障堀 | 根多帖別冊 by おしろまん

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昨日、高槻城の発掘調査の現地説明会が行われたので行って参りました。

江戸時代の本丸に北に並立する二ノ丸から、織豊期高山右近期の石垣であったと思われる石列と、それを補強する胴木、その外の濠が出土しています。

で、その堀底が掘り込まれて障子のような畝があることから『障子堀』と呼ばれています。

箱根山中城はワッフル堀と呼ばれて有名です。他に小田原城や常陸小田城などの伊勢北条氏関連の城でよく見られるほか、羽柴氏大坂城や豊前小倉城、美濃加納城でも発掘で確認されています。

 

ただ、今回のこの高槻城の堀底、ぼく個人の意見は懐疑的です。

 

江戸元和期の高槻城をはじめ、摂津兵庫城など胴木を使用する石垣は、堀底に直接木を据えています。今回のように胴木から堀底まで三メル以上有るのにそれが果たして人為的に加工された堀底であるのでしょうか。

 

高槻城ができる前ココには川が入り組んでいたようです。

ぼくは以前アルバイトで発掘作業員をしているとき、大和山辺郡石上溝や播磨英賀保の河川遺構を実見していて、今回の堀底に近いと感じました。

この障子堀に見える凹凸は川底の自然地形である可能性を考えてもいいのではないでしょうか。

 

それに、これら出土遺構の築造主体も 『高山右近+築城名人』 という、敢えてキツイ言葉でいえば 「根拠の無い」 語句が並びます。

可能性としては高山右近と同じくらい和田伊賀守や新庄法印の可能性はあると考えています。

 

『障子堀』『高山右近』というキャッチーなことばを並べることで発掘成果を強調したいのでしょうが、そこはもっと冷静になって欲しいと思いました。