昨年末、帰省まで残り一週間となったとある日、仕事を終えてロッカーで着替えをしている時にスマホが鳴った。
スマホの画面表示には母親の名前が。
何だろう…?
たまたま残業をして疲れていた為、ぞんざいに電話を出たところ「お父さんが転んで怪我をして救急車で運ばれた。お母さんもこれから病院へ向かうところだけどまずは一報を入れておこうと思って…」
私は病院の相談員として入院患者の退院支援を主な業務としている。
毎日、入退院があり様々な患者さん、そして、その家族と対面する。
両親と似たような年齢の方が入院する度、私と同じ年齢の家族に対して入院のオリエンテーションをする度に「いつかは俺もこんな場面に出くわすんだろうなぁ…」と漠然と考えていた。
母と同い年の入院患者が寝たきりで鼻から管を通している姿、父と似たような年の入院患者が認知症全開で大声を出して叫んだりしているのを入院時のリハビリ職員による評価に立ち会う度に人知れず涙を流した時もあった。
ひとまず妹が明日、駆けつけるようなので、私は予定通りの帰省とした。
帰省当日、いつもなら駅まで向かえにきてくれる父の姿がない。
当たり前のように新幹線の駅まで行き帰りの送迎をしてもらっていたが、当たり前ではないことに今更ながら気づかされる。
タクシーで実家に帰省、休むまもなく退院する病院へ母と共に向かう。
外傷性のクモ幕下出血の診断ながら、歩けているようだし話もできるらしい。
大事に至らずにホッとするもいよいよ親の介護や最期までのカウントダウンに入ってきたことを覚悟する。
職場とは違う病院へ足を踏み入れ、父が入院している病室へ向かう。
父が入院している病室を見つけ入り口の名札でベッドの位置を確認。
ドキドキしながら病室へ踏み入れる。
父はベッド上で寝ていた為、「お父さん!退院だよ」と声をかける。
おもむろに目を開けた父は顔色こそ悪いものの妹の名前を出しながら「来てないのか?」と尋ねてきた。
妹が倒れた翌日にお見舞いに行った際、「タクヤは?」と聞かれたと報告を受けていたが、意味はあまりなく子供たちの片割れがいないことを単純に聞いていただけかもしれない…と1人苦笑する。
帰省している間、体調は優れないようで食事の時間以外は横になっていることが多かった。
食事の際もお粥をすくうスプーンの手がよくとまり目をつぶっていることが多かった。
体調もそうだし薬の副作用でめまいがするらしい。
仕事のことが気にしうるさかったので、運転手として父が行きたい場所へ連れて行った。
久しぶりに車で走る青森の街並みはすっかり変わってしまい建物ではなく駐車場ばかりになっていることに寂しさを感じた。
妹が仕事を長く休みをとれた為、バトンタッチをして仙台へ戻る。
親孝行しないとな…
会える時に会っておかないと後悔するな…
この思いで2月と5月に帰省。
帰省する度に体調が良くなってきていることを側から見ても実感できるほど回復していた。
ただ、耳は聴こえなくなり、うるさいくらいに敏感だった嗅覚もおかしいとのこと。
耳が聴こえない…と言われてちょっと後悔した。
父はジャズが好きでお盆に帰省する度に「9月に仙台でジャズフェスがあるんだ。おまえは行ったことがあるか?」と聞かれていた。
私はジャズには興味がないのでやっていることは知っていたものの「行ったことはない」と毎年、答えていた。
それが昨年、何となく気になったことと母も歩きがおぼつかなくなっていた為、ボーナスから5万円を渡して「これで仙台に遊びに来なよ。俺が仙台にいる間にさ」と意を決して父に渡した。
父はそっ気なく「うん」といいすぐにお金をわきに片付けてしまった。
お盆から帰省し仙台に戻ってから「仙台へジャスを聞きに行く」という連絡が入ることを心待ちにしていたが結局、訪れることはなかった。
母曰く、父の仕事が忙しくて調整がつかなかった…とのこと。
しかし、私は父も母もいつか行こう!や切符取りや宿の予約が面倒くさかったんだと推測している。
5月に帰省した際に「今年は行こうと思っているみたい」と母から聞かされた。
去年、仙台へ来てたならちゃんと聴こえていただろうに…そんな風に思うも一方で耳が聴こえることの有り難さ、自分の足で歩けることの有り難さ、そして、両親が元気でいてくれることの有り難さを感じる…そんな今年の父の日。
昨年はサプライズでビールを贈ったところ差出人不明で訝しがったので、ちゃんと名前を書いてメッセージも添えたのに全く見ずに「何か届いたぞ」と母へ渡していたらしい。
母が私へお礼の電話をくれた際にようやく気づいた父。
私もよくよく気をつけないで物事をする点は全く同じ。
前は短所に思っていたけど、今はそんな自分や父を可愛らしくて愛おしい…と思えるよに。
さてさて、今年のジャズフェスタには果たして来るのか!楽しみにしながら先日、もらったボーナスから旅費として渡そうと思ったお金を封筒に入れた今年の父の日である。
