UMAX、博品館に立つ!
ウルトラヒーローバトル劇場…最後に行ったのは、かれこれ今から6年前となる、“ウルトラマンガイア”主役の回だった。
今月22日(日)、Project D.M.Mの復活に相まって、久しぶりに博品館劇場に足を運ぶことになったことを記念して、2009年4月12日、mixi日記上に記した“ガイア”主役の回の模様を再編集して公開したいと思う。

あの感動の「博品館ウルトラヒーローバトル劇場第11弾」が終了して早くも1週間が経過するに至ったが、今以て、あの時の興奮から冷めやらぬ日々を送っている…。
残念ながら即座に書き込むことができなかった環境ゆえ、今更ながらという感が拭えなくもないが、その熱き思いを残したく、今ここに書き記すことにした。
今回の公演が決定した時、私はできるものであれば「公演3日間の計6回に渡る全てのステージ」を堪能してみたい!と思ったのが本音である。
「ガイア」が主役、しかも「我夢」の生出演となれば、こんなチャンスは二度とないかもしれないと考えたからであり、「ガイア」ファンを声高々に挙げる私にしてみれば、ごく自然な思いつきであった。
しかしながら、現実はそう甘いはずもなく、土日を含む3日間の公演とはいえ、私の場合、その土日さえ不定休のうえ、春の定期異動時期と重なることを鑑みると、かなりの確立で来場できなくなる可能性が多大にあったのである。
普段の公演であれば、チケットを無駄にすることがないよう、それこそギ~リギリ♪まで待ってから購入(それでも過去に相当数ムダにしてきているが…)するようにしているのであるが、今回ばかりは、なんと言っても
「今度の主役はガイア!」
である。
なんとしても最前列近くで、そのステージを堪能したく、万が一の場合は無駄にすることも覚悟のうえながら、もっとも行くことができそうな最終日に照準を合わせ、後は運を天に…いや、地球の持つ“光”に任せることにした。
来場未定の不安を抱えながら、刻一刻と“その日”は近付いてきた。
そして、そんな時に公表されたウルトラMCガールズきっての馴染みのMCであった、“しーたおねえさん”こと「白石明子」さんの突然の卒業宣言…。
しかも、それが予定している公演最終日がファイナルステージということを知り、参加に向けた気持ちが一気に高まった。
「ガイア」主役に「我夢」の生出演、そして「しーたおねえさん」のファイナルステージと、これほどまでに役者が揃う大舞台に来場できなければ
「一生、後悔するぞ!」
とばかり、あらためて自分自身に喝入れしたものであった。
そして迎えた当日…。
この日一日は、全てを「ガイア」で…との思いから、目覚ましとしている携帯メロディを前夜のうちに
「ウルトラマンガイア!」
「ガイアノチカラ」
「Beat On Dream On」
と揃えて、翌朝に備えてみたが、日々の疲労がよほど体に堪えていたらしく、全てのメロディを耳にした記憶さえないまま、寝込んでしまい、結局、出発予定時刻の1時間経過後、ウチのカミサンの声に起こされた。
それでも当初は
「げっ!
(仕事の)呼び出しかっ?!」
と寝ぼけていたようであるが、気を取り直して、やっとの思いで無事に出発までこぎつけることができた。
既に初日、2日目の公演に参加された仲間から、
「いいよ~!凄いよ~!!」
といった類いの連絡をもらっていたので、期待は高まる一方…。
故にそのステージは本当に素晴らしいものであった。
それがガイアファンであらば、なおさらのこと。
ウルトラマンナイスによる、冒頭のガイアTVシリーズダイジェスト紹介は圧巻で、単に笑いを取るだけの場面では決してなく、各場面の名セリフ等をつなげて見事なまでにガイアワールドがまとめあげられていた。
ナイスから発せられるセリフに呼応するかのように映像がパラパラ漫画のように脳裏に浮かび上がり、確実に一本の作品として結実させた術は特筆すべきものであった。
我夢の生変身、アグルとの共闘、ガイアSVの登場!と、ガイアワールドの魅力の全てをこれでもかとばかりに注ぎ込んだ公演内容は今こうして書いているだけでも、熱くなってきてしまうほどのものだったのである。







