ここでは、実際にNLPを適用して、感情や思考の堂々巡りなどを解放していく例について述べていく。この章は、これまで述べていたテクニックをすべて使う要約でもある。



先日、仕事で大変情緒を乱すことがあった。怒りと失望と自己嫌悪等で、不快感でいっぱいになった。職場では、辛うじて平静を保ったものの、帰り道に思い出して、大声で叫びたくなったほどだ。
あまりにも感情が乱れているときは、NLPを適用しようなどという発想はない。苦しみ、感情の中に没入し、他人や自分を批判する思考が駆け巡る。これが寝るときに起きた場合は悲惨で、間違いなく寝付けなくなり、翌日はかなりの睡眠不足の状態になる。

感情の乱れに対処するときは、そのレベルに応じて、

1 体の動き(フィジオロジー)を使う。
2 表象(イメージ)を使う。
3 アンカーを使う。
4 言語(思考)を使う。
5 意識(注意)を使う。

となる。
この分類は便宜的なもので、実際アンカーは、身体感覚トリガーになったり、表象がトリガーになったりするので1,2に含まれているとも言える。4の言語Ad、つまり聴覚の一種と捉えるなら2の表象にまとめることもできる。

単純に言えば、人が自分でコントロールできるものは、身体動作イメージ思考注意といったもので、それを特定の方向に向けて強めることもできれば、緩めて弱めることもできる。あとは、物や他者に頼る方法もある。
あまりにも乱れている場合は、2-4はほとんど役に立たないどころか、かえって悪化させる場合もある。身体にアドレナリンが充満しているなら、一瞬で症状が収まることは期待しない方がいいだろう。あまりにもエネルギーが過剰な場合、言語を使って抑え込もうとすると余計不快感が増す。感情と戦えば戦うほど、多くの問題が引き起こされる。

NLPなどのワークが効果がない場合は、使うレベル順番を間違っているためだ。問題が複雑な場合、全部のレベルに取り組む必要がある。それから、完璧に症状が消えることを期待しすぎないことだ。その態度自体がかえって問題を作り出す。

一番最初に、感情のレベルを10段階で査定する。これはどのぐらい変化があったかを確認するために重要である。0が全く解消されている状態、10が耐えられないレベルで、あくまでも主観的な判断でよい。完全に解消できなくても、レベルを半減させることができたのなら、そのワークはうまく行ったと言える。

(注:以下はNLP以外のワークも含めている)

どのワークについても、人前で抑止する必要がある場合を除いて、思考や感情を抑圧することは勧められない。むしろ、どんな思考、感情、衝動もすべて歓迎するという態度が重要である。この態度が徹底できるなら、つまり完全に受容できるなら、以下に述べるテクニックはすべて不要だと言っていい。またある程度は、この態度がなければ、ワークの効果は中途半端になる。「歓迎する」というのは、思考、感情、衝動が出てきたときに、例えば温かくユーモラスに「ありがとう」と言うことである。

感情・衝動が強い場合、まず身体レベルで発散させた方がいい。注意するのは、周りに人がいないことだろう。人に当たったり、他人の物や公共物に当たったりすれば、あとで様々な問題を引き起こす。大声で叫ぶのも効果はあるが、山奥か防音室でもなければ、通報されるかもしれない。皿を割って、ストレスを解消するという人もいるが、これは皿を悪感情と見立て、それがバラバラに分解されるメタファーとしては強力だが、コストがかかる。
なので、サンドバッグや、枕など、壊れにくい物で、かつ自分の体も怪我しないものにあたるのがいい。空気を殴る、叩くのもありだろう。
キチガイのように、体が動きたいように動く、暴れる、踊るというのもありだ。

そこまでではない場合は、背伸びストレッチマッサージをしたり、散歩するなどもいい。深呼吸を繰り返すのもいい。体の筋肉に思いっきり力を入れて、一気に弛緩する。これを繰り返すのもいい。感情は、筋肉レベルで、緊張やコリとして現れる。

