2020年は様々な分野の様々な人から特別な年と予想されてきた年である。新時代開幕の年、日本に限って言えば東京五輪開催の年でもある。ヴァリエーションはいろいろあるが概して希望的な予言がほとんどだった。
その待望の2020年初頭に到来したコロナ禍。遂に東京五輪も延期となった。
どういう意味があるのだろうか。
どんな出来事も只悪いだけということは絶対になく、必ずプラスの一面がある。それを探し出すのはとても大事なことだ。
人々の多様化し枝葉末端化した雑多な興味、思惑(要するにエゴ)が、コロナ禍によって収束され単一化され、人類としての意識が明確になりつつあるように思う。各自の優先順位が明確となり、自分にとって本当に大事なものは何かが見えてくる、順位の低いものは否応なく淘汰されていく。人類が新しい価値観に覚醒する土壌がそこに見える。
これを浄化の過程とみるのはうがった考え方だろうか。
たった数週間我々が行動を控えただけなのに、環境汚染が目に見えて改善されてきているという。それにもシンボリックな意味合いを感じてしまう。
今は新たな時代誕生直前の産みの苦しみの時なのだと思う。
先進国の医療が危ぶまれる今、シリア難民や地震の被災者等、既に過酷な状況にある人々の苦難は想像をさえ絶する。恵まれた環境にある者が無責任にあれこれ論を述べるなどおこがましいのは承知の上だ。
しかし、苦難する人々に思いを馳せつつも、夜明けは近いと希望を抱くことは大事だ。希望のないところに未来はないので。
ついでに
この混沌とした時代に、ネイサン・チェンと羽生結弦という両極の象徴的存在が両立しているフィギュア界ってのも、意義深いなあって思う。