しかし今回、私をこれほどまでに感動させたのは、単にガイアが主役云々だったことだけではない…。
それは今回の公演にあたり私もまた、かつて我夢が、藤宮がそうであったように、仲間たる「地球の光」を感じたことにある。
寒い季節の折、早朝から「光」のタスキをリレーしながら、最良の席を確保すべくご苦労頂いた仲間達。
来場決定を最後まで結論付けることができず、不安を募らせる私に当日の朝まで溢れる「光」の言葉で励まし続けてくれた仲間達。
当日、会場で、共に楽しみ、感動を分かち合うことを約束し、私のことを「光」の心で待ち望んでくれていた仲間達。
そして最高のステージ上で、「光」を我々ゲストに放ってくれたウルトラヒーロー、我夢、しーたおねえさんをはじめとするキャスト、スタッフの皆さん。
また顔知れずとも、あの日、あの時、共に声援を送り、あの感動のステージを共有し得た皆さん。
私が感動し得たのは、これら全ての皆さま方のおかげである。
今、あらためて御礼を申し上げたい。
皆さん、ありがとう!
また何処かで「光」になりましょう(^-^)/
これが地球なんだ…。
おーーーい(^O^)


今月22日(日)、Project D.M.Mの復活に相まって、久しぶりに博品館劇場に足を運ぶことになったことを記念して、2009年4月12日、mixi日記上に記した“ガイア”主役の回の模様を再編集して公開したいと思う。

あの感動の「博品館ウルトラヒーローバトル劇場第11弾」が終了して早くも1週間が経過するに至ったが、今以て、あの時の興奮から冷めやらぬ日々を送っている…。
残念ながら即座に書き込むことができなかった環境ゆえ、今更ながらという感が拭えなくもないが、その熱き思いを残したく、今ここに書き記すことにした。
今回の公演が決定した時、私はできるものであれば「公演3日間の計6回に渡る全てのステージ」を堪能してみたい!と思ったのが本音である。
「ガイア」が主役、しかも「我夢」の生出演となれば、こんなチャンスは二度とないかもしれないと考えたからであり、「ガイア」ファンを声高々に挙げる私にしてみれば、ごく自然な思いつきであった。
しかしながら、現実はそう甘いはずもなく、土日を含む3日間の公演とはいえ、私の場合、その土日さえ不定休のうえ、春の定期異動時期と重なることを鑑みると、かなりの確立で来場できなくなる可能性が多大にあったのである。
普段の公演であれば、チケットを無駄にすることがないよう、それこそギ~リギリ♪まで待ってから購入(それでも過去に相当数ムダにしてきているが…)するようにしているのであるが、今回ばかりは、なんと言っても
「今度の主役はガイア!」
である。
なんとしても最前列近くで、そのステージを堪能したく、万が一の場合は無駄にすることも覚悟のうえながら、もっとも行くことができそうな最終日に照準を合わせ、後は運を天に…いや、地球の持つ“光”に任せることにした。
来場未定の不安を抱えながら、刻一刻と“その日”は近付いてきた。
そして、そんな時に公表されたウルトラMCガールズきっての馴染みのMCであった、“しーたおねえさん”こと「白石明子」さんの突然の卒業宣言…。
しかも、それが予定している公演最終日がファイナルステージということを知り、参加に向けた気持ちが一気に高まった。
「ガイア」主役に「我夢」の生出演、そして「しーたおねえさん」のファイナルステージと、これほどまでに役者が揃う大舞台に来場できなければ
「一生、後悔するぞ!」
とばかり、あらためて自分自身に喝入れしたものであった。
そして迎えた当日…。
この日一日は、全てを「ガイア」で…との思いから、目覚ましとしている携帯メロディを前夜のうちに
「ウルトラマンガイア!」
「ガイアノチカラ」
「Beat On Dream On」
と揃えて、翌朝に備えてみたが、日々の疲労がよほど体に堪えていたらしく、全てのメロディを耳にした記憶さえないまま、寝込んでしまい、結局、出発予定時刻の1時間経過後、ウチのカミサンの声に起こされた。
それでも当初は
「げっ!
(仕事の)呼び出しかっ?!」
と寝ぼけていたようであるが、気を取り直して、やっとの思いで無事に出発までこぎつけることができた。
既に初日、2日目の公演に参加された仲間から、
「いいよ~!凄いよ~!!」
といった類いの連絡をもらっていたので、期待は高まる一方…。
故にそのステージは本当に素晴らしいものであった。
それがガイアファンであらば、なおさらのこと。
ウルトラマンナイスによる、冒頭のガイアTVシリーズダイジェスト紹介は圧巻で、単に笑いを取るだけの場面では決してなく、各場面の名セリフ等をつなげて見事なまでにガイアワールドがまとめあげられていた。
ナイスから発せられるセリフに呼応するかのように映像がパラパラ漫画のように脳裏に浮かび上がり、確実に一本の作品として結実させた術は特筆すべきものであった。
我夢の生変身、アグルとの共闘、ガイアSVの登場!と、ガイアワールドの魅力の全てをこれでもかとばかりに注ぎ込んだ公演内容は今こうして書いているだけでも、熱くなってきてしまうほどのものだったのである。







