私が幼い時は担任している教え子が家に来たこともあったし、今で言うクレーマー(というか反社関係の保護者)からありえない嫌がらせを受けたことも。

研修員として海外に行ったり、私が生まれる前は過疎地区での勤務、特別支援学級でも働いていた父。

なので小学校の先生という仕事を、時代は違えど私も大体理解している。なので、できるだけ学校に協力し、一緒に楽しんで行きたいと思っている。

一方で、公立小の先生という仕事は公務員。給与はいくら頑張っても頑張らなくても変わらない。だったらテキトーにその日をやり過ごし、学活などは全てタブレット任せの自習にしてもいいじゃんという昨年の担任のような人も出てくるのも致し方ない。

会社員のように個別に評価されたり出世したり(管理職への昇進は試験があるので評価だけではないし希望制)もない。ボーナスに如実に仕事ぶりが反映されるわけでもない。

 じゃ、今年の先生のような方はなんのためにここまで細やかに気を配り児童のために日々働いてくれているのか。

お金のためだけではないことは明らか。

子供が好き、教えることが好き、学校が好き、そして教師という仕事が好きなのだろう。

こんな先生が1人でも増えるためにはどうしたらいいのか、教員不足が問題となり、働き方改革をしたり、大学生のうちからサポートとして現場実習させたり、色々と試行しているけれど、何がいいのかな。

未来を担う子供を心も身体も元気でかつ楽しく通える学校を作ってくれる、そんな先生が増えるといいし、そのためのお金ならどんどん使って欲しいと思う。

高い給与=いい人材 ではないけれど、いい人材→高い給与 は必要じゃないかなと。

反対にやる気のない人材→減給 も必要。


こんなことすると余計成り手がいなくなるのかな。

今の担任の先生を見ていると同じ給与なのに(差はあれど一般企業のようにはない)ここまでしてくれちゃうのね、と申し訳なくなってしまう。


小さいことだけど、1人ずつの顔写真をクラスの木の絵に貼ったり、お誕生日には誕生日カードを用意して誕生日係の子に渡してコメントを書いてくれたり、綺麗なノートはコピーして貼ったり、◯◯マスターというミニ賞状をくれたり、メダカを教室で飼育し、先生は休みのたびに家に持ち帰るらしい。

昨年、学年便り従って青虫を持って行ったのに、見もせず持ってきた人が世話してね〜と言い放った昨年の男(もう教師とも思っていない笑い泣き)にこの違いを学ばせたい。


何が言いたいかというと、個人差が大きすぎる担任の力量や熱量。その差により成長するか停滞どころか病む児童もいるということ、お偉いどなたな、分かってくれないかな。