エネルギーワークは、緊張を解し、体の中の微細なエネルギーの通りを改善する。

・エネルギーに働きかけるワーク
ある程度、身体レベルのイライラがなくなったが、まだ不快感が強い場合は、EMDR眼球運動)やTFT/EFTタッピング)が役に立つ。
不快な症状の感覚に意識を向けながら、指でガイドしながら眼球を動かす、あるいは、一連のシーケンスに従って、体の特定の部位をタッピングする。

この方法はかなり強力で、正しく行う限り、症状のレベルをかなり下げる。心理的なレベルが深く絡んでいる場合、これだけでは解決しないことはしばしばだが、とはいえ、これだけで0になることもある。身体的なレベルで発生している問題を、心理的なレベルで解決しなければならないと思っていると、問題がないところに、かえって問題を作り出すことになる。

長期的に、イライラなど感情的な状態が発生しやすい場合は、医学的アプローチや、栄養学的アプローチも考慮に入れるのが良い。

・表象を扱う
次は、表象を用いる。
厄介な問題というのは、自分のそばにあり、しかも大きさが大きい。人々が、「小さな問題だ」と言うとき、それはメタファーでもあるが、実際に表象の中で、問題を小さく描いているのである。

問題に没入しているときは、目の前に大きくあるのではなく、文字通り問題の中に自分が没入してしまっている、あるいは問題に取り囲まれている、あるいは問題と自分が一体化してしまっている。このときにNLPのテクニックを使いたいと思わないのは、当然である。なぜなら、問題と一体化してしまっているからである。

そこでまず、試すのは分離ディソシエイトである。症状から離れる、あるいは症状を切り離すのである。これはイメージのレベルで行ってもいいし、体を動かしてもいい。症状を体の外に出してしまったり、症状をその場所に置いておいて、少し離れる。そうすると、症状が少し切り離される。このときも、完全に切り離されただろうか、と思う必要はない。ちょっとでも問題と自分との間にスペースが生まれたと感じたら成功である。

あるいは、自分の名前を使って語りかける方法もある。「◯◯(自分の名前)は、XXXした」と他人の視点に切り替える。友人にアドバイスするように、自分に語り掛ける。

また、ズームアウトするのもよい方法である。問題に対してあまりにもフォーカスしすぎていて、それ以外のこと、全体像が見えなくなってしまう。そんなときに、そこからズームアウトするイメージで、問題から遠ざかり、問題が小さく見えるようにする。

ディソシエイトを強めるために、問題や状況のイメージと自分との間に、分厚い防弾ガラスをイメージして、自分が全く影響を受けない状態を作り上げてもいい。

次いで、切り離されたら、その問題の表象を変える。位置を目の前から脇にどける。大きさを小さくする。色をモノクロにしぼやけさせる。そして、遠い距離に追いやる。そして戻ってこないようにピン止めする。これはサブモダリティコード化を用いたテクニックである。どのようにコード化されるかは個人差があるので、最も強く働くドライバーを見つけて行うのがいいが、大抵の人は、位置大きさ距離で変わることが多い。

今のは問題を静止画として扱った方法だが、時間的変化が重要な場合、問題の発生、様々な登場人物、様々な出来事を動画にして、それを上映する。それを外側から眺め、早送りしたり、逆再生にしたり、モノクロにしたり、陽気で滑稽なサーカス音楽をBGMとして鳴らすのをイメージしながら再生したりする。

他にも、問題をイメージして、それをハンマーで粉砕して粉々にしたり、引き裂いたり、焼いて灰にしてしまったり、くしゃくしゃにしてゴミ箱に入れたり、笹舟の上に問題を置いて川に流してしまったり、という方法もある。

よく、問題を紙に書きなぐって、その後でくしゃくしゃに丸めてゴミで捨ててしまうことで解決する人がいるが、これはサブモダリティの変化を、現実の場を使って行う効果的な方法だ。つまり、問題を書き出すことで、ディソシエイトし、それをくしゃくしゃにすることで解消し、ゴミに捨てることで、自分から完全に捨て去ってしまうということだ。これは、皿を割るよりもコストは低い。