しかし今回、私をこれほどまでに感動させたのは、単にガイアが主役云々だったことだけではない…。
それは今回の公演にあたり私もまた、かつて我夢が、藤宮がそうであったように、仲間たる「地球の光」を感じたことにある。
寒い季節の折、早朝から「光」のタスキをリレーしながら、最良の席を確保すべくご苦労頂いた仲間達。
来場決定を最後まで結論付けることができず、不安を募らせる私に当日の朝まで溢れる「光」の言葉で励まし続けてくれた仲間達。
当日、会場で、共に楽しみ、感動を分かち合うことを約束し、私のことを「光」の心で待ち望んでくれていた仲間達。
そして最高のステージ上で、「光」を我々ゲストに放ってくれたウルトラヒーロー、我夢、しーたおねえさんをはじめとするキャスト、スタッフの皆さん。
また顔知れずとも、あの日、あの時、共に声援を送り、あの感動のステージを共有し得た皆さん。
私が感動し得たのは、これら全ての皆さま方のおかげである。
今、あらためて御礼を申し上げたい。
皆さん、ありがとう!
また何処かで「光」になりましょう(^-^)/
これが地球なんだ…。
おーーーい(^O^)


ーT&D&G 超時空の大決戦よりー 「ガリバー旅行記」の真実
かつて劇場公開されたT&D&G 超時空の大決戦にて小道具に使われた「ガリバー旅行記」なる一冊の絵本。

映画公開時に気に留めながらも、いつしか時は流れ、結果としてこれと同じ絵本を手にした時は映画公開から12年の月日が流れ去った時だった。

そして劇中において、この絵本に高山我夢が、

とサインしたように、私の手持ちの絵本にも、ご本人に同様のサインを書いて頂いたのが今から約5年前のスーフェスでのサイン会の時のことであった。

しかしながら、「ガリバー旅行記」なる本が数多くの出版社から発売されているなか、何故にT&D&Gの劇中においてこの絵本が小道具として採用されるに至ったのか、その謎を知り得たかった気持ちが奥底にあった。
このことは以前にもウルトラの友人達との会話の中で話に出たことがあり、
「概ねスタッフの一人が偶然にも持ち寄った物だろう。」
といったところで結論付き、むろん私自身もそのような気持ちで落ち着いていたというのが本音だったのである。
しかし、今から3年前ほどのこと、その秘密が明かされるべき物が私の元へ… 。

