洗濯物が 早く 気持ちよく 乾くようになりました。

何が起きても、何もしてなくても

時間や季節は どんどん巡っていきますね。

 

 

私の通っていた小学校近くの 唯一残っている田んぼに

れんげがいっぱい咲いてて どこかホッとした春先。

 

 

3月のお客さまには お雛様のお土産を。

 

  

3月3日の当日は、S様とN様に 当日限定特別のお菓子で おもてなし(甘酒)。

 

 

地元である寝屋川市駅前の遊歩道に たくさんの鯉のぼりがいた初夏。

ずいぶんと 駅も、駅周りも綺麗に なりました。

 

花も 緑も 風も 太陽も 空も 空気も

みんな 巡り巡ってるから

季節を感じられるのですよね。

 

ブログから離れていた間(3月)に

私は ひとつ歳を重ね、

「ゴ―ゼロ」(50歳)に なりました誕生日ケーキきらきら

 

私の副鼻腔炎が 飛行機の気圧に

耐えられるかどうかということで、

節目の歳である恒例の海外旅行を諦め・・・えーん

 

船で 別府温泉へ 行ってみました。

 

初めての船旅&別府旅行記を 遅ればせながら

アップしようかとしているうちに 九州に地震が。

 

大分県も 被害がありました。

「楽しかったですよ~♪」 とは

アップ出来ませんでした。 

 

5年前の韓国旅行の時も

3.11の東日本大震災と 重なりました。

この時も 旅行記をアップしていません。

 

そう考えたら、春に多いんですかね 地震って。

 

(阪神淡路大震災の1月17日は立春前ですが )

 

 人間50年
 下天のうちをくらぶれば
 夢幻のごとくなり
 一度生を受け
 滅せぬもののあるべきか

 《織田信長公記》

→人の世の50年は、天界の時間と比べれば

 一瞬の夢のようでしかない。

 生を受けた者は、いつか必ず死ぬ。

 この あっという間に、何ができるか 何を残せるか。

 

 子曰、「吾十有五而志乎學、

 三十而立、四十而不惑、

 五十而知天命、六十而耳順、

 七十而從心所欲、不踰矩」

 《孔子の論語》

十五で勉強(学問)に目覚め、

 三十で自分が置かれた場所で

 やってゆくべきことを認識して(自信)、腹をくくって歩み始め(自立)、

 四十になって迷うことなく(戸惑いが消え)

 五十になって自分の天命が何であったかを知る(天の使命を自得)。

 六十になってやっと人の言うことを素直に聞くことが出来るようになった

 (どんな話が耳に聴こえても、動揺したり腹が立つことはなくなった)。

 そして

 七十になってやっと自分の思うことを道をはずさないように振舞うようになれた。

 (自分のすべての行動が道徳の規範から外れることはなくなった)。

 

こうして解釈してみると、

まだまだ これからだと 感じます・・・。キョロキョロ

 

しかし、50まで

「十五の学問に目覚めた」以外は汗

なんとなく そうなっているかもチュー

 

60歳、70歳も そうなっているように

歩んでいきたいですニコニコ

 

きっと、あっという間ですものね。

 

自分に 何が出来るのか。

何を 残せるのか。

 

ゴ―ゼロになったからこそ 感じることがあります。

 

アレと アレとアレと・・・

アレもアレも 残したい。

 

(アレアレ詐欺にならぬよう、注意 笑)

 

そう思いながら、

昨日やっと 思い切れました!

 

 

 

髪を 30cm 切り、

サッパリ、心機一転☆

 

萬田久子さんから 真木よう子さんへと。。。

(わかってます、どちらも土台が違い過ぎてるってえー

 

やはり、姉に 似てるなぁ・・・照れ

 

予防セラピスト 今村京子


 

 

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