世田谷次太夫掘公園、岡本民家園、静嘉堂文庫美術館
岡本民家園、旧長崎家

世田谷生まれだと言うと
「良いとこに生まれましたね」と言われ、それに対して
「昔は、田舎。うちの周りは畑だった」としか言えなかった。
知らなかったのだ、世田谷を。
今回の見学会は、成城学園前駅から始まった。
ここは私が子どもの頃から高級住宅街で有名だった。
成城学園は、関東大震災の復興を機に、
1925年(昭和元年)にいまの地に移転している。
このときから成城の街づくり、都市開発が始まった。
具体的には、キャンパスと駅を基点に2本の直交するメインストリートをつくり、
それらを都市軸にして宅地を碁盤の目のように配し、
店舗や娯楽施設は駅周辺にしか建設させないという都市のゾーニング(用途地域制)手法を取り入れ、
高い塀を禁止して生垣を奨励するなどの都市景観への配慮がされている。
当時としては最先端のその街づくりデザインは、
イギリスの田園都市(ガーデンシティ)構想の影響を強く受けていて、
都市と田園の優れたところだけをあわせ持つ近代社会のユートピアを実現しようという20世紀初頭に登場した都市構想だ。
学園都市にして高級住宅街の成城ブランドは、こうしてその基礎が築かれた。
喜多見橋を流れる野川
成城学園前駅を南に歩くと、間もなく下り坂となる。
国分寺崖線である。その下には、国分寺を源とする野川が流れている。
喜多見橋を渡ると次太夫堀民家園がある
次大夫堀は、慶長2年から15年かけて開発された農業用水で、
小泉次大夫の指導で開削された六郷用水の別名、
喜多見あたりでは、半ば埋められごみ捨て場のようになっていたが、
野川から取水して昔ながらのきれいな流れを復元したという。
小川のような次太夫堀
次大夫堀民家園は名主屋敷(主屋1棟、土蔵2棟)、民家2棟、表門、消防小屋などを復原、
江戸時代後期から明治時代初期にかけての農村風景を再現。
城田家はお店だった。
喜多見を通る登戸道と筏道の道が交わるところに建っていたこの家は、
農業の外に、商いも営む半農半商の家で、
町の店造りの形式が、多く取り入れられている。
街道沿いにあるこんな田舎の店は良いね!
静嘉堂は、
岩﨑彌之助(1851~1908)と岩﨑小彌太(1879~1945)の父子二代によって設立され、
国宝7点、重要文化財84点を含む、
およそ20万冊の古典籍(漢籍12万冊・和書8万冊)と6,500点の東洋古美術品を収蔵。
静嘉堂文庫美術館所蔵の曜変天目(茶碗)は、
もと徳川将軍家所蔵であったものが、
三代将軍・家光の時代、春日局を経て、
後に淀藩主となる稲葉家へ伝えられたとされる。
今日、世界中で現存する曜変天目(完形品)は、
日本にある三碗のみ、
京都・大徳寺龍光院、大阪・藤田美術館所蔵の各一碗と本碗で、
すべてが国宝に指定されている。
曜変天目 静嘉堂文庫美術館蔵





