昨日の 『お城飲み会 諸説あり』 は、石垣第2弾
私は、先日ご紹介の 若桜鬼ヶ城 をご紹介致し、
「これだけの石垣を構築する大名 (山崎左馬允家盛) が、築城の名手といわれないのはおかしい=織豊系城郭は誰でも築き得た」
「たかだか三万石の規模に過ぎた城~などといわれるが、ある程度の領主であればそこそこの石垣は築き得た」
「現状城下や街道に面していない西側の石垣が重厚に見えるがこれは権威ではなく純軍事的に平場の確保等を目的にした証佐である。」
などの持論を展開させていただきました。
そのなかで、メンバーさんから出た話 「肥前名護屋城と石垣山一夜城が “似ている”」 という話がとても興味深かったです。
両城とも関白羽柴筑前が大規模出兵の本陣として築いたもので、さもありなんと感じました。(私は両城とも未訪)
発表された方はその疑問を疑問のままにせず、石材や築城年代について纏めておられ感心致しました。
肥前名護屋は玄武岩、石垣山は安山岩らしいです。
高校で地学選択しちょったおっちゃんからひと言。
玄武岩と安山岩は双方とも溶岩が急に固まってできた石で、その違いは色です。玄武岩は名前のとおり黒いです。安山岩が少し白いです。
『玄武岩質安山岩』なんて言葉が出ましたが、授業では習っていません。おそらく両方の中間ということでいいのでしょうね。
玄武岩とおなじ組成のマグマがより深い場所でゆっくり固まったものが斑レイ岩、安山岩とおなじ組成だとセンリョク岩です。ややこしくなるだけか。
豊後府内 白雉城の石垣 玄武岩かと思ったが、溶結凝灰岩かな。