わたしは毎日、お店で「あしたのジョー」になる。シャッターを降ろし、鍵を閉め、トイレに入る。十五分ぐらい寝てしまうのだ。「燃えつきたー」灰のように白くなり、立ち上がれずに、そのまま時が止まる。

  いやいや、立つんだ。

  きょうは買取り本が多かった。

  明日には棚に並べたい。

  本を一冊でも多く磨かなければ…

  帰ったら、弁当作りも待っている。

  「立つんだ、ジョー!!!」

息子が高校に入学し、お弁当作りに情熱を傾けている。中学生の時は学校生活に、あまり関わりをもてなかった。せめてもの罪滅し。

学校は好きだが、勉強はあまり好きではない息子にエールを。食が満たされると、テンションがあがる息子なので、料理が得意ではないけれど、頑張る。

五月○日()

五色弁当

 合い挽き肉+しらたきみじん切りしょうが風味のそぼろ煮 いり卵 ピーマン炒め

焼鮭ほぐし ハムの小角切炒め

かぼちゃの煮物 ほうれん草のおひたし

五月△日(火)

 手作りハンバーグ 簡単デミグラスソース

 ブロッコリー プチトマト きゅうり

 レタスちくわじゃこ炒め さわら焼き

大したメニューでもなく、お恥ずかしい。

週に三~四日は深夜まで残業し、帰宅してから一時間半ぐらいかけて作る。寝るのはおおかた三時ぐらい。起きるのは六時二十分ときまっている。四時間寝ることができれば、御の字だ。

 月曜日から土曜日まで、めいっぱい働いているので、唯一の休みの日曜日は、十五時間~二十時間も昏々と眠り続ける。家族が脅えるほどの大きな寝言を叫び、その声で二~三度は目が覚める。でも、再び昏々と眠りつづける。目が覚めるたび、違う夢を見るらしく、寝言はいつもキョーレツなことを言っているそうだ。

 ご迷惑をおかけいたして、痛み入ります。寝ていてまでご迷惑をかけ、恐縮です。

 土曜の深夜、帰宅するときは

「山谷ブルース」を口ずさむ

♪今日の仕事はつらかった

あとは焼酎をあおるだけ

どうせ どうせ 山谷のドヤ住まい

他にやることありゃしねぇ♪

……と、ここまで書いて、鉛筆が止まる。

はたして『F』に相応しい文章を書いているのだろうか。思考も止まる。

 眠くて朦朧とした頭と体で、リルケの文庫を探す。

『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』

ライナァ・マリア・リルケ 高安国世訳 新潮文庫を手に取った。詩作に対しての忠言の文章に目が止まる。

 あなたの悲しみや願いや、過ぎ行く思いや、何か一つの美に対する信仰などをえがいて下さい。―それらすべてを、熱烈な、しずかな、謙虚な誠実さをもってえがいて下さい。

 そして自らを表現するために、あなたの身のまわりの事物を、あなたの夢の中の姿を、あなたの追憶の対象を用いてください。もしあなたの日常があなたに貧しく思われるならば、その日常を非難してはなりません。あなた御自身をこそ非難しなさい。

 創作する者にとっては貧困というものはなく、貧しい取るに足らぬ場所というものもないからです。そして、たとえあなたが牢獄に囚われの身となっていようと、壁に遮られて世の物音が何一つあなたの感覚にまで達しないとしてもー

 と、夢中で心に留まった文章にメモを走らせた。「熱烈な、しずかな、謙虚な誠実さをもってえがいて下さい」「たとえあなたが牢獄に囚われの身となっていようと、壁に遮られて世の物音が何一つあなたの感覚にまで達しないとしてもー」という文が、頭の中でリフレーンする。そしてリルケは続ける。

 それでもあなたにはまだあなたの幼少時代というものがあるではありませんか。あの貴重な、王国にも似た富、あの回想の宝庫が。そこへあなたの注意をお向けなさい。この遠い過去の、沈み去った感動を呼び起こすようにお努めなさい。あなたの個性は確固としたものとなり、あなたの孤独は拡がりを増し、一種薄明の住居となって、他人の騒音は遠く関わりもなく過ぎて行くようになりましょう。

―自らの内へおはいりなさい。

 写経をするかのごとく、噛み締めて書いた。リルケの文庫を読み返したのは、二十年ぶりぐらいだろう。

 なぜ リルケ?

自ら問いただす。

朦朧とした脳→違和感に気づく


わたしの記憶装置が動き出す


そして、リルケの文庫を探す


必然的に導かれた


随筆(エッセー)を書くということは?


―自らの内におはいりなさい。

「自分と真摯に向き合い、自らの問いを生きて、自らの真実を導きだし、それをえがくということですか? リルケ先生」とリルケに

畏れ多くも手紙を出したい気持ちになった。畏れ多くも、それが素直な気持ちである。

書き捨てるように書いてしまった文から、心の推移までを、書き損じにせず素直に記してみた。ヒリヒリするような痛みを感じる。自分の生活ぶり、「意気」ではあるが、「粋」じゃない。野暮天だ。書きたいことは山ほどあるのに、まとまらない。リルケの本を手にしてよかった。もう一度、書くということを、突き詰めて考えたい。

今回は、お店をやっていると、十代から八十代の老若男女の方がいらっしゃるので、様々な持ち込まれる相談について書こうと思った。本の相談はもちろん、様々な悩みを聞く機会が多い。子育て、人間関係、嫁姑、介護、就活、仕事、恋愛相談まで、美容健康問題以外の万相談屋の様相を呈する。悩みを聞いていると世相が見えてくる。絵本についても論じたい。もう少し、生活を変えないと、何の余裕もなく、突き詰めて考えられない。わたしに一番足らないのは、“心の余裕”かもしれない。次回こそ、形になる文章にしたいと思う。本を読むことは大好きだが、自分の内的なものを表現するということが、いかに難しいか、痛烈に自覚してうなだれた。

お店も文章も自己表現。自己満足や良心の押し売り文章は避け、ユーモアを持ち続け、日常の事柄を“冷静な対応”で見つめ直してみよう。