また、掃除をすると、気分が良くなるとよく言われるが、これはNLP的に言えば、外側を片付けることで、内部表象でも片付けられ、整理され、汚れを落とすことで、内部表象でもクリアになる。イメージだけするよりも、実際の場を使った方がリアリティが増すため、強力になる。

・視点を広げる
ズームアウトのところで述べたが、一歩引いて、世界レベルで、問題を眺めると、問題は小さく見えるようになる。世の中は、もっと悲惨な事例であふれている。さらに酷い状況と比較すると、相対的に酷いものではなくなる。自分と同じ経験をしている人や、自分より辛い経験をしている人を探すことで、自分だけでないことを認識できる。結果的に、問題のサブモダリティも非常に小さいものに変わる。
「明日がある♪」も、現在の状況だけにフォーカスしていた視点を未来へと変えてくれるリフレーミングでもある。「後に笑うものが勝ち」というのも時間的に後に視点を持っていく。

・未来から振り返る
1年前、あるいは数年前の嫌な出来事で、数日苦しんだが、今となってはどうとも思っていない出来事を思い起こす。そして、それがどのように表象されているかを認識する。人によって詳細は異なるが、おそらく、少し遠く、左か後ろの方に、色あせて、廃墟のようなイメージになっているのではないだろうか。
今から1年過ぎたと想像して、今起きた不快な出来事を、それと同じ表象に変えて、過去の出来事としてしまう。もうすでに、過ぎ去ったことなのだ。過去は置いていけば、付いてこないのだ。
仏教で無常観が語られるが、これは時間軸に沿って、あるいはそこから引いて見るサブモダリティを形成することになり、同じように分離が起きる。

・ストーリー、ゲーム
今起こっている一連のことを、物語ストーリーと見ること。あるいは自分はゲームをしているのだと考える。それによって現象から分離が起きる。

・DSR(ダイナミック・スピン・リリース)
症状が、体感覚的に回転しているように感じられるなら、多少でもそう思えるなら、その回転方向を感じ、逆回転させてみる。取り出してからの方がやりやすい場合は、症状をイメージ上取り出して、場合によっては遠くに投げてから回転させる。
思考が空回りしていると言うときがあるが、実際にサブモダリティとしては、ぐるぐる回っているのである。なので、逆方向に回転させてみる。そうすると、思考は止まるか、弱められる。

・マインドフルネス
これは表象のカテゴリというよりは、意識(注意)のカテゴリになる。ただ、ディソシエイトという点からすると、マインドフルネスは、非常に良い方法である。
思考が現れたら、「私は○○と思考している」「私は○○と思考していることに気づいている」と、思考の中身には入らずに、思考から距離を起き、気づき自体に意識を向ける。あるいは、「私は・・・のイメージがある」「私には・・・という記憶がある」「私の心が・・・・というシーンを見せる」など。
一連の思考について、○○の物語とラベリングする。
衝動についても、「私はいま・・・したいという衝動を持っている」。感情と戦うことをやめれば、感情が変わろうと変わるまいと、受ける影響はずっと小さくなる。

・私ではない、私のものではない
思考、感情を自分のものだと思うと、問題自体にとらわれることになる。「これは私のものではない」ときっぱり捨て去ってしまうのも有力な方法である。自分のものではないとわかれば、そこにあってもなくても問題ではない。

・スイッシュ
スイッシュを使う方法もある。これは表象のワークの一種だが、問題の状況と、望ましい自分の状態をリンクさせる。問題の表象を中央に明るく大きく思い描き、望ましい自分の状態を遠い隅っこに小さく描く。そしてシュッとともに、一瞬で切り替わる。それを何度も繰り返し、問題のことを思い浮かべたら、自動的に望ましい自分の表象に切り替わるようにする。望ましい自分は、どんな状況でも動じず平然と受け入れ、その状況でも優しさ・勇気・楽しさを兼ね備えた、物語の主人公を見立ててもいい。

