毎日電車に乗るが、乗車マナーの悪さにはいつも驚く。特に驚くのが、「もう少し詰めれば良いのに・・・」という状態。わかるだろうか。要するに、座っている乗客同士の間が少しずつ空いているので、意識して詰めれば楽に1人入れる状態。例えば、10cm以上の間隔で余裕の座り方をしている人たちは珍しくない。

 これは間隔というより、〝感覚〟の問題だろう。もちろん、社会人としての感覚。電車の座席は公共物だから。したがって、荷物を置いたり、脚を広げたり組んだりする人は、それ以前の問題。座席は荷物置き場ではない。また、脚の長いのを自慢する所ではない。

 実は、乗車マナーの悪さには、もっと恐ろしい感覚が潜んでいる。それは、自分以外は人ではない、という感覚。自分が座っているのならば、他にも座りたい人はいるはず。別に席を譲る必要はない。気を利かして詰めればよい。こんな単純な心も働かないということは、 他者の存在がまったく気にならないという精神状態。

 乗車マナーの悪さは、この点で単なる〝悪さ〟ではない。電車という公共空間は、皆同じ権利を持って利用しているということを忘れてはならない。