こんにちは!
MiMicoです。
最近、私が人に伝えるようにと、下りてくるメッセージは、
たくさん感じなさい、自分の感覚(体とハート)を信じて、
生きなさいということ。
それを伝えていると、ふと気づいたのは、
ああ、そっか、傷つくのがイヤで、
痛みを感じるのがイヤで、
私はずっと心を麻痺させ、
石や重い鉛のようにさせて、
感じないために生きていたのだな、ということだった。
感じないために必死で感覚を麻痺させる、
というところから、感じるために、必死に感覚を開いていく。
そのためには、どんな自分でも大丈夫、
自分を大事に、自分に親切にする、
ぎゅっとするということが、とても必要。
それがないと怖くて、感覚を開くなんて、できない。
そして、昨日、リコーダーを買うために、
いつものように魔女のキキのような気分で、
海辺の街へと、ぶーんと車を走らせていたときのこと。
どこまでもまっすぐな青い水平線をじっと眺めていると、
分かってしまった。
私は自分のために、自分の体と精神のため、
自分がちゃんと生きていくために、
自然のたくさんある場所で住みたいと、考えていた、と思っていた。
のだけれど、
実は自分のため(というのも、もちろんあるけれど)と、
思わされていたけれど、
それは夫の命を救うためだったということ。
私が本気で楽しそうでないと、
夫は自然の中で住もうなんて思わないから、
まずは私がそういう状態になっていた、のだなということ。
ということが分かったら、
頭をガーンと殴られたような感じで、
何で気づかなかったんだろう、と不思議になり、
でもなんだかとても腑に落ちた。