播州山﨑領主平八郎子孫 | 根多帖別冊 by おしろまん

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そんなブログの日だった昨日、宍粟市で行なわれた 宍粟学講座 『岡崎本多と山﨑本多』 に行って来ました。



本多平八郎の家系は、勢州桑名から播州姫路に入ってから、千姫の生んだ幸千代が夭折し夫・忠刻が没したあと知りませんでした。


紆余曲折があって、平八郎忠勝の曾孫 (内記忠朝の孫) 才兵衛政貞改め忠英が一万石で宍粟郡山崎に封じられます。

今回の講座では始祖・平八郎忠勝の肖像画を模写した山崎藩主や、本家である岡崎本多家と山崎本多家の交流の話をお聴きすることができました。

しかし・・・

“徳川四天王”(むろん後世の設定) のなかでも筆頭といっていい平八郎の子孫が、大名家で三つ、宗家は岡崎で僅か五万石とは…。

同じ譜代では、井伊家や酒井家は勿論のこと越後長岡や常陸笠間などの牧野家のほうが優遇されている気がします。

姫路時代には千姫の化粧領と合わせて二十五万石だった家が五万石まで減らされたのだから家臣は多いし大変だったのだろうな。