今では大分良くなりましたが、私はかつてはひどい過換気症に悩まされていました。

そのことをかいつまんで書いていきたいと思います。

 


 初めて症状が出たのは25歳くらいのときだった。体の中から二酸化炭素がなくなってしまうその症状は、全身の力が抜け落ちて立っていられなくなる。横に なっても気持ちが悪い。原因はやはりストレスのようだ。母は、弟の結婚がショックだったのではないかと思っていたようだが、私には仕事上のストレスだと分 かっている。当時私は、上司に相当嫌われていた。

 私には出世欲がなかったし、仕事も好きではなかったから上司を立てることもなく、実に扱いにくい部下だったのだろう。頻繁に転勤を繰り返し、一つの部署 に落ち着くことがなかった。どこに所属してもいい仕事は出来ず、そのうちに神経が壊れた。入社9年目にはとうとう会社を休まなければならないほどに酷く なってた。

 一ヶ月ほどで体調を取り戻したが、一番困ったのは電車である。必要以上に過敏になり、人ごみが苦手で閉所恐怖症になった。電車のドアが閉まると途端に恐怖が襲い掛かる。ドアが開くと一旦落ち着きを取り戻す。その繰り返しで数年を過ごした。結婚し関西にきて、症状はますます酷くなった。電車を見るだけで眩暈がするなんて。それでも私は頑張って電車に乗って出かけていた。

 私は諦めたのだ。この病気とは一生付き合うしかない。薬もないのだし、治せる見込みはない。運がよければ電車に乗れることもあるし、たとえ乗れなくても死ぬことはないのだから。そして、症状が起こるのは、乗り物の中と決まっているのだから。つまり殆ど気の病なのだからと。

 ふと気づくと、いつの間にか電車に乗れるようになっていた。今でもごく稀に不安を感じることがあるが、ちょっとした気分転換ですぐに吹き飛ばせるほどに なった。私の場合、電車のドアが開くと一瞬のうちに安心できるので、病気というには少し大袈裟かもしれない。
 

 気の病は治らない。その代わり、気分次第で良くも悪くもなる。安心して暮らせるならば、気の病とは縁が薄れていくものだ。安心して暮らせるヒトは、気の病にはかからないのだ。
 

 

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