お約束した読後感想で~す(え、覚えてない?💦)

 

Notre-Dame de Paris

by Victor Hugo

translatede and edited by John Sturrock

 

 

仏語で読まなきゃ意味がないとの意見もあったが読めないものは仕方がない。Penguin Classics の英訳でご勘弁を願った。

 

昔は『ノートルダムの背むし男』というタイトルだったのにいつの間にか『ノートルダム・ド・パリ』になっていて何故かなとずっと気になっていた。背むしという表現が差別語として引っかかったのかもと想像していたのだが、訳者の前書きで経緯が分かった。当初英国で "The Hunchack of Notre-Dame" というタイトルが付けられていたのだ。恐らく邦題はこれに右へなれいした結果だろう。しかしこのタイトルは明らかによろしくない。小説の主役はあくまでもノートルダム大聖堂(とそれが代表する1482年時のパリ)なのだ。そこのいち住人にスポットライトを当ててしまっては焦点がずれる。増してやその住人がこの世のものならぬ不気味な容貌の持ち主なのだから、それこそ怪奇小説かとの誤解さえ招きかねない。というかそういうイメージ、あるよねえ。幼い頃に垣間見た映画のイメージと相俟って、私もそういう印象をどうしてもぬぐい切れずにいた。今回読了して漸くそのイメージから解放された感じ。

子供の頃から心にかかっていて、いつか読まなければと思いつつ読みそびれていた作品だ。まあ軽く読めるような本でもないしね。それをふとした弾みで読み切ることが出来た。感謝の気持ちで一杯だ。達成感が半端ない。

 

長くて退屈、なんて評が結構あり覚悟して読み始めたんだけど何のなんの、とても面白かった。パリの建物の一つ一つを微に入り細を穿って延々と述べている箇所は確かにかなり忍耐が必要だったが、それとても作品を構成するに抜かし難い一要素と理解できた。

物語は作者の時代からさかのぼること400年の1482年に始まる。この年にした理由はそれが作者が愛してやまない建築美術の堕落が始まる前夜だからだろう。この時代まで建築物は人々が自分らの文明を半永久化する唯一の手段だった。ミュージカルの冒頭で吟遊詩人グランゴワールが「石と硝子で文字を書く」と歌い、ノルデバックがその如く文字を書く仕草をしている。建築が芸術の絶対的中心を占め、絵画も音楽も文学もそれに従属していた。ところが1440年にその均衡を打ち破る一大事件が起きた。ドイツの発明家グーテンベルクが印刷機を発明したのだ。人類は建築よりもっと早くもっと確実に文化を永久保存出来る方法を手に入れた。印刷機により拡散力と保存能力を得た文学が建築学に取って代わる。それ以降建築美術は数ある諸芸術のひとつに過ぎなくなり往年の輝きを失った。作者は助祭司フロロの口を借りて"This will kill that!" と慨嘆せしめる。なんか今に通ずる話だと思った。現在はAIが文学を殺しつつある時代という気がする。同時に先日久しぶりにストックホルムに帰ってショックだったことがある。醜いプレハブ住宅がそこら中に建設されていて、私が知っている世界でも指折りの美しい都が見る影もなくなっていたのだ。200年前のユーゴーの予言が最終的に完結しつつあると感じた。何が言いたいかというと、偉大な文学には普遍性があるということ。作者の息衝きを間近に感じた。

 

ストーリーに関して言うと、想像していた以上にあのミュージカルは原作を踏襲していた。小説のあらすじを知りたい向きは、Youtubeでも観られるんでミュージカルをざっと鑑賞されることをお勧めする。正直原作がこれほど人間関係を掘り下げた作品とは思っていなくて、もっと淡々とした内容を想像していた。

ラ・エスメラルダと呼ばれる美しいジプシーの娘を中心に様々な人間の人生が交錯し運命の糸にからめとられて思いもかけぬ結末へと流されていく。エスメラルダは並外れた美しい容姿の持ち主だが、内面は16歳のごく普通の女の子。純粋で優しい一面もあるが、年齢相応の自己中さや愚かさも持ち合わせている。決して聖女などではない。副祭司フロロ、背むしの鐘つき人カジモドそしてエスメラルダの想い人であるイケメン兵士フェビュスといった男たちが彼女をめぐり愛憎のドラマを繰り広げる。エスメラルダも含め登場人物はすべて善悪の混合体で、同情すべき面とそうでない面を持ち合わせている。カジモドに命を救われ守られる立場になっても、エスメラルダは彼の醜い姿を正視出来ず顔をそむける。そして彼女を見捨てた薄情なフェビュスを理想化して愛し続ける。美女と野獣のような奇跡は起こらない。ディズニーワールドでなないのだ。

余談になるが、なんでディズニーがこの作品をアニメ化したのか今でも理解に苦しんでいる。これほど彼らの価値観から離れた作品も珍しいのに。お陰で話のコアな部分を大幅に変更せざるを得なかった。よりによって主要人物中で一番人間としてどうなの?な不実な女たらしフェビュスにヒーロー役をあてがった。イケメンって無敵の免罪符なんだなと思ったよ。悪役は一手に中年のハゲ親父フロロに担当させて、最後はフェビュスとエスメラルダという美形二人が結ばれてハッピーエンド。カジモドはただの脇役。そういう話があっても別に良いが、もはやそれはユーゴーのダムパリとは何の関係もないだろう。壮大な無駄遣いとしか私には思えない。

