好評を頂いておりますビーチサッカー変遷記。
エスタジは強くありませんが、
これまで九州大会は11回連続出場。

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そして、
これは評価して欲しいのですが(笑)、
グループ予選敗退が、
11回のうちに、
わずか3回。

なんと、
8回も決勝リーグに残っていることになります。


そして、
これはがっかりして欲しいのですが(笑)、
その中で、
全国大会へ行ったのは、
わずかに、
1回、、。



全国大会では無名、
九州では有名、
ということです(笑)

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(昔のブログに貼ってある画像を見つけたので、
分かりづらいですが、いまでは九州フットサルの有名審判、杉町ケン兄、左上。
僕の左の、
華奢な青年は、
まさかの、、ごっちん。痩せすぎ(笑))





さて、
ビーチサッカーのスタートは、
民間大会が主導でしたので、
最初の2、3年は、
各地域のチャンピオンを沖縄へ無料招待。




ソーマプライアの発足は、
もちろんこのビーチの創成期からです。




ソーマプライア、ペレ(現レオン)を中心にこのスポーツは回り始めました。





翌年も同じような感じの豪華さで大会は開催されました。


やはり、

ソーマ、ペレの、

2大巨頭でしたね(^^)

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(とりあえず、拾ったので、、(笑)
みんな若い!(笑))






関東や北海道からも来てたと思いますが、
ほとんどが観光ついでで、
真剣にビーチサッカーに取り組んでたチームはなかったと思います。


エスタジは2年連続優勝で沖縄へ招待をされました。




この年はPK戦で、
敗北したかな?






そんな感じで、
エスタジも2年連続の全国大会出場をして、
少しだけ知名度もアップ。

ただ、沖縄へ行くのは記念旅行がメインでしたので、
優勝しようとかほとんど思うことはありません。


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(これは金武町ビーチに参加してた頃。
ビッグマンからスポンサーとして、
Tシャツなどを頂きました(^^))






翌年、
3回目の沖縄を目指したのですが、
そこで気絶するような事態が、、





それは、
ペレの長崎県大会出場!!( ;∀;)




この当時は、
どこの地域の大会に出ても全く問題がなく、

福岡(福津?)での大会を優勝したペレは、

みんなで沖縄旅行をする!

という感覚で(笑)、

長崎県大会に参戦です。





いまでもはっきり覚えているのですが、

ペレのヨシさんにフェイクの動きで

まんまと騙され(笑)、

コーナーから決められたことを覚えております。


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(一番最初にヨシさんと対戦した時、
宇宙から来た人と思うくらいレベル高かった、、

3-5で決勝敗北、、。



ペレに対して、
憎しみを思い切りぶつけたかったのですが、
それも叶わず(笑)、

沖縄が断たれました、、。




しかし!


8月の末くらいには、

佐賀県大会があり、

そこには、

ギリギリエントリー可能!

ということを知り、
そこにすかさずエントリー!!(笑)



この頃にはじめて、

ファンカリズム(現在ランブレッタの太陽や小林大介、シモたちがいましたね(^^))

のことも知りました。


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(現ランブレッタ小林代表の若かりし頃。)




トオルやこーへー、
リキタ、カズマのいた、
スコーピオンともこの佐賀県大会で顔を合わせるのが、
恒例になりはじめたとこです。





ファンカリズムはオシャレな若手集団(多分、当時は10代か20代なりたてくらい?)

現RDのトオルやカズマがいる、
スコーピオンはテクニックが半端じゃなかったです。




トオルもリキタも日本代表候補でしたね(^^)






佐賀県大会は、
全国大会へのラストの会場でしたので、
各県で敗れた強豪チームが、
たくさん参加しました(笑)





熊本のプレデター
というチームとエスタジは名勝負を繰り返しました。

いつも準決勝で対戦してましたね。




いまでは珍しくありませんが、

昇華プリントで色鮮やかなユニフォームを作っていたことも忘れられません。

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(スポジック並に派手でした(^^))






ちなみにエスタジは長崎県は、
ペレ(レオン)の登場で負けたので、
この佐賀県大会に全力を尽くし、
優勝(^^)






前田ショウタの、
残り5秒での、
オーバーヘッド決勝弾は、
いまだに伝説です。

九州では、
エスタジも強かったなぁ、、(笑)





この頃には、
ゴッチンやタケ、テル、も加わり、

サッカー、ビーチサッカー、フットサルを毎週試合が入り、

4月にシーズンが開幕して、
12月まで、だだの一度も、
日曜日に休みがありませんでした。

伝説イヤーです。


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(ショウイミも修平も細いなぁ(笑))




独身ならではとはいえ、
みんな良く僕に付き合ってくれましたねぇ、、。

ありがとう(笑)




そして、
その自由奔放なビーチサッカーにも、
日本サッカー協会のメスが入り(笑)、
様々なことが規制されはじめました。






他県の大会に出れなくなったり、
イエローカードをもらったら、
【2分間、穴に入る】
という冗談のようなペナルティーがなくなったり、
ユニフォームの規定がJFAと同じようになったり、、。


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(おかげでエスタジのノースリーブは、
わずか1シーズンでお蔵入りとなりました(笑))





こうして、
時代は、
移り変わっていき、

ビーチサッカーのルールが固まっていきました。



この頃から、
日本中でチームが立ち上がっていったと思います。



存在を知ったのは、

レキオス(現東京レキオス)
エスペランサ熊本、
関西は、
ドーサル、アヴァンチ大阪、、




この頃はまだ、
関東で有名なチームも、
ドルソーレさえも、
産声を上げてなかった時代です。





JFAが主体となり、
ビーチサッカーは、
より本格化していきました。





次回は、
その辺を、、。

それでは(^^)