・アンカーを用いる
自分が陽気で、笑って、楽しく、希望に満ちているときのことを思い起こす。それを体の一部にアンカリングする。その場所に触れたら自動的に、その状態が起こるまで何度も繰り返す。これがリソースアンカー
次いで、問題の症状を思い浮かべ、同時に体の別の場所に触れて、その場所と症状をアンカリングする。
そして、問題のアンカーとリソースアンカーを同時に発火する。うまく行けば症状が軽減される。
ただ、この方法は、症状がある程度切り離されてから出ないと難しい。というのは、症状が強すぎれば、リソースアンカーを圧倒してしまうし、そもそも症状に没入しているときは、リソースアンカーは作れないし、作る気にならないだろう。

ここまでは、問題の中身には入らず、身体症状や表象のレベルで解決を図る。いきなり言葉を使って問題を分析しようとする人は多いが、それでは感情は収まらない。逆に、フィジオロジーや表象で解決する問題なら、そもそも、中身などなく、分析したところで堂々巡りになるのがオチである。

・感情を強める
以上は、感情を切り離して解消しようとしていた。
「押しても駄目なら引いてみな」という言葉があるが、同じように逆の方法を使う。もっともこの言葉に忠実になるなら、「引いても駄目なら押してみな」が適切かもしれない。

問題を問題として扱うことで、かえって問題を作り出していることは、非常に非常に非常に多い!
早く解決しよう、何で問題が解決しないんだ、と思うこと自体が、問題を長引かせる。つまり、問題自体を掴んでしまっているのである。言い換えれば、問題に対する抵抗と言える。
本来、自然にやりたいままに放置しておけば、ピークが来て去っていく。体の怪我も忘れてしまえば、気づいたときには消え去ってしまっているが、ずっと気にしているとなかなか治らない。無意識がやることに、意識が介入すると、大抵問題を悪化させる。
武田鉄矢が歌ったように「悲しみこらえて 微笑むよりも、 涙枯れるまで 泣く方がいい」である。

問題に対する抵抗を消すために、問題を切り離すのではなく、逆に問題にアソシエイト没入し、症状を極限まで強めるのである。波乗りをするかのように感情の波に乗っていく。そうすると、感情はピークを打って引いていく。

アドラーの目的論にあるように、感情は意図を持って起こされている、つまり実際のところ、感情自体に執着しているのである。感情を失うことを恐れれば、逆に感情はすっと引いていく

あるいはこうも言える。

症状は実際に自分で無意識的に作り出している。強めることは、無意識で行っていたことを意識化する自分で作り出していたことがわかれば、瞬時に問題を消すことができる。自分で右の拳を握りながら、それを忘れて、左手で一生懸命拳を解きほぐそうとしてもできない。むしろ、右の拳の握りを強めれば、自分でやっていることがわかり、すぐに自ら解くことができる

・サブモダリティを使う
単に症状を強めようと思うだけでもいいが、症状を強める最も強い、サブモダリティドライバー(最も影響力のある要素)を見つけ、それを増大させる。耐えられない極限を超えたとき、破裂し、感情は静まる。

・トンレンの瞑想
他者の苦しみを自分に取り入れるトンレンの瞑想があるが、これは結果として、問題から逃げない姿勢、さらに他者の問題まで取り込もうとするので、問題に対する抵抗は弱まる。結果として、自身が解放される。徹底した無防備が、最高の防備となる。自我の鎧を外せば問題は消える。

・問題の完全な受容
問題に抵抗するのをやめるには、この一言で十分である。
苦しみなさい。(マル)
問題を避け、抵抗することをやめる。そして積極的に問題に飛び込んでいく。

※実際に、これは言葉のあやで、主体的に問題に没入して強められるということは、実際には問題からディソシエイトしている。正確には脱同一化し、包含(超越)しているといえる。意識的に没入しているなら自由だが、無意識的に没入しているなら問題に支配されている。


・肯定的意図、ニーズ、価値を探る
感情の背景には、何らかの肯定的な意図ニーズがある。
感情を引き起こしているパート、相手に何かを要求しているパートを見つけ、それが何を求めているかを尋ねる。それが分かったら、さらにそれを通じて何を得たいのかを尋ねていく。
複数の意図があるなら、それぞれ尋ねていく。それが分かったら、そのニーズを満たす別の方法はないか考えてみる。

