私が発した言葉を相手がどう取るか気にしない。捉え方は人それぞれ。
言ってからあぁ、あんなこと言わなきゃよかったなぁ。
どう思われたかなぁ。
私はそう思いがち。話すとつい気が大きくなったり、サービス精神?で自分の事を(言わなくていいようなこと)話し過ぎちゃうんだけど
もう言ってしまったことは考えない。
あぁ、すっきりしたぁ〜
言えてよかった〜
ならいいけど
クヨクヨ後悔はしないように。
過ぎたことは仕方ない。
誤解をうんじゃったとしても仕方ない。

少なくとも自分の中にある言葉を発したわけだし。
だから自分の頭の中を日頃からポジティブにしておく。もんもんした感情、不満はノートなどに書き出して整理?そして最後はポジティブに変換して終わらせる。そしたら頭の中は切り替わる。毎回マイナスに傾きそうな頭をプラスの方向に切り替える。
できれば一日単位。それができたらもっと短い時間で、その練習を繰り返せば瞬時にプラスの考えに切り替えることができるんじゃないかな。
一種の癖みたいなもの。
1.エンターテイメント(非日常の特別なイベント)
2.親の急かす声かけ(はやく!はやく!)
理由
1.子どもにとって毎日が特別、日常が発見と驚きに満ちていてすでに特別だから。過剰な刺激はいらない。与えられたばかりだと自分で考えたり想像する力が養われない。
子どもには大人が考えに及ばないほど想像力に溢れている。大人が作った枠にはめられていてはもったいない。
2.子どもは子どもの時間で動いている。
できる限り余裕を持って合わせてあげる。
子どもを動かすものは空腹と興味、睡眠、そのタイミングを逃さず段取りを整えておく
子どもを急かしてばかりなのはその生活に無理が生じているからかもしれない。
子どもを大人と同じリズムで扱ってはいけない。




同じ人生歩むなら日々ハッピーでありたい。
なんとなく過ぎる日々だけど、よくよく見れば小さなハッピーであふれてる。
日々起きる事象をマイナスに受け取るかプラスに受け取るかはその人のマインドしだい。
ならばプラスにポジティブに受け止めたほうがハッピーになる。
小さなハッピーも積み重ねると大きな大きなハッピーに!俄然人生が変わってくる。
私の人生が幸せだったかどうか、それを決めるのは自分。幸せなものにするのは自分。
ポジティブな人にはポジティブな人が幸せな人にはさらに幸せがやってくる。
全ては私。
人生は楽しいよ。
子どもたちにもそう伝えたい。
言葉だけでなく私の体、魂、エネルギーからそう伝えたい。
暴風雨の中、家庭教育研究所の講義に出席
娘の風邪がうつって若干体調悪し。
今回のテーマ、子供が進んで勉強するには
という講義は大変為になった。
娘はまだ5歳で宿題があったり机で勉強する年ではないが、色んな事に興味、関心を持ち質問をたくさんする年齢である。その興味関心の芽が勉強する姿勢に結びつくのでその芽を摘まぬよう、こちらが忙しいときも向き合って今の娘の能力、知能に合わせた話をして心を満足させたいと思う。

あと、今日は会場に早めについたので直接相談する機会をもらう。
ここ最近悩んでいる保育園のことについて相談した。
弱い者を攻撃することでしか自己を保てない園長にこれ以上耐える必要はない。
私はその対象になりたくない。
自己犠牲はやめだ。
自己を守り、許し、愛する。
それが他者を守り、許し、愛することに繋がる。70歳、多くを学び経験したきたが先生と言われる立場にどこかで慢心し歪んでしまったんだろう。寂しい人。
どの子もどんな家庭で育った子もどんな親の子も平等にみる。保育者としての基本、それができない。
気に食わない親の子供を無視する。
気に食わない親を攻撃する。
そんな保育者が正しいわけがない。どんな理由があってもしていいわけがない。

にこりとも笑わず、一言も発しなかった。
祖父に会うたびにお前は不細工だから上を向くな。下を向いてろと言われてた。
だから本当にそうしてた。
言葉は理解できてた、でも声を出さなかった
その理由は誰も知らない。なぜなら…