それは今や伝説とも云える、旧TFCの会報誌、それもガイア編全5冊!
これらはウルトラの友人のご厚意によって私の手元にもたらされたわけであるが、そのうちの一冊を拝見したところ…なんと!
そこには、まさしく上記絵本が劇中で採用されるに至った経緯が書かれていたのだ。

うーん、恐るべし…旧TFC会報誌。
既にご承知だった方には今更…の話ながら、旧 TFC解散後に再編された現行TFCからの会員となる私にとって、それは旧会報誌の中身の濃さと相まって、それはそれはあまりに度肝を抜かれるほど衝撃を受ける内容であったのである。
つまり、簡単に言えば、私が思ってきたように単にスタッフがたまたま持ち込んできた物ではないということ。
小道具ひとつにも思い入れがあったことに衝撃というより、感動したといった方が表現としては正しいのかもしれない。
ではご存知のない方のために、この絵本が採用された理由を記してみたいと思う。
それは旧TFC会報誌Vol.54の14ページにその記述があった…。
要約して紹介するが、この映画を製作するにあたり、「ガリバー旅行記」たる絵本を重要な小道具として登場させることになるのだが、その絵本を採択する上で重要視したのが、絵本にある挿絵だったようである。
そのため、作品のカラーに合う絵本を見つけるために、各書店を探し回ったが、最近の絵本はアニメセルの挿絵が多く、なかなかイメージに合う絵本が見つからない。
そんな時、ある古本屋で見つけた絵本が結果として採用されることになった。
その絵本こそが、劇中で見るに至った偕成社刊の「ガリバー旅行記」である。
しかし、この絵本は当時、既に10ン年前に絶版になっていたうえ、挿絵を描かれた桜井誠氏も故人となられていたことで、著作権を継承されていた桜井夫人に使用許可を頂戴したとのこと。
この故桜井氏は油絵の画家を本業をとされていた方であったが、生来、子供が大好きであったことから、その子供達が喜ぶ絵本の挿絵を手数料こそ安値であったが喜んで引き受けていたそうで、この「ガリバー旅行記」がウルトラ映画に採択されたことを知れば、さぞや喜んだことでしょう…というのが桜井夫人の談である。
また桜井夫人談はさらに続き、「画家仲間のなかで子供好きで怪獣を作っていた方がいた。」とある。
そう、この“怪獣を作っていた”方こそ、驚くなかれ、実はあの故高山良策氏なのである。
これが、あの絵本「ガリバー旅行記」が採択されるに至った理由を含めた記述なのであるが、当時、この絵本は映画公開に合わせて出版元である偕成社から少数ながら重版を書ける予定がある…ということで記事が結ばれていた。
そこで、早速、私の手元にある「ガリバー旅行記」を確認してみたところ、なるほど…正しく映画公開に合わせた時期ではないか!!

残念ながら、出版元をはじめ、各ネットショップ等を探してみたが、この「ガリバー旅行記」の新本は既に売り切れとなってしまっているようで今の時点で入手するのは困難な状況にあるようだ(中古本であれば入手可)。
ただの一冊の絵本ながら、この本が採択される意味合いを今更ながらも知るに至り、尚一層、愛おしく思えてしまうのは単にガイアファンということだけのことではないような気がする。
今後のウルトラ作品作りにも、細かい所でも手を抜くことなく、拘りのある作品作りに努めていってほしいものである。
(本記事は2012年1月、mixi日記上に投稿した内容を再編集したものです。)

映画公開時に気に留めながらも、いつしか時は流れ、結果としてこれと同じ絵本を手にした時は映画公開から12年の月日が流れ去った時だった。

そして劇中において、この絵本に高山我夢が、

とサインしたように、私の手持ちの絵本にも、ご本人に同様のサインを書いて頂いたのが今から約5年前のスーフェスでのサイン会の時のことであった。

しかしながら、「ガリバー旅行記」なる本が数多くの出版社から発売されているなか、何故にT&D&Gの劇中においてこの絵本が小道具として採用されるに至ったのか、その謎を知り得たかった気持ちが奥底にあった。
このことは以前にもウルトラの友人達との会話の中で話に出たことがあり、
「概ねスタッフの一人が偶然にも持ち寄った物だろう。」
といったところで結論付き、むろん私自身もそのような気持ちで落ち着いていたというのが本音だったのである。
しかし、今から3年前ほどのこと、その秘密が明かされるべき物が私の元へ… 。

