国語力

柚子

 長かった夏休みが終わった。例によって最後の数日間は子どもたちの宿題の進行状況にやきもきする毎日だった。私に似てダラダラと締め切りを守らず、提出日を過ぎても何食わぬ顔の長男はさておき、拙速ではあるが時間厳守がモットーの次男でさえ、膨大な量の宿題に追われて八月末日まで苦しんでいた。最後の最後まで残してしまった課題は“税についての作文”だった。全国国税貯蔵組合連合と国税庁が主催している中学生対象の作文募集に応募するらしい。はなからやる気のない息子は母親頼みを匂わせるが、「私が書いたら内閣総理大臣賞、取っちゃうから駄目だよ」と嘯いて相手にしなかった。「そこを中学生っぽく書き換えてなんとか!」と、再びお願いされたが、なんで私がアンタの宿題をやらねばならんのだ、と一蹴して断った。とうとう彼は存分にインターネットを活用し、知識の書き写しに時間を費やし、難を逃れたようだ。

 ほとんどの小学校では既に高学年で英語の授業が始まっている。二〇一一年(予定)小学校英語必修化に向けて、小学校ごとに色々な試みが行われているようだ。特にその指導要領の中で、英語は教科ではない、と謳っていることに注目したい。私立中学校入試の学力検査に英語が課せられることのないよう配慮したものなのか、成績には全く反映されない。したがって教科書は使わず、指導者に教員免許は必要ない。なので、教員免許はなくとも、私のような小学校英語指導資格を得た者なら誰でも(チャンスさえあれば)教えて良いことになっている。

小学生に英語教育が必要か否か、今までも活発に議論が行われてきたが、結局のところ平行線のまま賛成派と反対派の間をとった中途半端な形で進められているように見える。英語を母国語とするネイティブの講師を雇い、本物の発音で、生徒たちに楽しく英語の時間と異文化を共有するのが、それまでの理想であった。しかし昨今では、ネイティブ指導者の質の低下が見られるということで、指導教育が徹底している日本人指導者に目が向けられてきている。

 

流暢に英語を話すフィリピン人の友人、マリアンは、同国の友人同士の会話はタガログ語である。彼女にフィリピンの小学生はどんな授業をしているのかを訊ねると、国語(タガログ語)の教科以外はすべて英語での授業だという。その英語力を生かし、卒業後は海外へ出て仕事に就く若者が多い。国内での就職は職種が限られている上、仕事に就いたところで、満足のいく賃金がもらえないからだ。ならば海外へ、と優秀な人材が続々と流出してしまう。そして人材不足はさらに国の経済低迷を厳しいものにする。

1946年に独立したフィリピンは、それまで植民地支配をしていたアメリカの影響を多大に受けている。フィリピン独立の際にアメリカが制定した教育制度には、①7―7―4制の教育体系、②初等教育無償化、③師範学校の設置、④英語による教育 などが盛り込まれていた。ここでふと考える… 日本の戦後教育改革で、この④番にある“英語による教育”が導入されていたとしたら、いったい今、どのような日本国になっていたのであろうか、と。

「日本の次は中国かな」と漠然とした未来予想図を私にそっと語るマリアン。就職難とはいえ、一応一通りの職業選択肢があり、それなりの賃金を得られる日本にいると、彼女たちの実態はひどく悲哀に満ちたものに感じてしまう。いや、それは単なる「驕り」と捉えられるかもしれない。それでも、母国で満足のいく仕事が得られることは、十分幸せなことに違いない。

英語が公用語になるということは、自分の未来の延長線上に様々なチャンスや可能性が増えるということだ。だが逆に(言い方は適当でないが)簡単に母国を捨てられる、ということにもなる。もし日本もあの時点(GHQによる統治)で、英語を公用語にしていたとしたら、これだけの産業の発展は成し得なかったかもしれない。日本語を守る、ということは国を守るに等しい。母国語の衰退は国の衰退に比例してしまうようだ。

とはいえ、このまま小学生がカードとゲームだけで、週一回の英語の時間を費やすだけで、果たして良いのか? と思う。「英語嫌いを作らず、中学英語への移行をスムーズにするため」だけでは、もどかしくて仕方ない。大人になって苦労して英語を学んでいる身の上には、小学生のずば抜けた記憶力と吸収力、そして有り余る自由時間が、羨ましくてしかたないのである。