【タイトル】 なぜ人は10分間に3回嘘をつくのか
【著者】 ロバート・フェルドマン
【ページ数】 291

 

 


【読むきっかけ】  ビジネスNLPのページにあったおススメ本で興味が出たこと
【何を得ようと思ったか】 嘘というテーマについて前から深く探求したいと思っていたため、その心理学的分析を知ろうと思った点。

【概要】
日常生活に嘘がいっぱいある事実から始まり、なぜ嘘をつくのか、そして以下の様々な観点から嘘について認識を深めていく。
・子供の成長
・生物の進化
・不倫・裏切り
・自己欺瞞
・化粧騙し
・詐欺
・メディアがつくる嘘
・企業の嘘
・インターネット時代の嘘

そして、正直・信頼について認識し、どのように嘘に向き合いあっていくかで締めている。

【対象】 嘘・騙しというテーマについて興味のある人。前提知識は不要。
【評価:★5段階で】
 難易度:★★★
 分かりやすさ:★★★★★
 ユニークさ:★★★★★
 お勧め度:★★★★★

【ポイント(特色・この本のユニークな点)】
嘘についてはこれでもか、というぐらい、本当に多くの角度から分析されている。
「嘘」という一般的に悪とされながらも、場合によっては必要とされるときもあり、なんとも矛盾と言うか、もやもやした感じがあるが、そういった「嘘」についての認識を整理してくれる。

【批判点】
しかし、一方オネスティ(正直さ)については、最後の章のみ一部言及されている。オネスティの功罪についても、もっとページを割いてもよかったのではないかとも思う。

【感想】
一般的に言われている「嘘はよくない。正直であるべき」という倫理的な提言に対して、自分自身常々矛盾を感じ、それをまとめたいと思っていたが、この本ではそういった点のほとんどすべてをまとめてくれていたので、非常にありがたい。著者は25年も「嘘」というテーマを研究してきた人だ。

「嘘だらけの日常生活」と言うと、世も末、この世界がどうしようもなく堕落しているかのように聞こえるが、そういう意味ではない。むしろ生命の進化、人間の知性の向上の一環として必然的に発生してきたもので、単純に排除できるものではない。

人を騙すような嘘と、対人関係の潤滑油としての嘘、自我を保護するための嘘が区別されるべきだが、一方で、どれも嘘であることには変わりなく、失うものがあり、嘘をつかれた側はほぼ例外なく否定的な感情を抱き、被害をもたらす。相手を思いやる嘘など害のないどころか、必要とされる嘘もある。しかし著者は、「罪のない嘘という神話」と断定する。積もり積もれば、信頼を損ない、周囲の世界を思いやりを持ってみようとしなくなる。

嘘をつく側の動機や、些細な嘘の社会的な意味を掘り下げている点は興味深いが、本書では、嘘をつかれる側が、いかにそれに加担しているか、という点もはっきりと示している。
世の中には、「私は嘘を見破れる。騙されることはない」と思い込み、詐欺にあった人を嘲笑する人は実に多い。実際は、この、有能だと思い込んでいる人たちは、実際すでに騙されているにもかかわらず、自分は騙されていないと思い込んでいるのである。

嘘というテーマは、非常に深い。嘘は、他人の視点に立つという認知的能力が必要とされる、つまり知性的な側面もある。また、社交上の嘘、思いやりからくる嘘といった感情的な側面、自己欺瞞、自己呈示といったアイデンティティ・自尊心に関わる側面、真実・虚偽という側面、嘘をつく動機という側面、本当に様々な部分に関係する。
もっと深堀すると、メタモデルや、言語そのものの問題も、嘘と関連してくると思われるが、この本では真偽という側面までは行かず、他人をどう誘導するか、そしてその動機について主に語られている。