映画『ディア・ファミリー』を鑑賞してきたので感想を綴ってみる。
娘を想うお父さんの愛の偉大さや尊さに涙し、病気を持って生まれてくるのには意味があるんだろうなぁ…と感じた作品
子供を愛していないお父さんやお母さんっていないと思うんですが、〝諦めない〟親の凄みって何なんでしょうね
日本中の病院のみならずアメリカまで出向いて娘の病気を何とかしようとする。
そこで、諦めて終わりにするのではなく「そっかぁ自分が(人工心臓を)作ればいいんだ」となる思考。
必死さや執念といった重たいエネルギーではなく、眩いほどの明るいエネルギーを感じまくりの物語前半でした
父親だけではなく、菅野 美穂さん演じるお母さんもスーパーポジティブで一緒に勉強したり壁にぶち当たっても「次はどうする」って前向きなんですよね
そんな両親の姿が「素敵だなぁ」って思いました。
先月、鑑賞した石原 さとみさん主演の『ミッシング』は負のオーラ、エネルギー全開でさすがに何日か気持ちを引きずりましたから
心臓に疾患を持つ次女以外の姉や妹も人知れず悲しみ涙を流してるんですが、本人の前では微塵もそんな素振りを見せない姿も泣けました
私ならどう接していいのか分からないですし、間違いなく心が荒びます
当の本人である次女も健気でいいんですよ…
諦めないお父さんを本気で信じているし、支えているお母さんも尊敬している。
自分の運命を受け入れているというより、〝今世に生まれてきた理由をしっかりと把握、理解した上で生きている〟気がしました
結局、人工心臓を作る夢は叶わず次女は亡くなる訳ですが、「私の命はもう大丈夫だから…他の人を救ってあげて」と次女がこの世に産まれてきた真の理由をお父さん、お母さんに託すシーンで涙腺崩壊しました
大泉 洋さん演じるお父さんは娘を助けられないこと悲観し抜け殻のようになるんですが、娘の想いに答えるべく再び立ち上がる…そして、お母さんも「私もその夢を叶えるのに混ぜて」と加わる
使命や天命ってこんな感じに明らかにされるんだろうなぁ…と胸がざわつきました
娘さん一人を助けるのではなく、たとえ娘さんを犠牲にしたとしても多くの人々を救うために
そんなお父さんの想いに周りの人も感化されない訳がないですよね
共に人工心臓作りに励んだ若き医師たちや真っ先に逃げ出したものの新たな、いや、真の目的(使命)のナビゲーターとして再登場する医師。
それぞれがそれぞれの思いを胸に立ち上がり、尽力するラストに感動しまくりでした
物語の最後、お父さんは娘を救えなかったことに後悔を残している様子でしたが、有村 架純さん演じるインタビュアーから「あなたが作ったカテーテルのおかげで私の命が助かり今、ここに立っています」と告げられた時にようやく救われた顔をしていました。
娘さんは若くして亡くなりましたが、決して、不幸ではなかったと思います。
何故なら、ありったけの愛情を両親が注いでくれ姉妹たちから居場所を作ってもらえた訳ですから。
日本だとお母さんの愛情の偉大さが取り上げられますが、こんな格好良くて素敵なお父さんがいるもんですね
諦めが悪いって、こんなに格好良いものだと初めて知りました
最後に、素晴らしい映画だったんですが、気になった点が2つあったんですね
ひとつ目が8億もの私財を投じて今後はもっとお金がかかる…と思い悩むシーンがあるんですが、お金で苦労している風に全く見えないんですよ
着ている洋服も高そうな感じでしたし、ソファとか車とかお金持ち感がむしろ出まくりで
自宅を売り払ってアパートに移り住む…とか食べる物が少し質素になる…とか無かったのかなと違和感を感じました
ふたつ目が幼い頃に「あと10年しか生きられない」と告げられたのにも関わらず、人工心臓が出来てハッピーエンドでもないのに成人を向かえたりしているんですよね。
手術とかを重ねたのかもしれないんですが、根本的な治療をしていないのにも関わらず成人して「お父さんの側にいる」為に一緒に働いてしまうのにも違和感を感じてしまいました
人工心臓作りが暗礁に乗り上げられカテーテル作りに切り替えるキッカケは次女さんが共に病院で過ごした仲間を何とかしたいという幼い頃の思いだった訳で、その割には時間が経ちすぎな気がしたんですね
この2点の違和感がなければ文句なしの作品でした
感動して涙があふれるのはわかって鑑賞しましたが、予想とは違う物語の展開でしたしね
何度、泣いたかわかりません
健康であることがいかに幸せなことか、学校に行きたくても行けない子供たちがいる…。当たり前の日常こそ幸せであり、やりたい事やしたい事があってできている現在がいかに恵まれているのか。涙と共に学びや気づきが多い作品でした。
世のお父さんの格好良さが詰まった素晴らしい作品。そんな姿を子供に見せたいものですね人生に行き詰まりを感じている方、親との関係性に悩んでいる方にぜひ、鑑賞してもらいたい作品。ご鑑賞あれ