【タイトル】 NLPヒーローズジャーニー
【著者】 ロバート・ディルツ、スティーブン・ギリガン
【ページ数】 446
【読むきっかけ】本屋で立ち読みしている際に目に止まったことから。
【概要】ヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)はもともと世界中の多くの民話や神話に共通する物語の構造をジョーゼフ・キャンベルが形にしたものである。NLPとは直接関係がないものの、目標達成のストーリーとして親和性が高いため、それを拡張した形で、NLPでは取り組まれている。そして、ヒーローズ・ジャーニーは一つのNLPのワークとして作られるようになった。簡易的なやり方もあるが、本書は、詳細・完全版と言っていい。ワークの詳細が書かれているので、やり方を学ぶことができる。目標達成のノウハウではなく、もっと根源的に自身のあり方を探っているので、スピリチュアルな深い部分にかなり触れている。
【対象】 NLP自体の知識は必須ではないがかなり内容が濃いので人を選ぶ。目標達成において、そこへ踏み出す、あるいは障害に出会ったときに、メンタル面でどのように対処していくのがいいのかを学びたい人。
【評価:★5段階で】
難易度:★★★★
分かりやすさ:★★★★
ユニークさ:★★★★
お勧め度:★★★★
【まとめ】
私たちの心の言語、魂の言語は比喩的であり、事実をありのままに述べるものではない。
英雄の旅について語る場合は、何らかの知的概念の観点からではなく、一つの特質として、深い呼吸と共にそれを体内に取り込んだ時に体内にあるこの経験的知恵を全て喚起し始める特異性を持つものとして、それを探っていく。
英雄の旅の前提
・スピリットは目覚めようとしている。
・スピリットは人間の神経系を通じて目醒めていく。
・人間の神経系は、意識の有する最も進歩した楽器である。
・いずれの人生も英雄の旅である。
プロセス
1 天命を聞く
2 天命を辞退する
3 境界を越える
4 守護者を見つける
5 自分の中の悪魔(デーモン)と影(シャドウ)に立ち向かう
6 内なる自己を育てる
7 変化を遂げる
8 帰還する
英雄の抱く天命は、自我から出る個人的な目標とは大きく異なっている。魂は、目醒めたい、癒したい、繋がりたい、創造したいと思う。
成功する保証はない。成功の保証があるなら、英雄である必要はない。天命は勇気を必要とする。
キャンベル「自分の感じる至福に従え」
通常の意識的な心には英雄の旅をリードすることができない。自分や意識を、生成的自己(ジェネラティブ・セルフ)と呼ぶものへと再編する。
英雄は、人生からの呼びかけに応えて非凡な状況に挑む普通の人。
闘士は、自分が正しい道、正しい世界地図だと考えた理想を目指して闘っている人。この理想は正義であり、これに反対する人は全て敵。自分自身の地図を他に押し付ける。
デーモンとは単なるエネルギーであって善も悪もない。何かを、誰かをデーモンに変えるのは、それに対する自分の反応。デーモンは私たちの内面のシャドウを明らかにする。
どのような活動であれ、それで成功するには、そのアウター・ゲームにある程度精通していなくてはならない。ただ非常に高いレベルでのパフォーマンスにまで到達するのは、インナー・ゲームにも精通している人。英雄は、インナーゲームのやり方を身に付けなければならない。
帰還
一旦高次の意識状態において苦闘を乗り越え、結果を得た場合、それを日常生活の通常の意識に統合することは、それまでの苦闘以上の課題となる。
コーチの立場にあるときは守護者であること。彼らの旅における英雄になることではなく、良き守護者、良きリソースとなること。
生成的な自己
3つのマインド
身体マインド
認知マインド
場マインド(大きな心、第四ポジション)
3つの意識レベル
原初レベル(無意識な一体化、自覚のない場)
基本レベル(意識的な区別、場のない気づき)
生成レベル(区別を意識した一体化、部分であると同時に全体であること)
3つのマインドを、高次の意識レベルにシフトすること=生成的状態へのシフト
原初レベルに戻ること
悪いことではない。根源的な意識に入り込む。自分という存在を再生し、元気を回復させるには、定期的に正気を外れることが必要。
生成レベルへの移行