人が嘘をつくのは、他人に、自分あるいは自分の主張を正しく理解する時間も能力も限られている、という認識があると思う。
等身大の自分を見てほしいと思うが、他人はそんなに暇ではない。
就職面接のとき、面接者は短時間に相手のことを判断しなければならない。それを知っている面接者は、欠点を隠して、長所を拡大して提示することになる。
仕事上で起きた問題を上司に報告するとき、慎重に言葉を選ばなければ、おかしな判定・指示が出ることになる。
正直に言えば分かってくれるだろうと、社会に訴えれば、揚げ足を取られて、袋叩きに遭う。
この本では、こういう側面は触れられていないが、個人的には重要な要素で、探求する必要があると感じている。

【引用・要約・メモ】

嘘は過ちであるとされているのに、実際にはさまざまな領域で嘘をつくことがルールになっている場合がしばしばある。

社交上の便宜的な嘘
 対人関係を滑らかにする
 相手を安心させる嘘
 相手の意見や気持ちに迎合
  対人関係を気付くためには相手との不一致を避け、共通点を強調。
 嘘は機嫌を取る方法。
 相手に提示する「自己」

 社会的な規準は、私たちの「本当の」感情を表現するよりも重要視される。
 社会的に成功すると、嘘をつく技能には関連性がある
 完全な正直さは、しばしば標準的な社会行動とされるものに真っ向から反する。奇妙に聞こえるが、嘘をつくことの方が正常

お世辞
厳しい真実をそのまま伝えることで相手を傷つけたくないという思いから。
ある種の嘘は、私たちが直面しようとしないそうした厳しい現実から私たちを守る
自発的共犯者の原理:私たちが嘘を見破るのを望まないときがある。嘘つきの片棒を担ぐ根本的な原因。
私たちはだれでも自分が優れていると信じたいものだ。そのため、それを認めているらしい人間には、疑いを持たない傾向がある。
自分のことを褒められた被験者はそれを書いた人物が正直であると信じ、そうでない被験者は懐疑的だった。

自分には必要なだけの能力がないと感じるとき、嘘をつくことでそんな状況を乗り切れる。

利益を得ること、罪から逃れることは嘘をつく動機になる。

嘘つきの優位性:嘘つきがうまく相手をだますのを助ける多種多様な要素。そのおかげで、大量の嘘が気づかれないままになっている。
 数多くの要素が、嘘をつく側ではなく騙される側にある。嘘に気づかないのは、気づきたくないから

嘘を見抜くのは難しい
 嘘発見器の検査官・判事・精神分析医・警察といった、嘘を見破る専門家として訓練と経験を積んだ人々の嘘発見能力は一般人と同程度だった。
 嘘を嘘と見破ることは練習のしようがなく、習得するのは非常に難しい。暗闇でゴルフの練習をするようなもの。会話の一言一句に注意を払って真実かを見極めようとしても、嘘をついたかいちいち相手に尋ねることものできないし、相手はさらに嘘を重ねるかもしれない。
 視線をそらす、足を組み替える、手の指で机をコツコツ叩く、顔が赤らむ、汗をかく、などが人が嘘をつくときに発する明らかなシグナルとされている。数多くの研究者が実験をして、結果として全員が、視線を逸らすことは嘘をついていることを知らせるシグナルではないと結論付けた。ポリグラフを受けるときに極度に緊張していれば、反応は機械上では嘘をついているときと同じように見える。真実を話しているのに精神的な動揺を示す反応が出ることがある。うまい嘘つきほど驚くほど冷静さを保ち、自分の嘘を暴露してしまうような生理学的反応を全く示さない。
 
 嘘を見破るための信頼できる身体的手掛かりがないことは、「嘘つきの優位性」に二つの点で貢献している。
 第一に、嘘をついていることを示す万国共通の行動は存在しない。大半の人は、嘘をつくときに特別な行動をとることはない。したがって、嘘を信じさせるのはより容易になる。
 第二の、もっと微妙な点は、嘘を見破るための身体的な手がかかりがあると私たちが信じていること。存在しない警報ベルが鳴るのを待って、それが聞こえないので、間違った結論に達してしまう。

真実バイアス

自分は騙されないと決め込む。相手の言動にもとづいて客観的に判断するのではなく、その人が真実を語っていると信じ込んでしまうことを意味する。
真実バイアスは日常のやり取りをシンプルにしてくれている。他人の発言が真実かどうかいちいち確かめるのは、大量の心的エネルギーを必要とする。そこでできる限り心的エネルギーを節約しようとする。認知的節約家なので、真実を確かめようとしないのだ。