そう、ユーゴーの世界は勧善懲悪のフェアリーテイルではない。後年の作品であるレ・ミゼラブルはそれでも希望を残して終わるらしいが、ダムパリを書いた頃の彼はまだ若い。若さゆえの残酷さで切り捨てている。

登場人物はいずれも究極自己中で(まあそれが人間ってものなんだろう)心から感情移入できるキャラはいなかった。そういう哀しい性の人間たちが運命に翻弄されながら懸命に生きて死んでゆく、そういう様を描きたかったのかなと思った。・・カジモドを除いては。

 

そう、カジモドだ。

原作の彼は耳が聞こえない。それでなくとも強度の不具者で大聖堂に隠れ住む『普通』とはかけ離れた存在だ。当初の彼は周りで起こっていることもよくわかっていない様子で極めて愚鈍な印象だった。ミュージカルのカジモドとは随分かけ離れていると思った。となるとエスメラルダへの憧憬も普通の恋愛とはかなり異質の感情なのではなかろうか。

ところがだ、後半エスメラルダを死刑台から救い出し、大聖堂の塔上にかくまう段になって、それがえらい思い違いだったと気づいた。彼は醜さのゆえに人から憎まれる己が立場を充分理解していた。偏った世界観の中に生きているとはいえ充分に知的で繊細だ。だからエスメラルダが自分を直視出来なくても無理はないと受け入れる。もちろん本当は彼女から愛されたいし、それが無理でもせめて普通に接してほしいという願いはある。が、例えそれが叶わなくとも無条件で彼女を守り抜こうと決意している。

なんという崇高な無償の愛であろうか。人間が到達しうる最高の愛を抱いている唯一の存在が人間扱いされない世にも醜悪なモンスターとは。作者はそれをもって何を表現したかったんだろうか。自己中心であることが人間の在り様だとすれば、カジモドは人外ということなのかも知れない。彼の愛は犬が飼い主に寄せる愛に似ている。動物ってほんとピュアだよね。

とはいえ至高の愛が我々の理想なのも事実だ。如何に不可能に思えても、そこに至りたいと人は望み続ける。外見の怪物仕様とは裏腹に実はこの背むし男こそが、誰よりも純粋で人間らしい心の持ち主だった。

守り切れなかった愛する人の屍を抱いてカジモドは殉死する。何年か後に二人の遺骨が発見され、引き離そうとすると男の骨は粉々に崩れ去った。終章のタイトルは『カジモドの結婚』。

 

ここに至って私の中でミュージカルの最後で謳われる歌と小説のカジモドが違和感なく一致した。

 

意外かも知れないがカジモドの年齢はまだ20そこそこ、ノルデバックと同年代なのだ。醜い外形の中に潜んだ彼の魂はきっと美しい青年の姿をしているのだろう。Garouが歌う"Danse mon Esmeralda"とそれに乗って氷上で舞い踊る金髪の美少年・・

そう、あれで正解だったのだ(笑)。

 

肉体を離れた二体の若い魂が次元の違う自由な世界へと旅立つ・・原作にはもちろんそんな描写など全くないが、夢想を許される余地は残されている気がする。

 

いや、今回は本の感想なのでノルデバックの話はするまいと思ってたんだよ。でもやっぱりせずにはいられなくなった。ダムパリを滑ったスケーターはそれこそ星の数ほどいるけど、私に原作を読みたいと思わせたのは彼だけなんで。

ダムパリ然り、"Hurt"然り、そして衝撃の神EX、ムーランルージュ然り(まだ上位じゃないのでEXやる機会が少な過ぎてマジ宝の持ち腐れやった大泣き

彼はどんな曲でもただなぞって演じるだけでは満足できないんだと思う。扉を見つけてこじ開け、中に入り込む。それが彼の力だ。アンドレアスは大聖堂の扉をこじ開けて私を招き入れてくれた。

 

ユーゴーの次はトーマス・マンのはずだったんだが、何故か『ベニスに死す』の冊子がどうしても見つからない。折も折夫がロシアにハマって(何故かは聞いてくれるな)トルストイの『戦争と平和』読んでる。現時点で最良の訳とされている瑞訳全4巻。ちなみにロシア文学はロシア語さえ出来れば源典で読めるというわけではない。当時の作品はかなりの部分仏語で書かれてるそうだ。『戦争と平和』などは2か国語ごっちゃまぜで、訳者の苦労するところらしい。もっと昔になるとラテン語がそれに取って代わる。スウェーデンボルグだってスウェーデン人のくせに著作は全部ラテン語。ああ、せめて仏語ぐらい頑張っとけばよかったな。

 

てことでこれからトルストイに挑戦します。なんか往年の文学少女魂が蘇ってきた。