最近、中東で諸々の事件が起こり、同志社大学大学院の内藤正典教授のお話を聞くことが多くなった。
内藤先生はイスラム圏の文化・政治の独自性をよく理解する方である。しぜん西欧の立場から述べられがちな問題も先生のお話を聴けばいかに西欧諸国がこの地域で傍若無人であるかがわかる。
なのに我が国の、おもに外交に関連する機関は西欧のやることを真似していることが多い。
それが故に取り返しのつかないことが起こったといっていいのではないか。
現地では先生のような研究者や現地で仕事している方々の尽力により本邦に対するイメージはとてもいいということである。
それなのに我が国の外交は現地の人々に嫌われようとしているようにすら思える。
今週の内藤先生のツイッターでの呟きにはこういうツイートがあった
湯川氏、後藤氏の人質事件の時に政府が取った行動から察するに、日本人はこの種のテロに遭遇しても日本政府の助力を得られない。「イスラム国」は国家を名乗るもおこがましいならず者集団だが、国民が窮迫的状況にあっても救出しない国も同様に国家を名乗るもおこがましい。
怒りの呟きといっていい。
内藤先生はイスラム教世界をよく見ている立場から日本政府の無知・無対応・知ろうとする気のなさを嘆くのだろう。
城のことを扱う朝来市竹田城課に城の専門家がいないため各所で顰蹙を買いまくっているのに似ているような気がするのはぼくだけだろうか。
知らないこと・わからないことはわかる人・知っている人に訊けばいい。
それをしないということは仕事になっていない。こいつらは一から教育を受け直し、専門分野を扱うのにふさわしい知識 (或いはわからないことを人に訊ける力) を付けるまでは仕事をさせてはいけない。
壊れるものがふえるばかりである。