イサクは父アブラハムの信仰を継承するべく、父と同様な様々な試練を通ることになります。例えば、飢饉が起こった時。アブラハムはエジプトへ逃れ、そこで妻サラを妹だと偽って、エジプトの王とひと悶着おこしました。イサクの時代にも飢饉がおこり、主はエジプトへ行くなとイサクへ言われたので、ペリシテ人の地、アビメレク王のもとへ身を寄せたことがこの章に記されています。そしてアブラハムの時と同じ失敗:妻を妹と偽れるをしてしまいますが、この時も神様が介入されて、妻リベカがペリシテ人の誰かにめとられる前に、アビメレク王に彼らが夫婦だということを知らされたのでした。
神様はそんな失敗にも関わらず、イサクを守り、そしてその地で祝福されたので飢饉のさなか、わずかな種を蒔くと100倍の収穫を得ました。このように人が祝福されて、裕福になると妬む者がペリシテ人の中に現れ、イサクがほった井戸をふさいでしまうという、酷いことを何度もしました。しかし、彼はそれで彼らと争わず、ふさがれた井戸をまた掘り、彼らが「この水はわれわれのものだ」とイサクの羊飼いと争うと、イサクはそこから移り他の井戸をほるという(20節)、忍耐と柔和な心がこの試練によって培われていたようです。
こうしてイサクは、元の場所ベエル・シェバに戻り、そこで主のために祭壇を築いて、主を礼拝しました。これはイサクの神様への信仰の応答の姿です。
このような平和的、非暴力的な態度をイサクはペリシテ人たちに取り続け、神様に彼が祝福されている様子を見たので、ペリシテ人の王の方からイサクに、契約を結ぶことを提案されました。アビメレク王は軍隊を持ち、ある程度の国を持っていたのにも関わらず、イサクにような寄留者と平和条約を結ぶということは、当時まれなことではないかと思いますが、イサクが神様に従い、自分で争わず神様に委ねた時、神様がイサクを守り、祝福し、相手の心をも動かしてくださった一例と言えます。私たちも悪に対して悪で返さず、善を持って返すということ(ローマの信徒への手紙12:21)は、神様への信仰をもって可能となると信じて、全ての人と平和を持てればと願います。