それは今や伝説とも云える、旧TFCの会報誌、それもガイア編全5冊!
これらはウルトラの友人のご厚意によって私の手元にもたらされたわけであるが、そのうちの一冊を拝見したところ…なんと!
そこには、まさしく上記絵本が劇中で採用されるに至った経緯が書かれていたのだ。

うーん、恐るべし…旧TFC会報誌。
既にご承知だった方には今更…の話ながら、旧 TFC解散後に再編された現行TFCからの会員となる私にとって、それは旧会報誌の中身の濃さと相まって、それはそれはあまりに度肝を抜かれるほど衝撃を受ける内容であったのである。
つまり、簡単に言えば、私が思ってきたように単にスタッフがたまたま持ち込んできた物ではないということ。
小道具ひとつにも思い入れがあったことに衝撃というより、感動したといった方が表現としては正しいのかもしれない。
ではご存知のない方のために、この絵本が採用された理由を記してみたいと思う。
それは旧TFC会報誌Vol.54の14ページにその記述があった…。
要約して紹介するが、この映画を製作するにあたり、「ガリバー旅行記」たる絵本を重要な小道具として登場させることになるのだが、その絵本を採択する上で重要視したのが、絵本にある挿絵だったようである。
そのため、作品のカラーに合う絵本を見つけるために、各書店を探し回ったが、最近の絵本はアニメセルの挿絵が多く、なかなかイメージに合う絵本が見つからない。
そんな時、ある古本屋で見つけた絵本が結果として採用されることになった。
その絵本こそが、劇中で見るに至った偕成社刊の「ガリバー旅行記」である。
しかし、この絵本は当時、既に10ン年前に絶版になっていたうえ、挿絵を描かれた桜井誠氏も故人となられていたことで、著作権を継承されていた桜井夫人に使用許可を頂戴したとのこと。
この故桜井氏は油絵の画家を本業をとされていた方であったが、生来、子供が大好きであったことから、その子供達が喜ぶ絵本の挿絵を手数料こそ安値であったが喜んで引き受けていたそうで、この「ガリバー旅行記」がウルトラ映画に採択されたことを知れば、さぞや喜んだことでしょう…というのが桜井夫人の談である。
また桜井夫人談はさらに続き、「画家仲間のなかで子供好きで怪獣を作っていた方がいた。」とある。
そう、この“怪獣を作っていた”方こそ、驚くなかれ、実はあの故高山良策氏なのである。
これが、あの絵本「ガリバー旅行記」が採択されるに至った理由を含めた記述なのであるが、当時、この絵本は映画公開に合わせて出版元である偕成社から少数ながら重版を書ける予定がある…ということで記事が結ばれていた。
そこで、早速、私の手元にある「ガリバー旅行記」を確認してみたところ、なるほど…正しく映画公開に合わせた時期ではないか!!

残念ながら、出版元をはじめ、各ネットショップ等を探してみたが、この「ガリバー旅行記」の新本は既に売り切れとなってしまっているようで今の時点で入手するのは困難な状況にあるようだ(中古本であれば入手可)。
ただの一冊の絵本ながら、この本が採択される意味合いを今更ながらも知るに至り、尚一層、愛おしく思えてしまうのは単にガイアファンということだけのことではないような気がする。
今後のウルトラ作品作りにも、細かい所でも手を抜くことなく、拘りのある作品作りに努めていってほしいものである。
(本記事は2012年1月、mixi日記上に投稿した内容を再編集したものです。)