もしくは、さらにその目的を尋ね、最終的に求めているステートコア・ステートに到達し、求めているコア・ステートは、何かの結果手に入れるものではなく、最初から自分の本質に備わっていることを悟る。そうなると、感情は一気に変容する(コア・トランスフォーメーション)。

実際に、心理レベルで完全に問題を解決するためには、このプロセスは欠かせない。なので、多少でもワークをできる冷静さを取り戻したのなら、表象のプロセスはせずに、ダイレクトにこのワークを始めてもいい。

もし、相手が、自分を傷つけたのであれば、自分のアイデンティティのどの部分を傷つけたのか、自分が大切にしている価値観のどれを侵害したのか、それを明確にする。多くの場合、ニーズが意識化された段階で、感情は変わる。NVCでは、純粋な嘆きになると言われている。嘆きは、不快な感情とは全く別で、甘い痛みになる。

・問題を分析する
ここに来てやっと、問題を分析することになる。感情アイデンティティへの強い執着がある限り、物事を冷静に見ることはできず、歪んだものの見方になる。多くの場合、問題について考えると言っても、出てくる思考は、相手を批判する、自己正当化責任転嫁といったものが背景にある。そして、同じことが繰り返し出てきて、全く分析が深まらない。
こうして悩んでしまう背景にも、自分を守りたい、安全でいたい、公正でありたい、秩序を保ちたい、真実を明らかにしたい、といった肯定的意図がある。思考が堂々巡りしてしまう背景には、いろんな意図をもったパートが複数いるのかもしれない。

良い方法は、問題について、思っていることをすべて書き出すことである。書き出すことで、問題を吐き出し、ディソシエイトすることにもなる。また、目の前にすでに明記されているので、同じ内容を思考する必要はなくなる。それによって堂々巡りを防げる。

そして、NLP的には、メタ・モデルの質問が役に立つ。削除されている部分があれば具体化し、一般化している部分があるなら、そうではないケースがあることや、成立する条件を明確にし、歪曲しているなら、その根拠を明確にしていく。

何か判断しているなら、その判断者が誰なのかをはっきりさせる。自分の思考は必ずしもオリジナルとは限らない。というよりも、他人の思考パターンをそのまま取り入れてしまっていたり、誰かの立場を守るために、代弁しているケースもある。

そして、できるだけ客観的に、第三者の立場で問題を描写することである。事実と解釈を分けることは非常に重要になる。物理的証拠があるかどうかは、ここでは重要ではない。誰かが何かを言ったり、やったりしたとしても、その意図まではわからない。それはあくまでも推定にすぎない。

・根本にあるビリーフを探す
症状を引き起こしている、自分の中にある地図を探り当てていくと、「こうであるべき」「これはありえない」「これはできない」などのビリーフが見つかる。
ここでビリーフ・チェンジのワークが有効になってくる。ビリーフが見つかったら、それは本当なのか、 客観的な真実なのかを問う。また、もしそうでなかったらどうなるのか問う。「できない」であれば、「もしできたとしたら」と問う。

このとき、デカルト的な4つの質問が有効である。
 そうであるとき、何が起きるのか。
 そうであるとき、何が起きないのか。
 そうでないとき、何が起きるのか。
 そうでないとき、何が起きないのか。
これらを明確にすることで、視野が広がり、別の選択肢も見えてくる。

また、「◯◯であるべき」に対して、「◯◯ではないことに、全く気にならない、平気であればどうか」と問う。それによって、一番の問題は外側にあるのではなく、内側にあることがわかる。

根強いビリーフは、自分の価値観とも結びついて、ポジティブな行動の動機となっているが、同時に制約になっている場合も多い。価値はそのままにしつつも、ビリーフを解除すると、精神的に自由になるのと同時に、選択肢が増え、価値を満たす別の行動を選べるようになる。なので、厄介な問題であるほど、自分のビリーフを探求するいいチャンスとも言える。

