クスノキの下で。。。part④ | ☆えすぎ・あみ~ごのつづりもの☆

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前回UPした「クスノキの下で。。。part③」で、

<こんなことがありました噺★小学3年生編>その②は、

つらつら思い返して、合奏コンクールで生PIANOソロを弾いたのは、

小学4年生、が正解でした。

記憶違いで申し訳ないです<m(__)m>

3年4年の二年間連続で担任が故村上一郎先生という恩師だったから、

時系列のみの勘違いです。

 

 

 

今回は、記憶が確かで、まちがいなく小学3年生編、です。

 

YAMAHA音楽教室を作曲演奏発表会で卒業する、少し前。

年生になる春休みに書いた、「ねこやなぎ」という詩が発端でした。

1,2年時から「ひとりごとノート」という自由形式の作文を推奨している学校で、

今でいう<Twitter>を紙の上でやってるようなもんです。

で、文章書くの好きなんで、その流れで、3年生以上に推奨されてる

「自由勉強帳」に3年になってから「ねこやなぎ」を、いわゆるUPしたわけです。

これは、何でもいいから宿題以外に何か勉強したことを書いて、

先生に不定期に検閲されるんです。自主学習ですね?

 

 

もともと作詩や作文が好きで、特に自信作というわけでなく、

出来たものを自由勉強帳にUPしたぐらいのきもちでしたが、

一郎先生がいたく気に入ってくださって。。。

あんまし覚えてないけど、冬の終りごろじっと耐えてたネコヤナギのつぼみが、

ほんとにネコが丸まって寒さ凌いでるみたいに、

そろそろかな、、、って時期を伺ってるみたいに見えたから、

そういうことを当時の自分なりの表現で書いた、、、ように記憶してます。

 

で、検閲した一郎先生が、He said that...

「○○さん。今日からこのノートには、算数や理科の勉強はしなくていい。

それは宿題と学校の時間割の間だけでいいから。

今日から、毎日思ったことや感じた事、人に言われて大事だと考えた事、とか、

文章で書きなさい。

詩でも作文でも、メモ帳代わりでも、何でもいい。日本語でなくてもいい。

毎日あったら毎日書いてみなさい。何にもなかったら毎日でなくてもいい。

とにかく、それだけこの自由勉強帳に書いてみなさい」

 

 

たぶん他の生徒には、それぞれ違うことをおっしゃってます。

 

 

とにかく、言われたようにやってみました。

そういう意味では素直に受け取る子供でした。

なんかわからへんけど、きっと私の為になるんやわ。。。

と、思ったから。

 

 

一番最初のpageに書いた言葉。覚えてる。

「Where there is a will , there is a way 」

誰が言ったのか、格言かことわざかも知らないけど、

当時からこの言葉の日本語訳を知ってから、好きでした。

意訳すると「意志のある所に、未来は拓ける」という感じです。

けっこう座右の銘に使われるフレーズですよね?

 

LET IT BE じゃなかった。。。

 

他に1ページ目に思いつかなかった、というのが正直なところだけど。

だからって、ずっと英文書いてたんじゃなく、

普通に日本語の文章をほぼ毎日書いてました。

横書きの方がスラスラ出て来るから、

国語の勉強以外は、横書きで左から右へノートを1冊1冊使い切りました。

一郎先生は咎めませんでした。

理由を聞かれた時も、「自由勉強帳は左から右へ使っていくし、

文章書く時だけ右から使いたくない。最後のページで終わりたいです。

お父さんも仕事の勉強してる時、日本語を横書きしてるから」

一郎先生は「国語の勉強は使い分けてるから、問題ないね」

と、笑ってました。

 

そのうち、面白がってたまに3ページ先から縦書きで右から左へ書いて、

きっちり3ページで終わる様に書くのもやり始めました。

単に思いつきなんだけど、むしろ、

受験生の頃には小論文を書くことが全然苦じゃなくなってました。

 

 

 

^---そんな遠い先の受験生に成る前に、

小学3年4年の間に、読書感想文コンクールで、

京都府知事賞と府三位を頂きました。

ちゃんと成果が表れたんです。

本人好きでやってるから、別に努力して勉強した感はないです。

 

たぶん、英語や受験勉強も、そういうもんじゃないかな。。。?

 

数学者になる方は数学が面白がれて没頭できちゃうし、

スポーツ選手に成る人は、苦労した努力したとは感じてないかも。

 

 

でも、それを見出して本人に気づかせ自覚させてやれる存在は不可欠だと、

私は考えるし、それは先生でも親御さんでもないかもしれない。

だからこそ、子供は色んな可能性を秘めてる未来の財産だと、思います。

 

 

 

 

一郎先生の思い出話、少しは貴女、貴方がたのお役に立ちましたでしょうか。。。?

 

 

 

さいごに。

その文章評価された初めての時、一郎先生はこうおっしゃいました。

「○○さんは、体育の時間や運動も得意で好きみたいだけど、

文章書くことも得意なんだからずっと好きでいられるように、

人から言われなくても続けなさいね。

ーーーそれと、パパとママのことは、人前ではお父さんお母さんと呼びなさい。

習慣になってることは、習慣で変えられる。

小学生になったら、世の中の日本人はお父さんお母さんって呼んでるんだ。

世間一般ってやつではね!

ウインクして、笑ってました。いやホンマに。

 

 

 

おじいちゃん先生だった、故村上一郎先生という恩師の話は、

これで、おわりです。

教師でなくても肉親でなくても出来ることです。

ですが、指導者の立場ならではの、子供の育て方、

そのリスペクトする典型の、お話でした<m(__)m>

 

 

 

ーーー NOT to be coutinued . 

 

 

 

 

 

だから、20代の私はこんな感じでした。

                                      

 

 

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