幼い子供は私たちが期待するほど正直ではない
嘘つきは人口統計上の特別な集団に偏ってもいない。上層・中層・下層の社会階級に関係なく、子供は嘘をつく。男の子も女の子も、知能指数にも関係なく。あらゆる文化に属する子供が嘘をつく。
両親がルールを定めていてそれを破ると罰を与えられるのだと理解し、それと連動して嘘をつくようになる。
親が嘘をつくのを、子供は目にする。正直は大切だと教えるが、彼らは観察や経験から不正直が社会生活の重要な一部分だと学ぶ。

嘘をつくには、人が真実だと考えていることは現実の真実とは一致しないというさらに複雑な形の信念を理解する必要がある。
嘘をつくことは認知能力の重要な指標となる。
発達障害を抱えている子供にとっては、嘘をつけないのはその障害の症状のひとつだとみなされうる。他人の感情を認識して対応することが困難だったりする。嘘をつくためには、二つの異なる見方が同時に存在しうることを理解しなければならない。もともとは正直そのものだった自閉症の子供が、うまく嘘をつけるようになると、それは症状が改善したからだと考えられる。正直は善であり嘘は悪であるという考えは、ここでも否定されている。
社会的能力が高いほど、うまく観察者を騙している。
ただし、嘘がうまいから社会的にうまくやっているのだと決めつけることはできない。
嘘は子供の発達においてありがちな特徴だが、ひどい嘘つきにならないように育てることは可能だろう。

自然界のあちこちに嘘が存在する
嘘は生存や子孫繁栄のために有利な特質だと証明されている。
自然界で多種多様な騙しが頻繁に起きていることは、生存と生殖をかけた偉大なゲームのなかで、騙す側に有利さをもたらすからにほかならない。ただしだますという狡猾な行為を実行するのには、大きな脳は必要ではない。これらは知性とは遠い生き物。人間の嘘は融通が利き、想像力豊かで、しかも状況や環境にはほぼ関わりなく使える。
一部の科学者は、人間の嘘は進化がもたらした機能であるだけでなく、その背後にある原動力であると信じている。
騙すこと自体が有利な特質であると証明されるならば、それを見破る能力もまた有利な特質だろう。より狡猾なホタルが登場し、そのうちに自然選択の結果、またより一層洞察力の鋭いホタルが登場する。競争はそんな具合に続く。
嘘つきとそれを見破る必要性とをめぐる進化上の戦いは、人類の心の能力をますます高めていった。

認知的不協和:

同時に二つの矛盾する考えを抱いて葛藤が生じるとき。
解決するために、矛盾する考えのいずれかを変化させる。=自己欺瞞

セルフイメージの保護
自分自身についての考えと矛盾する情報との接触を最小限にする。

自分の視点へのバイアス
ネガティブな結果は運が悪いせいで、ポジティブな結果は自分の能力の成果

自己欺瞞は楽観主義でいるのを助けてくれる。成功すると信じればいろいろな形で実際の成功を導くことがあきらかにされてきた。
自分の成績について実際よりも上乗せして答えた学生は、概してその後の成績が上昇した。つまり自分の嘘を本当にしたのだ。

散発的な悪意の行為を見逃す能力は、社会全体にとって役立つと証明。犯罪を繰り返す人間は除外されなければならない。だが、欠点はあるが機能している関係を終わらせることは、欠点も含めたままで続けるよりも害が大きい。他人の異常な嘘や盗みのみを拒絶することを第一義として人間関係を築けば、社会全体はおおむねうまく機能するというモデルだ。

自己欺瞞にはリスクがあることもまた事実だ。嘘は損失と利益の両面を持つ。
嘘とともに生きる第一歩はそれに気づくことだ
自分の心の死角の存在について知るほど、私たちはそれをよりうまく埋め合わせられるようになる。