・問題のリフレーミング
問題を別の視点から見る。多くの場合、表象の項目で述べたのと同様のディソシエイトを引き起こす。
リフレーミング言葉で行われることが多いが、同時に内部表象も切り替わる。「世界的視野から見てみる」というリフレーミングは、すでに、問題からディソシエイトし、距離を置いている。「長い人生の中の一点」という視点で見るとき、すでにタイムラインを意識し、過去というサブモダリティで見ている。

この経験から何を学んだだろうか、どんなふうに将来役立つだろうか」と見るとき、同じように問題から切り離される。これは、失敗フレームから、フィードバック・フレームに切り替えて、問題を見ることになる。

また感情というものは、エネルギーを持っている。その力は、行動のための原動力になる。それを停滞させ、堂々巡りするために使うのではなく、ポジティブな方向に活用する。世の中を変革した人は、不平不満を活力にしている。そういう視点から見ると、問題は制限ではなく、チャンスとして活用できる。


・ユーモア、笑い飛ばす
ある程度問題から切り離されたなら、この問題にかかわる登場人物ユーモアを持って眺めてみれば、大人のフリをした、可愛い、幼稚な、滑稽な子どもたちであることがわかる。
自分の愚かさや、この人生という名の滑稽なストーリーを喜劇として笑い飛ばすのもいい。
悲劇に対して、人は「もう笑うしかない」と言うことがあるが、実は、問題からディソシエイトして、リフレームするいい方法である。

・自分が作り出している
自分にも原因の一端があることがわかると、状況や相手に対して責任を追及する姿勢を改めることができる。自分に原因があるということは、将来的に自分の行動で結果を選ぶことができるということである。自分の中に対処できる力があることを認識すると解放される。
ただし不当な責任を背負い込む必要はない。不当に責任を背負わされることも世の中にはままあることだが、自己の内面においては、あくまでも、自分がコントロールできる範囲においてのみ、責任を感じるのがよい。

過去の出来事をずっと引きずってしまうのは、将来同じことが起きたときに、対処する可能性があるのに、自信を持って対処するすべを持っていない、というケースが多い。過去の嫌な出来事であっても、もはや起こることがないこと、完璧に対処する術を持っているとき、あるいは事故のように完全に自分のコントロール外にあるものに関しては、引きずることはほとんどない。

・ポジション・チェンジ
相手の視点から、問題を描写してみる(問題が特定の他者と関わる場合)。

ただ、これは問題がある程度切り離されていない限り、お勧めしない。というか、憎い相手の立場になることなどできないし、しようともしないだろう。それでも、敢えてやってみることで発見するものもあるかもしれないが、発狂するかもしれない。やるなら少しずつである。
また、自分のポジションが整理され、きちんと確立されていない段階で、相手の立場に立つと、相手に完全に呑まれてしまう危険性がある。理不尽な要求に屈服し、単に権力に従うだけだと、理性を失い、思考が歪むことになるのでおすすめはしない。

他人の視点を理解するのは非常に重要だが、多分に自己正当化、責任転嫁、歪曲、詭弁が含まれていることは十分に注意する必要がある。

ワークする上で、他人のポジションに立つ際に重要になるのは、歪曲を含んだ相手の言葉や論理といった話の中身ではなく、また彼らの自己中心性と思われる態度や自分を軽蔑してくる態度ではなく、相手の感情ニーズに焦点を当てるということである。相手の言葉は、ニーズを守るために、全くの屁理屈・詭弁、取って付けた言い訳にすぎないことが多いことは認識しておいた方がいい。

そこで見えてくるのは、どんなに威勢を張っていたとしても、中身は自分を守りたくて精一杯な、か弱い人間であるということだ。そうすると、哀れみすら覚えてくるだろう。

また、相手の背景にある上位目的意図を探求していくと、自分の上位目的、肯定的意図との一致を見出すかもしれない。目的は同じであるにも関わらず、その方法、ルールを巡って争っていたのかもしれない。相手は相手のルールで、世の中をよくしたいと思っていたのかもしれない。

