![根多帖別冊 by えすくおやじ-猫尾](https://stat.ameba.jp/user_images/20120621/17/esqi-oyaji/ca/ef/j/t02200144_0448029312039721391.jpg?caw=800)
戦国を生きた豊後の女性たちの苛烈な精神を語るにあたって一人の少女の話を思い出した。
このことも以前から知っていたのだが、最近読み返してみて壮絶であったのだな…と改めておもう。
豊後・大友家ではなくその隣国・筑後 (福岡県南部) 猫尾城 でのはなしである。小豪族の悲哀を地で行く話。
画像は猫尾城本丸に遺る石垣
ここは筑後の有力豪族・蒲池氏と同盟し、筑後十五城にも数えられる黒木氏が居城としていたが、兵庫助実久・のち家永のとき東隣の大友氏の勢力拡張に従ってその攻撃を受け降伏。宗麟はこのときの兵庫助の奮戦を天晴れと許し、兵庫助も臣従を誓う。
しかし、大友家が島津家と高城河原で戦って破れその勢力がにわかに衰退すると、今度は西側の龍造寺氏がここへも食指を伸ばす。
蒲池氏は龍造寺山城熊に攻められ、降伏したものの残忍な山城熊により皆殺しにあう。黒木氏はこれを非難して抗戦するが降伏、息子延実を人質にし龍造寺に降る。
ところが今度は龍造寺山城熊が島原・沖田畷で島津氏に破れ討ち死にすると、大友氏が旧領奪回のチャンスとばかりに東から攻めかかってくる。
後継ぎを人質に取られている兵庫助は今回は降伏するわけにもいかず、徹底抗戦するが大友氏も豊後軍に加え戸次道雪・高橋紹運ら筑前軍まで投入、一族の椿原式部にも裏切られさしもの黒木兵庫助も切腹・・・
このとき彼を介錯したのは彼の娘、当時13歳であったという・・・。
健気・・・ということばをここで使ってもいいのか迷うところであります。
ちなみにこの娘は父の首を持って捕虜になったが釈放され、のち佐賀の武家に嫁いだということです。攻めたのが大友でヨカッタデスね・・・龍造寺だったらどうなっていたことやら・・・。
たしか、戊辰のときの会津・中野姉妹も似たような話がありましたね。来年の大河ドラマでやるんでしょうね。え?黒木メイサが竹子ですか・・・。