御本丸様考 | 根多帖別冊 by おしろまん

根多帖別冊 by おしろまん

おしろまん です。
絵を描いていますので、そちらをメインにしたいのですが、お城の論考を書いたりしており、城関係がやたらと多いブログとなっています。
ブログ内容に即した、皆様の素敵なコメント募集中でございます~

 今日の日本疱瘡教会大概ドラマ 『格闘家官兵衛』 では、とうとう官兵衛は有岡城に囚われてしまいました。

 ぼくはこれをみながらtwitterで呟いたり、ほかの方の呟きを見たりするのが好きなのですが、とある方の呟きが目に入りました。  


 本日の『官兵衛』において、栗山善助たちが 「家臣は心を一つにし,黒田家に仕える」 という誓約書を提出していました。

あれは神社で入手する「牛王宝印〈ごおうほういん〉」という紙の裏に書く決まりの「起請文〈きしょうもん〉」です。現存します。宛先の「御本丸様」は大殿ではなく、光さんを指します


 ぼくは2月に城郭談話会で発表を聴いていた⇒リンク ので

「御本丸様」 は 「おかみさん」 ではなく織田家の上層部 (筑前守or総見院) のほうが自然だと、城郭談話会で発表されました。


 と返信したところ、たちまち20件を超すリツイートやお気に入り登録をいただきましたので改めてここに内容を書きたいと思い…ましたが、当日のレジュメが見つかりません。

 うろ覚えで申し訳ないのなのですが、まったくこのままでもよくないので思い出しつつ書いてみます。

 ① この時の家臣団の誓約書は四通現存していて、うち二通は署名した人物が一人くらい違う
   だけでほぼ同じ

 ② 宛名が 『御本丸様』 のものと 『おかみさま』 のものがある

 ③ 官兵衛のことを、『官兵衛』 と記したものと 『官兵衛殿』 と記したものがある。

 この 『おかみさま』 をみて、宛先を主君の “おかみさん”(=この場合官兵衛正室)
とした説が多いようである。

 以前は官兵衛の父で隠居の美濃入道 (職隆) を 『御本丸様』 に比定することが多かったが、同じ誓紙のなかに 「美濃入道」 という記述があることから否定されている。

 発表された先生は、

 正室に差し出す誓紙に、主君 (宛先の夫) を呼び捨てに書くだろうか。
 
 当時黒田家は姫路城の城下もしくは城内でも二の丸以下のところにいたはず。本丸は織田家の
 公共施設であるはずである。

 という理由をもって誓紙の宛先を、当時本丸にいたであろう羽柴筑前、もしくは筑前も本丸を
 誰かのために空けていた可能性…その誰かに差し出したものである、と発表されたのです。

 『おかみさま』 は 『おかみさん』 ではなく、『御上様(うえさま)』 ということですね。

少し時代は下がるので、同じ扱いにしてよいのか悩むところですが、江戸期の尾張名古屋城の本丸は、将軍の宿泊所としてのみ存在し、名古屋城主は二ノ丸で起居したといいます。宇都宮とかもそうだったかな。