身体マインド: 提携して集中(センタリング)する。
認知マインド:受け入れて変える
場マインド:問題の向こうにまで自らを開いたのち、さらにその彼方にまで自らを開く(これまでの型を破り、さまざまな可能性を秘めた全く新しい世界に入る)
スポンサーシップ
いずれの体験にも、いずれの人にも、才と善の種がある。
無変化による変化:何かを変えようとするのをやめて、巧みな好奇心でそれを受け取り、新たなパターンに展開していくような形でそれを持ち続ける。
原理主義
不変のものに注意を集めることによって意識を安定させたいという欲求
自分の中心から離れて、変化のない表象内に閉じこもること。つまらない文言を頑なに信奉する姿勢。
生成的な意識の大いなる敵
センタリング:中心には中身がないので、その周囲で意識を安定させることができる。
変わり続けるその瞬間のパターンとエネルギーに対して、完全にオープンな状態でいることができる。
相手に耳を傾ける:センタリングしたあの場所から耳を傾けるだけで、その結果の驚異的なこと。
困難な状況に陥ったとき
まずは体の力を抜いて深奥に降り、センタリングを行い、中心からこの世界へ自らを開く。
天命は、必ずしも言葉を使う必要はない。仕草・動作で表現してもいい。イメージの場合もある。
天命を現実化する場合、他の人々の心をそれで動かすことができなくてはならない。中心と深くつながったのを感じてから口を開く。自分の中心の振動に対して、自分の話す声の振動をどう感じるか。中心と深くつながった状態で考え、語り行動することは、生成的な意識の重要な役割の一つ。
認知的な自我-知性の自己が身体的にセンタリング状態にある具現化された自己と緊密に提携し、振動と共鳴によって同調するとき、素晴らしいことが起きる。
同じ話を別の人が言うと、心を鷲掴みにされ、目が覚める思いがし、意識が高揚することがある。この違いは何か。
能動的なセンタリング
グラウンディング:中心を一点に根付かせる
フローイング:力に任せて動く
センタリングをなくしたら、また取り戻せばいい。何回でも取り戻し続ける方法を探す。
体を緊張させたまま、センタリングを維持することはできない。
外からの力に対して無抵抗に服従しても、頑固に抵抗しても中心を失う可能性がある。
足を通してそれを下に降ろす:圧力によって生じるエネルギーをあなたの中心の糧とし、あなた自身がさらにしっかり地に足をつけていられるようにする。
脅しや攻撃に気づいたとき、通常は生き残り戦略(闘う、逃げる、動けなくなる)で対応する。第四の戦略はフロー。体の向きを変えることによって、エネルギーに融合し、合流する。
状況を変えようと意識的に考える努力をしなくても、問題が変化する。問題は、それに対処するときの状態を変えることによって変化する。
罪+センタリング=恩寵
症状+センタリング=リソース/解決策
いかなる症状も、回復しよう、変化しようという試みの表れであり、生成的な状態にすることによって、それを持ち続け、肯定的な形に導くことができる。
「私の意識が私に何かをもたらそうとしているが、それは何だろう?」と問い続ける。
NLPの訓練を受けた人が、肯定的意図をまず探してから、その後に効果的な探究を行うために生成的な状態を引き出そうとするが、センタリングを含め、まず生成的な状態を作り出さなければ、あの問いに有用な形で答えることができない。
センタリングの2つのレベル
1.中身のない(コンテンツ・フリー)広々とした空間でその中を人生が流れていく。仏教用語で言えば空。遮るもののないチャンネル。神経心理学用語で言えば振動子で、そこを経由して、ある領域から別の領域に情報/エネルギーパターンがもたらされる。コンテキスト。
2.その時々にチャンネル内を通っていく内容(コンテンツ)。認知意識。
この二つのレベルを識別すること。瞑想やセンタリングをすれば、人生という川が自分を通って流れていく中で、過ぎゆく一瞬一瞬の出来事にただ立ち会うのみ、何ものにも反応しないでそこにいるというあり方を訓練する。何事か、あるいは、何者かと「共にいて」、その何事にも何者にもならない方法を学ぶ。それが身についたとき、愛に満ちた創造的かつ肯定的な形で、自由に行動できる。
