どうやらテレビが最後の荷物だった様で車の扉が閉まる。
良かった…
安堵感に包まれ作業を再開した後に自室の扉からコンコンとノックする音が響く。
◯◯(妻の兄の名)だけど!
殴られる⁈
恐怖で身体がかたまるものの逃げようがないので、意を決して扉の前に置いたダンボール箱を避けて扉を開ける。
数ヶ月振りに顔を合わせる強面なお兄ちゃんの顔。
心拍数が最高潮に達した中で聞こえてきたのが「タクヤ…ごめんな」
ん⁈⁈⁈
「あれ(妻)も中々の頑固だからな。俺も◯◯(子ども)の為に仲直りをして帰れ!って何度も言ったんだけどさ…残念だ」
顔を上げて改めて、お兄ちゃんの顔を見る。
無念そうなお兄ちゃんの顔を見て涙が溢れた。
両親を連れて迎えに行った時は妻の母が玄関先で対応し、けんもほろろ状態だった。
妻の家族全員から✖️をつけられていたと思い込んでいた。恨まれたと思っていた。
そのひと月後、一年に渡り続いた離婚調停は終わり離婚が正式に成立した。
人は過ちをおかす。仕方がないですまないかもしれない。でも、前を向いて歩いていかないといけない。
あの時のお兄ちゃんからの愛ある言葉があったおかげでわずかながら自分に赦しを与えられている。
子供の顔を見なくなり10年が経過。
いつの日か会いにくる日が訪れるのであろう。
どんな顔をして会いたいか、どんな言葉をかけたいか…模索中の日々である。
映画『ザ・ウォッチャーズ』を鑑賞してきたので感想を綴ってみる。
過去の過ちを見たり、心の傷と向き合うのは辛いし苦しいしキツイ。だけど、向き合うことで赦しがうまれる。その行動こそ愛だと思った作品
予告を観て気になって鑑賞
誰が監視者(ウォッチャーズ)なのか
どんな理由でこのシチュエーションとなりオチは何なのか
この2点の答えを知るべく劇場へ
監視者の正体…
予想できる人がいる
人間に擬態できる〝妖精〟って明かされ、姿も確認できるけどとても妖精って雰囲気ではない
原作、もしくは本来のセリフで本当に〝妖精〟と言っているのか確認したいほどの異形さ
監視の目的、シチュエーションは〝妖精が人間を擬態するため〟の観察。
色々と穴がありツッコミどころ満載なんですが、一応の筋を通した理由付けや説明がされるので納得はするんですね
主人公は幼い頃の自分がしでかした行為により母を亡くした為、心の闇を引きずっている。
母を亡くすというあまりにも大きな代償で、自分を偽ったりして日々をかわしていきます。
そんな日々からとあるキッカケにより、監視者に見られる側にまわり否応にも自分と向き合わざるを得なくなる
物事って必ず二面性があるんですよね。
ただ、片側しか普段は気づかないし、そもそも気づかないことがいかに多いか
風邪をひいて改めて、健康であることの有り難みに気づく。
いつも一緒にいたあの人がいなくなってはじめて温かみに気づく。
当たり前に無意識に過ごす日々にたくさんの幸せが積み重ねられていることか
監視者が〝妖精〟と判明した後、ホラーやサスペンスから人間ドラマにスイッチするのが良かったです
監視部屋は亡くなった妻の代わりを見つけようとしたとある大学の教授が作ったもので、エゴ全開で妖精を妻へ擬態させようとする
結局、実験の危険性に気づき教授は妖精ともども亡き者にしようとするんですが、妖精は監視される側としてこっそり生き延びる
その妖精も人間と妖精のハーフである為、どっちつかずの存在でいる。
主人公と対峙した妖精が一緒に監視部屋で過ごした日々の事を滔々と語り、主人公自身の過去の過ちと向き合うだけではなく、妖精の愛ある言動に気づかせるやり取りが作品のハイライトでした
誤った行動かもしれない、もっと違う選択肢があったのかもしれない。でも、少なくとも現在に繋がる選択肢を選び、現在に至る。
過去に縛られる事はない
ルールに縛られる事はない
自分の可能性に蓋をして嘆く必要はない
そんなメッセージが込められた作品だったと思います
誰しも後悔の念はあるだろうし、心の傷が深いほど避けたくなるし逃げたくなるはず。でも、きっと向き合うタイミングがあって怖いながらも目を開けることで前に進めることがあるんだろうなぁ…と思う訳で。前に進めず立ち止まってる人に観てもらいたい作品。ぜひ、ご鑑賞あれ