SASEBO市議会議員・山下こうだいとエスタジ佐世保の -日々の挑戦--2011022013490000.jpg

元プロ野球選手で、

現九州文化学園野球部監督、
古賀豪紀。




いかにして彼はプロ野球選手になったか?




勇気を貰う物語part3



今回は小学生から中学生時代をお届けします☆






→→→



“プロ野球選手になる。

プロになって活躍して、

お母さんを迎えにいく。”





小学校三年生の古賀は、


幼い心にそう誓った。






夢はあったが、


野球が出来ない。





理由はもちろん、


経済的な理由。





野球は、


ユニフォームにスパイク、

グローブに、



バット。




日本で一番人気のあるスポーツとはいえ、


はじめる為にまとまったお金が必要だった。






しかし、


はじめる前にお金がない。




古賀は野球をはじめる事が出来ない。




来る日も来る日も、


拾ったバットで素振りを続ける他なかった。






1日2000回。



自分に課した素振りの回数だった。






夕方になり、


自宅にいても特段する事がない古賀にとって、



素振りという単純な作業は、

何よりも楽しい時間だった。







対戦相手は当時のエース。



今でいう、

ダルビッシュや、

斉藤佑樹と対戦するイメージを持ち、


素振りを続けた。





雨の日以外は、

毎日続けた。





素振りに明け暮れた小学校生活。






野球の技術を学ぶこともなく、

小学校生活に幕を降ろす。




舞台はいよいよ中学校に移る。







ここで、


古賀の素振りの成果が報われ、


一年生から四番でサード、、




とは、





ならない。






古賀が選んだ部活は、、





バレーボール。






野球部ではなく、



バレー部。






理由は、



やはり、


経済的な事情。







野球部の道具を一式揃えられない古賀は、



体操服と体育館シューズで活動できる、



バレーボール部に入部する。







グランドで野球をする同級生達を横目で見ながら、


古賀はグランドではなく、


体育館での練習に励む。





バレーボールも楽しかったし、


結果も残した。






古賀が通う花園中学校バレー部は、

市内の強豪校として有名になった。





バレー選手として活躍する古賀だったが、




なんと、


バレー部の練習後に、



2000回の素振りを続けた。





しかも、


3年間休みなく。。






そして、



中学校3年間のバレー生活を終え、



高校への進路を考える時期となる。







ある日、



バレー部顧問の先生が、


「西海学園から特待生の誘いが来たぞ!」

と息を弾ませ古賀に伝えた。






しかし、

古賀は、


「先生、すみません。

僕は高校に進学したら、

“野球”がしたいです。」
と伝えた。





「せっかくの誘いに何を言ってるんだ?

特待生になると全てにおいて優遇されるんだぞ」

と顧問の先生は伝えた。







が、



ここで古賀は驚くべき言葉を発する。


「先生。僕は特待生で行きたいです。

しかし、
僕は野球をやりたいです。

“野球部員”として、

“特待生”で行かせて下さい。」





バレー経験しかない学生が、

野球選手として特待生扱い。





絶対にあり得ない要求を古賀は堂々とした。







それから数日後。




バレー部顧問から呼び出された古賀は、

思いもよらない知らせを聞く事になる。






「西海学園の野球部が、

お前の特待生をOKしてくれたぞ。」






自分が要求した話だったが、
古賀自身も信じられない返事となった。





バレー部員が、




野球選手として、





特待生入部。





4月になり、


無事に、


西海学園野球部に入部した古賀。






遂に、



夢の一歩が始まった。






遂に憧れ続けた、


野球部に入団。








ために、


ためた古賀の野球人生が、


始まる。






次回、



高校野球部編☆