NLPの特徴としてあげられるのが、以下の点である。
・正常性の研究
・理論よりも方法、正しさよりも有効性
・理論よりも人
・速やかに結果を出す
・過去よりも現在
・クライアントが主体
・真理の追求はしない
・特定の分野に縛られない
・正常性の研究
NLPは、精神異常者の研究ではない。従来の心理学は、精神病の研究を行い、何がおかしいのか、なぜ精神病に至ったかの原因を追及しようとして理論を組み立てる。バンドラーは従来の心理学を批判して、車の修理を学ぶために、廃車置場を調べているようなものだと言う。
NLPは、正常な人、卓越した人、異常から正常になった人の研究をする。そして、それを適用し、異常な人が正常になるように、普通の人が卓越するように手助けをする。
高所恐怖症がなぜ起きるのか、ではなく、高いところでも平気な人はどういう状態なのか。すぐに仕事に取り掛かれる人の内面はどのようになっているのか、などできる人をモデリングする。
・理論よりも方法
様々な事象を分析して、仮説を組み立て、検証し、理論として確立する。その理論からすると、この方法でうまくいく(はず)。しかし理論に誤りがある、あるいは理論が正しくても現実から乖離しているために、そこから生み出される方法論が効果があるとは限らない。
NLPでは、理論よりも、正常な人がどのようにしているのかの方法を重視する。
正しさよりも効果があるかどうかが重要である。
・理論よりも人
NLPは天才セラピストをモデリングしたが、理論ではなく、人に焦点を当てている。そこには理論には現れてこないノウハウがある。あまりにも前提になっていることは理論には出てこない。しかしそこが重要だったりする。
NLPが効果を出すのは、それが、できている人がやっていることと同じことをやるようにするからである。実際NLPのワークは、できている人なら無意識のうちにやっていることが多く、特段目新しいものではなかったりする。
・速やかに結果を出す
従来の治療法では、カウンセリングに時間をかけ、長期間にわたって治療が続く。
脳は情報が急速に流れ込むことによって学習する。恐怖症も一瞬の記憶で形成される。治療する際も、ゆっくりではできず、急速に学習することで行われる。
・過去よりも現在
クライアントの何年にもわたる体験を即座に知り、微妙なところまで知ることは困難だが、行動の構造についてならすぐに知ることができる。どのように問題の状況に陥ったか理解しなくても、現在どのようにしてその症状を起こしているのかが分かれば良い。
過去は変えられないのだから、過去を変えるのではなく、現在現れている記憶を変える。
・クライアントが主体
NLPは、結果にコミットしているとも言える。理論、手順を適用して、結果が出るまでただ続けるというセラピーではない。理論にクライアントを当てはめるのではなく、クライアントを主体にして、柔軟にやり方を変えていく。他の心理療法に比べて、レパートリーは豊富であるし、さらに新しい方法を開発することもできる。
ポイントは、クライアント自身に解決できるリソースがあるという点にある。
・真理の追求はしない
NLP自体は、何が価値があるか、人はどうあるべきかは語らない。通常、宗教や思想や文化によって、人生の目的・意味・価値観は規定されるが、NLPは中立的でノウハウ中心なので、いかなる宗教、思想の持ち主でも活用はできる。いわばコンテンツフリーである。むしろその背景にある構造を描き出すのである。「NLPの前提」というものがあるが、真理ではなく、単に真実だと仮定すると、結果を出すのに役立つ信念というように慎重に述べている。
精神分析や交流分析については、人間の心についてのモデルがある。一方NLPでは、理論としてあるのは、コミュニケーション・モデルだが、誰でも、まあYESだと思えるような直感的でシンプルなものでしかない。
「エコロジーチェック」というものを重視しているが、この内容も本人にとって、全体的に考えてどうかをチェックするものであって、何がエコロジーなのかは規定しない。
NLPはプロセスだけを扱い、コンテンツ(内容)の押し付けをしないモデルであり、考案者の考え方を押し付けるようなものではない。ジョン・グリンダーは特にこの点に厳しく、他のNLPの指導者が開発したワークについてNLPではないと批判する。そこにはあくまでも中立的立場を保とうとするスタンスがある。
そういう意味で「安全」といえば安全かもしれない。とはいっても、人間である。NLP信者は産出される。
・特定の分野に縛られない
3人の天才セラピストを分析することから始まったが、家族療法、ゲシュタルト療法、ミルトン催眠の継承ではないし、心理学を統合する試みでもない。それがかえってつかみどころがない印象を与える。あくまでもセラピストのやっている方法だけを抽出した。
いわばメタ心理学というものである。よって他の心理学とは一線を画す。NLPのテクニックで取り入れられているものの多くは、他の心理療法からの借用で、ある種テクニックの寄せ集め感は否めないものの、結果を出すことに焦点が当たっている点で統一はされている。
適用範囲が広いのも特徴だろう。心理学は、精神障害を治療するだけでなく、学問や仕事、スポーツといったパフォーマンスを向上させる際にも適用できるが、NLPは、どちらかというと後者、精神障害と言っても比較的軽症の人がターゲットになる。なので、ごく普通の人に、セミナーで大々的に教えている。最近はコーチングが盛んだが、コーチングの中でもNLPの手法と共通しているものは多い。
・学問ではない
これらの特徴が、逆にNLPへの批判ともなりうる。理論がない、臨床的な証拠が欠如しているなど。
心理学系の学会からはほぼ無視されている。NLPが引用されることもほとんどない。一方でセラピーの現場では、NLPが取り入れられ、成果を上げている。
逆にNLPではないものは以下の様なものである。
・何が正しく、何が間違っているかを特定、人はどうあるべきか
・思想が入っているもの
・コンテンツが特定されているもの
・方法がないもの
・原因志向
(余談)
とはいえ、何がNLPかを決定する権威はいないし、いたら遂行的矛盾を引き起こす。
全米NLP協会、米国NLP協会、...これらが権威だろうか。ある人は、NLPの創始者のリチャード・バンドラーに対して、それはNLPではないと主張してきたそうだ。
バンドラーは謙虚にも、NLPはわからないことだらけ。わかっている人がいたら教えてほしいと述べている。このスタンスこそがNLPだろう。
これがNLPだと断定したら、NLPではない。
その観点からすると、私がここに書いていることはNLPではない!?
こういう点のパラドックスは、ケン・ウィルバーがポストモダニズムの病理として述べていることと共通するが深入りはやめよう。