

*~*~*~*~*~*~*~*~*~
こんにちは
随筆家 月麦(つむぎ)
です😉
↓第2回目↓
続いています😁
前回は
私の
「頑張りすぎ」
や
「人見知り」のルーツが
2,3歳児頃の
見捨てられ不安と
学生時代の裏切りの痛み
に あったことを
お話ししました
今回は
その孤独な頑張りを
「絶対に止められなかった理由」
つまり
私自身の 意思 を越えた
「家族の重荷」
ついて 深くお話しします
💔 「成功」の裏側に潜む
悲しい 世代間連鎖
心理カウンセラーでもある
友達との
対話の中で
私は
母と姉の人生を
語りました
そのとき
私の中で
バラバラだったピースが
一つに繋がったのです
母は
戦後生まれ
母が2歳のとき
病気でなくなった
実母の記憶がなく
義母に育てられ
10歳 離れた 姉
養子の 義兄
義母と姉の不仲
父(私の祖父)の
妾 のために
大学進学を 諦め
就職しました

この家族の歴史は
私に
「無条件 の 安心 の 欠如」
という
悲しい連鎖
だったのです💧
母もまた
幼少期に
「無条件の愛し方」
を 知る機会がなく
私に
「頑張り」を条件
とした 愛情を
求めてしまった
ようです💧
👑 優秀な姉が課した
無意識のプレッシャー
さらに
実感は ないのですが
姉の存在も
私の苦しみ
だったようです💦
姉が
「最高の成績と成果」で
母の誇りであったことは
私の中で
幼い頃からの
「自分の価値は成果で決まる」
という信念を
決定的に強化されました
「 姉と同じか
それ以上に
完璧 でなければ
私は
母に
見てもらえない!
喜んでもらえない!
褒めてもらえない!
価値がない… 」
この強烈なプレッシャーが
私の
完璧主義と過剰な努力の
最も強い燃料と
なってしまいました
私は
「母の期待に応え
家族の苦労を償う」
という無意識の役割を
背負い込んだのです
😆

🪨 私を縛った
「償い(つぐない)の鎧」
多分
娘の死で
パーキンソン病になった
母の姿を
目の当たりにした私は
無意識のうちに
「自分が
この家族のすべての苦労を
背負い
頑張り続けなければならない」
という
「償いの鎧」を
身にまとったようです
😭
私が
姉の亡くなった歳の
誕生日を迎えるとき
「姉の分まで 楽しい人生を生きる!」
と
心願したのは
「姉が 果たせなかった
成功を
私がつかむ 」
という
無意識のプレッシャー
から 来ていたのでした
私が
週末に動けなくなったのは
この「二世代のトラウマ」
と
「姉の悲劇の償い」
あまりにも重すぎる荷物を
私の心が
もう持ち運べないと
悲鳴を上げたサイン
だったのです
💚 あなたはもう
背負わなくていい
友達からの
この気づきを得たとき
私の中の重い鎖が
外れました
🌈🌈
「月麦、あなたは
もう 誰の苦しみも
背負う必要はないよ」
「大変だったね」
「頑張ったね」
😭😭😭
あなたは どうですか?
今 疲弊しているなら
それは あなたが 家族のために
十分すぎるほど
尽くしているから
ではありませんか?
次回は
この重い鎧を脱ぎ捨て
私が自分自身に贈った
究極の「無条件の安心」の言葉
と
その言葉が
私の心にもたらした
変化について
お話しします😊
【次回予告】
【自己愛宣言】頑張りすぎの
鎖を断つ
「無条件の安心」の言葉
更年期障害を言い訳に😎
不定期の投稿ですが
フォローしていただけると
とても うれしいです😉