仏教とは雲と空の関係を話題にする。空は、「雲を一掃して、ずっと晴れた日が続くようにしなくては」などと言おうとはしない。空はどんな雲にも気づくことができ、それらが行き過ぎるのをただ眺めていることができる。
センタリングできていない状態では、問題が自己を吸収してしまう。センタリグできていれば、自己は肯定的に問題を吸収することができる。
コンテンツとコンテキスト・レベルの識別
ヴァージニア・サティア:まず「それについてどう感じますか?」と訊ね、続いて、「そのように感じることについて、どう感じますか?」と訊ねた。
重要なのは二つ目の質問に対する答えで、今体験していることにどう関わっているのか?それをよしとしているのか?それに対して厳しく当たるなり暴力的に取り扱うなりしなくてはならないと感じているのか?のちに続く全てを決めるのが、この二つ目のレベル。重要なのは、コンテンツではなく、そのコンテンツに人間としてどう関わっているか。
コンテンツ・レベルでは悲しみを感じても、コンテクスト・レベルでは、禁じられたその感情の存在をついに許すことができて、幸せだと感じる。
人生には困難なこともあるが、それは問題ではないということが、英雄にはわかっている。
メタ・マインド
生成的な認知マインドでは、「マインドのマインド」を開く。
つながり合うパターンのレベル。
通常の自我のレベル:アイデンティティはある位置、もしくは場のある部分にある。
原理主義:我が見解こそ唯一の真実。奴の見解は異端者、亡きものにしなくては。
生成的なレベル:敵対するのではなく、互いに補完するものになる。
親密な関係の段階
1.二人が一つになり、一体感のトランス状態。
2.差異化:違いの方が目立つ
3.数多くの立場を含む場と一体。「あなた」と「私」を含み、かつ、それらを超越する「私たち」。互いの違いは消えず鮮明になるが、違いを吸収しておく空間が新たに出現する。
個人間関係の生成力の土台であるだけでなく、個人内の生成力(各パートのためにスペースを確保)の土台でもある。
スポンサーシップ
そこにあるもの全てを、新たな肯定的体験と肯定的現実が出現するような形で、安全かつ巧みに収容できる、生成的な空間に入ること。
瞑想に適したマントラ:
「何かがここで癒されようとしています。彼女のスピリットの中の何かがこの世界に入ってこようとしています。どうかその目覚めを、私が感じ取り、受け取って、促すことができますように」
「そこにあるものが何であろうと、それは確かに理にかなっている」
仮に自分が拷問を受け、家族が繰り返しレイプされてきたのに、何らかの理由で長年何の手も打てずにいたのが、あるとき何かが変化して癒しが始まるとしたら、最初のステップは何だと思いますか? 許し? 極めて健康的な最初のステップは、あいつを殺したいと思う気持ちを認めること。理にかなっている。
癒しを始めようとしている存在に語りかける。ようこそ。
スポンサーシップの重要な概念の一つは、カトリックの修道女たちが私に教えてくれたこととは違っていて、「それを思うことは、それをすることではない」。つまり、実行には移されないながら、それを思ったり感じたりするスペースを作ることはできるということ。「それにならずに、それと共にいること」は、生成的な認知マインドの重要な側面である。
NLPでは、「行動とアイデンティティとは区別するように」という言い方をする。力の限りを尽くして、有害な行動に異議を唱え、あるいは、それを制止し、同時に、力の限りを尽くして、アイデンティティと、行動を発生させている肯定的な意図とを支援する。
基本原則:何かを変えるためには、まず、それを変えようとするのをやめる。
何かを変えようとする場合、大抵は「今のままではよくない。今のままでは魅力がない」というメッセージを送っている。こうして人間のスピリットの面目を失わせると、故意であろうとなかろうと、その人は変化しにくくなる。
私と相手との間に感じる距離=私自身と私自身との間に感じる距離
→まずは、自分自身とつながる。
スポンサーシップのスキル:
・自分自身とつながる
・パートナーと繋がる
・好奇心
・受容力
聞き手になった場合:「相手の英雄の旅が引き起こす美しい恍惚で体中を満たしたい。あらゆるレベルにおいて観察者でありつつ参加者でありたい」「私のクライアントは驚くべき旅の途上にある」
(2に続く)