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聖書を読んで示されたことを記しています。礼拝でしたメッセージや聖書の学びの内容も載せています。

聖書箇所 創世記50:15-21 ローマの信徒への手紙12:17-21

 

 本日の箇所のヨセフという人は、アブラハムのひ孫です。神様はヨセフを通して実現される良い計画を持っておられました。アブラハムの孫ヤコブ(のちにイスラエルと改名される)の世代の時、世界的な7年間の豊作と7年間の飢饉が起る前に、カナンの地(現代のパレスチナ地方)でヤコブの家族が飢え死にすることなく、豊かなエジプトで養われるように、先にヤコブの12人の息子の一人ヨセフをエジプトへ送られたことが記されています。神様の計画は、アブラハムの子孫から大きな国民を起こし、祝福し、長い年月をかけて約束の地に住むように導かれました。そこの至るまでに、まずイスラエルの家族はエジプトのゴシェンという場所に移住して400年の間に、大きな民族となりヘブライ人と呼ばれていました。そしてヨセフを知らないエジプトの王の世代にイスラエルの民が奴隷とされて、苦しんで叫びをあげたとき、そこから脱出させ、荒野の40年間で、神様の律法をモーセを通して与え、神の選ばれた民として訓練してから、約束の地カナンの地へと移住に導かれました。つまり、ヨセフのエジプト行きは、飢饉に備えて最初の7年の豊作時に大量の穀物を備蓄するというヨセフの提案により、イスラエルの家族だけでなく、エジプト人及び周辺諸国の人々を飢饉から救ったのです。そのことをヨセフは「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。 」(20節)と言っています。

 しかし、エジプトに先に遣わされたヨセフは困難な時を忍耐しなければなりませんでした。ヤコブは妻とそばめ計4人との間に12人息子が生まれましたが、ヨセフはそのうちの最愛の妻の子供であったため、ヤコブはヨセフをかわいがりました。そのため、上の10人の異母兄達は彼を非常に妬み、憎むようになりました。妬みという思いは殺人やすべての犯罪の根であり、どんな小さな妬みの根を持たないよう注意しなければなりません。人と自分を比較せず、今自分が神様より与えられている状態に満足し感謝できれば、妬む必要はなくなります。

 兄たちはヨセフを殺そうとしましたが、長男ルベンがそれを阻止しようとしましたが、他の兄たちにヨセフはミディアン人の隊商に奴隷として売られ、父ヤコブには獣に殺されたと偽りました。当時、17歳のヨセフは、突然の兄たちにひどい仕打ちに、どんなに心が傷付き、トラウマとなったことでしょう。奴隷としての生活をエジプトで送り、また冤罪で監獄生活も送らねばなりませんでした。しかし、その監獄生活の中で出会った王の献杓官の見た夢を、神様の力により解き明かし、その通りになったところ、エジプトの王の見た夢(7年の豊作と7年の飢饉の予告)を解き明かすことにつながり、遂には王に抜擢されてエジプトで第2の権力を持つ者になりました。彼がそこに至るまで様々な困難を忍耐できたのは、「主がヨセフと共におられた」(創世記39:2、21)からと記されており、また兄弟たちの悪の行為の背後にある神の御手(摂理)を信じていたからでしょう。そして、過去のヨセフに対してした悪への仕返しを恐れる兄達に、ヨセフは「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、…今日のようにしてくださったのです。 」(20節)と言えるようになれたのです。ヨセフは兄たちを赦していたのです。

 ヨセフは彼の権力を使って兄たちに復讐する、つまり悪に対して悪で返すことができましたが、それをしませんでした。まず、兄たちが悪を悔いているか、また父と、同じ母から生まれた末の弟ベニヤミンを大切にしているかを確かめるため、ヨセフの前に現れた兄たちに自分のことを明らかにしないで、兄たちを試したのだと思われます。もし、それをしないで、すぐに穀物を与えていたら、兄たちとは真の和解はできなかったかもしれません。ヨセフは、たとえ兄たちが悔いてなくとも、兄たちをすでに赦していたかもしれません。なぜなら、かれが最初の息子を授かった時 マナセとなづけました。神が彼の父の家でのことをすべて忘れさせてくれたからとあります(創世記41:51)。忘れるという機能は、心にとって非常に大切です。もし辛かったこと、苦い思い、憎しみをいつまでも覚えていると、自分のこころが蝕まれます。神様は、そういう思いを忘れされて下さり、代わりに神様の今ある恵み、将来の希望に感謝できるよう、私たちの心を時間はかかるかもしれませんが変えて下さるかたです。ヨセフのストーリーは、神様の人間の思いや行動を超えたところで、包括的に働かれる神様の摂理を表しているでしょう。

 私たちの悪に対して善を行い続けられたのは、神様ご自身であります。私たち人間が、人類史上犯してきた悪さえも、神様は善に変えて、歴史の中でキリスト教が堕落した悪い時代があっても、神様のご計画を実現させようとされてきました。十字架で神の御子を殺すという最大の悪の業をも、私たちの救いの手段として御子イエス様の命を犠牲にして、キリストを復活させ、わたし達を救うという善に変えてくださったことは、大きな憐れみと恵みです。私たちが神の子供として、神の民として迎え入れようと、神様は数千年かけて、準備し、御子イエス・キリストをこの世に送ってくださいました。神様に敵対していた私たちを、御子イエス・キリストの十字架の死によって、神様と和解させてくださったとローマ5:8-11に記されています。

 善をもって悪に勝つことに関して、使徒パウロはローマの信徒への手紙12:18-21でこう記しています。

「できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」

と記しているのは、彼自身が、宣教において多くの迫害、妨害、投獄、死の危険を味わい、彼はユダヤ人や異邦人と武力で決して戦わず、別の街へ逃げ、また、迫害する者の為にも救いを祈ってきました。パウロはイエス様が言われた敵を愛し迫害する者為に祈れということばを実践してきたのです。彼にとってこれらは結局は、福音が前進するためだと獄中書簡でもしるしているように、彼におこった悪を神が善にかえてくださったことを経験して、ローマの信徒への手紙8:28にしるされているように

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」

と記すことができたのでしょう。

 私たちは、このような大きな神様の赦しを頂き、神の子供として逆に恵みと祝福を与えて頂いているのですから、辛いこと、苦しいこと悲しいことがあっても、神がいつか万事を益と、善に変えてくださることを信じて、ヨセフのように時が来るまで忍耐し、誰に対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけ、すべての人と平和に暮らせるよう(ローマ12:17-18)願っていきましょう。聖霊が神の御心にかなうように私たちの祈りさえも代わりにとりなしてくださるとローマ8:26-27に記されているので、聖霊の助けを得て互いに祈っていきましょう。(引用 新共同訳聖書)