かまびすしい | 山川秀樹のブログ

かまびすしい

 今回は少し重いっていうか硬い話題ですみません。
 巷では選挙選挙という声がかまびすしくなってきているようです。むろん、衆議院の
解散・総選挙が近いのは間違いのないところだからでしょう。けれども、国会中継や種
々のマスコミ報道を見るにつけ、永田町での議論や出来事と、ぼくら多くの市民の生活
や重いとの間の齟齬を痛感してへきへきしてしまうというのは、決してぼくだけではな
いでしょう。

 ましてや、ぼくら障害者や多くの被差別者(社会的マイノリティー)の厳しい状況な
ど、永田町の極一部を除いた多くの「先生方」には、念頭にもないことでしょう。いわ
ゆる「後期高齢者医療制度」の見直しが議論されていますが、果たしてどの程度の見直
しになるのか、本当に高齢者の生活や人権を保障するものになるのかはなはだ心もとな
い限りです。そして、あの悪名高い「障害者自立支援法」の抜本的な見直しということ
になれば、たとえ政権交代が行われたとしても、果たして本質的な議論がなされるのか、
なかなか期待がもてそうにありません。

 ともすれば2台政党の表面的な対決や、どこの党が何議席取るか、候補者のキャラク
ター等等といったことばかりが伝えられ感心を呼びがちです。しかしながら、本来はそ
うした事柄のみならず、どんな政策や施策によって、どんな社会を作っていくのか、ぼ
くらのこの「国」は、これからどんな方向に向かって、どんな社会システムを目指すの
か等といったことが、多くの市民を巻き込んで、この貴重な機会に論議されなければい
けないはずなのです。

 というか議論の指針となる理念や哲学が、いつの間にか市場万能主義以外には失われ
てしまっているようにも見受けられます。そして、多くの有権者もその市場万能主義と
ナショナリズムの方向に押し流されているのかもしれません。

 なんだか抽象的になってしまいましたが、今1度立ち止まって真剣に考えてみないと、
後でとんでもないことになるかもしれません。

 そんな折も折り、たまたまこちらのページ
 http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/asanuma.htm
 で彼の経歴と最後の演説原稿を目にすることができました。

 この原稿が書かれた1960年当時と今日とでは、社会や経済の状況も、市民の生活や意
識の有り様も、大きく異なっているように感じられます。
 けれども、この原稿で述べられている理念や目指されている方向性には、今の時代に
も通じる普遍性があるのではと思うのですが。