化粧騙し
ブラインドデートの成功とは、理想の相手を誘惑することだ。となれば、正直であることよりも相手に好印象を与えることのほうが重要になる。
相手が魅力的であればあるほど、嘘も多かった。被験者たちは恋愛対象との類似点をこしらえたのだ。
現実の自分に欠けているものは嘘によって隠すことができる。
選挙戦では自己呈示は非常に重要だ。特定のイメージを作り出せるかどうかが焦点になっている。

作為的な嘘
相手を害することを意図
だます喜び:嘘をついても不安を感じないどころか、むしろ楽しいと感じる人々。一つの業績と見なされ、うまくやってのけたという誇り、相手に対する独りよがりな軽蔑とともに、喜びを感じる。
カードゲーム、ブローカー:はったりを利かせる。出し抜こうとすることにスリル。作為的な嘘と紙一重。

詐欺
カモは自分が本当に大金を拾ったと信じたいのだ。
大金を手にする夢を実現したいという、意識的あるいは無意識の願望こそ、詐欺師が利用するものだ。成功する詐欺はカモと詐欺師との共同作業の成果なのだ。

事実というブランド
自伝の大部分はフィクションの手法を多用している。そうしなければ、現実の人生の濃密さや曖昧さからストーリーを引っ張り出すのは不可能なのだろう。

企業の嘘、職場での嘘
仕事上の嘘が避けられないものであったとしても、自分たちがどんな嘘をつき、どんな嘘を受け入れ、どんな嘘を無視するかは、自分たちでコントロールできる。

ネット・オネスティ:オンラインの嘘に関する認識
オンライン上では、真実は変化しやすく、事実は信頼がおけず、だれもがそれを知っているという認識。

ラディカル・オネスティの運動
もし純粋に正直な世界があるとしたら
もし真実が残酷なら、あなたもまた残酷になる必要がある。
嘘をつくのはよくないことだ。だが、真実もまた、必ずしもよいこととは限らない。うぬぼれも、欠点も、似合わない髪型も、ちょっとした無駄遣いも、すべてが白日のものにさらされるような世界に、本当に住みたいだろうか?
たとえつねに正直でありたいと思ったとしても、私たちはつねに真実を語っていると確信できるほど自分の本心を知っているのだろうか?
嘘に対処する鍵となる要素は、嘘の大部分は善意によるものだと理解することである。人は相手の心を守るために嘘をつく。互いに築いた絆への忠誠心から嘘をつく。そして、相手がじつは嘘をついてほしいと思っているのだとわかるから、嘘をつくことも非常に多い。

優しい嘘の使い方を理解するのが重要である一方で、嘘は結局のところ害がないのだと片づけてしまうべきではない。嘘は便利であり、真実よりも優しい場合もあるが、それなりの対価を必要とすることがある。

用心深く真実を求めることは、とても重要である。嘘には数多くの効用があるかもしれないが、正直さを認めることにもまた同じように効用がある。

AHA(アクティブ・オネスティ・アセスメント)
嘘に敏感になって「嘘つきの優位性」を最小限に抑え、騙されにくいようにする。
真実を発見したときの喜び。

言われたことはすべて嘘の可能性があるという認識を常に忘れないでいることだ。
もし本当に確かめたいと思ったら、確かめる。確かめる価値などないものもある。
不確かさにもっと安心感を持てるようになることだ。何事も割り引いて聞くことに慣れなければならない。

日常生活の嘘に対処するには、安心をもたらしてくれる嘘に頼るのはやめなければならない。
たとえ少々傷ついてもれっきとした真実が知りたいとき、それを相手にできる限りはっきり伝えることはできる。たとえそういう頼み方をしても、人間は認知能力を駆使し感情的リスクを冒して真実を伝えようとはせず、嘘をつくことがあることは知っておくべきだ。

だれが真実を語っているのか知ることなどできないと、私たちは認める必要がある。それを認めていながら他人を信じるのかが、信頼なのだ。

私たちは、全員が嘘つきなのだ。

真実には価値がある。
自分が口にすることを注意深く吟味することだ。
完璧に正直になるときも、嘘をつくときも、できる限り注意深く選ぼう