元プロ野球選手で、
現九州文化学園野球部監督、
古賀豪紀。
いかにして彼はプロ野球選手になったか?
勇気を貰う物語part3
今回は小学生から中学生時代をお届けします☆
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“プロ野球選手になる。
プロになって活躍して、
お母さんを迎えにいく。”
小学校三年生の古賀は、
幼い心にそう誓った。
夢はあったが、
野球が出来ない。
理由はもちろん、
経済的な理由。
野球は、
ユニフォームにスパイク、
グローブに、
バット。
日本で一番人気のあるスポーツとはいえ、
はじめる為にまとまったお金が必要だった。
しかし、
はじめる前にお金がない。
古賀は野球をはじめる事が出来ない。
来る日も来る日も、
拾ったバットで素振りを続ける他なかった。
1日2000回。
自分に課した素振りの回数だった。
夕方になり、
自宅にいても特段する事がない古賀にとって、
素振りという単純な作業は、
何よりも楽しい時間だった。
対戦相手は当時のエース。
今でいう、
ダルビッシュや、
斉藤佑樹と対戦するイメージを持ち、
素振りを続けた。
雨の日以外は、
毎日続けた。
素振りに明け暮れた小学校生活。
野球の技術を学ぶこともなく、
小学校生活に幕を降ろす。
舞台はいよいよ中学校に移る。
ここで、
古賀の素振りの成果が報われ、
一年生から四番でサード、、
とは、
ならない。
古賀が選んだ部活は、、
バレーボール。
野球部ではなく、
バレー部。
理由は、
やはり、
経済的な事情。
野球部の道具を一式揃えられない古賀は、
体操服と体育館シューズで活動できる、
バレーボール部に入部する。
グランドで野球をする同級生達を横目で見ながら、
古賀はグランドではなく、
体育館での練習に励む。
バレーボールも楽しかったし、
結果も残した。
古賀が通う花園中学校バレー部は、
市内の強豪校として有名になった。
バレー選手として活躍する古賀だったが、
なんと、
バレー部の練習後に、
2000回の素振りを続けた。
しかも、
3年間休みなく。。
そして、
中学校3年間のバレー生活を終え、
高校への進路を考える時期となる。
ある日、
バレー部顧問の先生が、
「西海学園から特待生の誘いが来たぞ!」
と息を弾ませ古賀に伝えた。
しかし、
古賀は、
「先生、すみません。
僕は高校に進学したら、
“野球”がしたいです。」
と伝えた。
「せっかくの誘いに何を言ってるんだ?
特待生になると全てにおいて優遇されるんだぞ」
と顧問の先生は伝えた。
が、
ここで古賀は驚くべき言葉を発する。
「先生。僕は特待生で行きたいです。
しかし、
僕は野球をやりたいです。
“野球部員”として、
“特待生”で行かせて下さい。」
バレー経験しかない学生が、
野球選手として特待生扱い。
絶対にあり得ない要求を古賀は堂々とした。
それから数日後。
バレー部顧問から呼び出された古賀は、
思いもよらない知らせを聞く事になる。
「西海学園の野球部が、
お前の特待生をOKしてくれたぞ。」
自分が要求した話だったが、
古賀自身も信じられない返事となった。
バレー部員が、
野球選手として、
特待生入部。
4月になり、
無事に、
西海学園野球部に入部した古賀。
遂に、
夢の一歩が始まった。
遂に憧れ続けた、
野球部に入団。
ために、
ためた古賀の野球人生が、
始まる。
次回、
高校野球部編☆