ブログに学ぶ | えっせの自分探し

えっせの自分探し

日々の出来事、

好きなもの、

きらいなもの、

熱中してること

などなど、好きなことを書きなぐってマス!

日常のありきたりな生活をしていても、たまにこちらが言った事、取った態度なんかを、こちらが意図していない方向にとらえていく人がいる。

なにせこっちは、そんな心積もりはないものだから、勝手にとらえられていく「私」にびっくりしたりする。


もっと驚きがつまっているのが、この「ブログの世界」

ま、文字だけで全てを伝えよう、というのがそもそも無理なことなのかもしれないけれど、こちらが言いたいことが全く伝わらなかったりする。それは、悪いことなんかじゃなくて、とても興味深いことだと気がついた。


それぞれの人の経験してきたことや、固定観念、その時のこころの状態で、こちらが発信している言葉を、勝手に変換する。もしくは、自分の都合のいいところだけを受け取る。たまに怖いほどに。


私のブログは、もともとがネガティブなところからスタートしているので、仕方のない側面もあるのだが、私が幸せなことを書くと「あなたはいいわよね。一人で使えるお金があって」といった具合でコメントが返ってくる。辛いこと、不幸なことを書くと「わかる!わかる!でも、あなたはまだいいほうよ」とくる。


私は日々あったことを書いているだけでも、勝手に解釈されている。

最近強く感じるようになったのは、皆、自分よりも「かわいそうな人」を探しているんじゃないのか?ということ。自分と同等か、もっとかわいそう、と自分で勝手に決め付けた人のブログを読んでいるんじゃなかろうか。そして勝手に安心している。


「この人は私よりかわいそうな子」と決め付けられた私が、楽しそうなブログを書いていても、その行間から無理矢理不幸の影を探し出そうとする。探せない場合は「あなたはいいわよね」と突き放され、嫉妬される。なんだかとても不思議な世界。嫉妬している暇があるなら、もっと自分の生活を見直してみればいいのに。私だって、暗いところだけ見ていれば暗い生活になるけど、そこばっかり見ていても仕方ないと思って、見方を変えているのに。


確かに私は配偶者がいない分、自分で稼いだものは自分の思うとおりに使えるけれど、逆に言えば自分で稼げなくなったら餓死まっしぐらということ。給料を好き勝手に使えていいわよね、と勝手に羨むのならば、やってみればいいのだ。「私には子供もいるし、手に資格もないし、そんなことできないわ」と言って、不平不満だらけの配偶者の影に隠れていないで、自分が表に立って自分は自分の看板をひっさげて、歩んでみればいいのだ。


配偶者の影に隠れている辛さもあるだろうが、自分の道を自分で切り開いていくのだって辛いこともある。ブログの世界はまさに「となりの芝生は青い」世界だとつくづく思う。全てを自分の杓子定規で測ってしまうのではなく、少しでいいから想像力を働かせて欲しい。


顔がみえないブログだからこそ、「全てのことは、その人独自のフィルターを一度通ってから、判断される」とよく分かる。ということは、実生活でも、あれこれ色々と言う人もいるが、それはその人がその人の価値観で勝手に判断していることであって、他人が私につける価値観はあまり意味がないのだ。一番大切なのは、自分が自分にどんな価値をつけるかということ。