今朝「自遊空間」でダーツとポケットの研究をしたついでに店員さんに「進撃の巨人」のありかを訊ねたら丁寧に教えてくれた。パラパラと読んだだけなのだがフルインパクトのホラーと言う感じで、「ぞ~」と気持ちが悪くなった。ホラー部門は確実に一定の客が付くと聞いたことがある。逆に言えばこの感覚が好きな人がいることを思えば私の「味覚」も限られたものだろう。それはそれでいいと思っている。
しかしこの手のモチーフが新しいものかといえばそうでもなくて、私が5歳のとき半年ばかり大病院に入院していたとき同じような漫画を読んだのを覚えている。確か放射能を含んだ雨に当たることによって人類の一部が羽を持った「吸血鬼」のようになって伝染的に増幅していく・・。残された人々は砦を造って戦うのであるがあまりにも弱くて悲劇の連続である・・。若いおにいちゃんにこの漫画凄いぞと目を見開いて言われて読んでしまったのであった。・・雨が嫌いになって読まなければよかったと思った。
この手の読み物を斬新だと感じるのは実は日本人は「世の中で存在をみとめられているかどうか?」「メジャーかマイナーか?」を中心に考える癖があって「凄惨な派閥争い」は二義的なものとする傾向があるためだと思っている。(両者は形を変えたものだ!)少なくとも今の日本人にはインド人が持っているような自分が正しいと思えば武器を持って戦うというイメージはない。「ホリエモン」も「村上ファンド」も社会と言う名のメジャーに飲み込まれてしまった・・。
・・・しかし日本は変わりつつある。
二大政党制の原型がようやくできてるし、「介護」や「IT」といった新しい職業についた人たちはは自分の存在を世の中に認めさせるために努力をしなければならない。
「日本人は拝金主義で一人一人がばらばらだ。既得権意識が強い国でもある。」(ある外国人は言った。)
低成長で収益源がどこにあるのかもわからない。(混迷を深めている、そこにチャンスがあると私は観ている。)
混迷を打開するのは良い意味での武器であり、システムこそが最大最後の武器だと言うインスピレーションがある・・。
私の努力すべきは「気功的な超能力部分」と加えて「システム的な発想」に向かうことなのだろう。
(「進撃の巨人」のモチーフもシステムを作ろうとして崩されるというところにあるのではないか?)
だから例えばここで「超能力競馬」を「超能力システム競馬」に昇格させることこそ新時代にふさわしい考え方だと思う。
システムをリストラしてシステム・ニッチを狙え!・・と言う感じでがんばってみようと思っている。