なので、相手が正しいと思い込む必要もないし、自分と相手とどっちが正しいかなどとする必要もない。相手は思考の歪みに気づくかもしれないし、気づかないかもしれない。気づいていても、自己正当化のため、主張を押し通すかもしれない。
所詮、どちらの主張が正しいかは、前提によって変わるので、無意味なことが多い。その場で、多数決を取ったり、どういう感じ方が正しいのかについても、その場に、たまたま居合わせた人や、意見の強い人に同調したりするので意味がない。集団においては、権力を持っている人の意見が結局、正とされてしまうことはよくあることである。

私達が「正しさ」にこだわるのは、それだけ自分の認識の正常性を確かにしたいからである。ここで重要なことは、あなたが感じた「感じ方」自体はいかなる場合があったとしても、それは絶対的に正しい、ということだ。この世の中では、しばしばこの「感じ方」を否定し、「そんなふうに感じるのはおかしい。そう感じるべきではない!」などと批判されたりする。一方、「考え方」については、すべて相対的で、絶対的に正しいものなどない。あなたの「考え方」も相手の「考え方」もどちらも間違っていると言えるし、どちらも部分的には正しいとも言える。

常識は、人によって、家族によって、会社によって、地域によって、国によって、文化によって変わる。絶対的な常識など存在しない。「約束を守る」という、日本人から見れば当たり前のことを、破っても平気で生きている国の人たちもいるのだ。

無論、相手が本当に悪いことをしている場合、無罪放免しなければならないわけではないし、どう対処するかは、プラクティカルな話だ。感情の問題が解決すれば、より建設的に、対応を検討できるだろう。

・それでも地球は回る
問題に没入しているときは、自分が何とかしなければ、という思いでいっぱいになっている。が、何とかしなければならない問題など実はない。自分がいようと、特定の誰かがいようがいまいが、地球は回り、時代は移り変わる過剰な責任意識は単なるお節介余計なお世話に過ぎない。こうして考えれば、問題そのものから分離できる。

・自分の中にあるリソース
自分の中にあるリソースに気づくのもよい方法である。
問題に嵌っているときには、大局的な視野で見ることができず、そのため、自分の中に解決のためのリソースがあること、なんとなれば、全く別の道で生きていくことのできるリソースがあることに気づかない。

リフレーミングの一種と言えるが、自分の中にあるポジティブな要素に気づくためのワークはNLPにいろいろとある。
また、催眠は、リラクセーション効果によって、症状自体を軽減させると同時に、暗示によって、リフレーミングや自分の中のリソースを目覚めさせることができる。

・もっと自分にとって価値ある重要な問題に目を向ける
多くの問題は、些細なことである。そう感じることができれば、内部表象でも、問題は「小さく」なる。そこからズームアウトし、何が本質的に重要なのか、そこに意識を向ける。そうすれば、より問題は小さくなる。

・問題のレベル、複合的要因
症状が複合的な要因で形成されている場合、一つの問題を解決したとしても、新しい症状が現れる。まるで、玉ねぎの皮をはいでいくような感じで、一つクリアしても、次のものが現れる。表面的な感情を解消すると、もっと深い根本的な感情が現れる。深まっていく場合もあれば、並列的な複数の要因が現れることもある。それらが同時に現れて、複数の意見が交互に主張し、ああでもないこうでもないと、いわば葛藤の状態にもなる。
それぞれに対して適切な手法を適用していく。同時に現れているときは、一つずつ片付けていくのがいい。

・アイデンティティ
究極的には、すべての問題は、自我アイデンティティへの執着に起因する。存在しない架空の「自己」を守るために、必死に苦しみ、怒り、闘い、憂鬱になる。「自己」が存在しない幻想だとがわかれば、それを守るという無益なことをやめる。(このテーマはここではあまり深入りはしないが)

・目標達成へ
以上は、問題を解決するための手法であったが、一方、目標達成を後押しするテクニックも多く存在する。
問題を解消するためには、主にディソシエイト分離脱同一化リラックス冷静沈着といったの要素が中心となる。一方、目標に向けては、アソシエイト価値行動ヴィジョンといったの要素が中心となる。