エスペラント語への疑問 Duboj al Esperanto -3ページ目

エスペラントは男性中心主義の言語である

これはエスペラントを少しでも学んだ事のある人なら誰でも知っているでしょう。
「おとうさん」 は patro (パートロ)ですが、「おかあさん」は patro の語根 patr と、名詞を表す語尾 o の間に女性を示す接尾辞 in をはさんで patrino (パトリーノ)としなければなりません。同様に「おじさん」「おばさん」は onklo, onklino ですし、「兄弟」「姉妹」は frato, fratino です。現在の普通の感覚を持った人ならこの時点でエスペラントをやめますね。

これは少しでも語根を少なくして言葉を覚えやすくしようという節約精神の現れでしょうが、このような節約は困りものです。「おかあさん」は matro でいいじゃないですか。「おばさん」なら tanto かな?

中立を謳っているエスペラントがこんな基本的な点でおよそ中立からかけ離れているのですから皮肉なものです。

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未来は翻訳機の時代

星新一の小説を読んだ人なら、作品中にしばしば翻訳機というものが登場するのはご存知でしょう。宇宙人が円盤に乗ってやって来て、なにやら箱を取り出して
操作しているうちに地球人と言葉が通じるようになるというアレです。
まあ多分実際にはそんな大層な箱ではなく、携帯電話に組み込まれるかイヤホンみたいに耳に差し入れるだけの簡単なものになるでしょうけど。

どんな言語を作ろうと、それを使いこなせるようになるまでは莫大な時間と労力を必要とします。その過程で能力の差が生じて来るのは当然の事です。それが英語や中国語のような自然語であろうと、エスペラントのような人工語(計画言語)であろうと同じ事です。

本当に信頼する事のできる翻訳機(通訳機)はまだないですが、私はどんなに遅くても100年後には世界中の人が自由に会話できる翻訳機ができると思っています。多分実際にはもっと早くできるでしょうが。そうなれば英語もエスペラントも必要ありません。

しかし見方を変えれば、人々が義務としての外国語から解放されたその時こそ、本当の世界共通語が生まれる時なのかも知れません。それは多分エスペラントではないでしょうけど、エスペラントの精神を受け継いだものにはなるだろうと思います。

papageno

エスペラントはヨーロッパの言語である。

時にエスペラントはヨーロッパの言語ではないと強弁する人がいるのにはあきれかえります。確かに細かい文法的な事においては、孤立語的であるとか、膠着語的であるというような事は言えるのでしょう。でも総合的に見て下さい。これがヨーロッパの言語でなくて何なのでしょう?

何%かは知りませんが、ほとんどの単語がヨーロッパ語起源であるし、文法的に見ても、例えば「今日(私は)大阪に行きます」を Hodiaù Osakon iras. なんて言えませんよね。必ずmi を付けなければならないでしょう。動詞があればそれに対応する主語がなければならないのはヨーロッパの言語の特徴です。ヨーロッパの言語だけに限られるのかどうかは知りませんが。中国語もそうなのかもしれませんがよく知りません。

「どこに行くの?」「大阪だよ」 "Kien vi iras?" "Osakon." とは言えても、"Iras Osakon." では変ですよね。「え? 誰が大阪に行くの?」と聞き返されそうです。動詞と主語とは不可分一体だからです。

こんな基本的なところから完璧にヨーロッパの言語の特徴を示しているのに、これがヨーロッパ語ではないと言う人の神経はよく理解できません。

papageno

人工国際補助語の時代の終わり。

ヴォラピュク、エスペラント 、イード、インテルリングワ、ノシロなどなど、人工国際補助語として何千という言葉が作られました。もちろん自分で言語を作るのは楽しいでしょうし、大いに結構な事だと思いますが、それらが国際補助語になる可能性はまずありません。どんな言語を作ろうとそれはある程度苦労して学ばなければならないし、その言語がよくできる人とできない人との不平等は存在するのだし、誰にでも平等な言語などあり得ません。

私は人工国際補助語の時代、と言うよりも人工国際補助語というものが可能だと思っていた時代は終わったと思います。これからは翻訳機(自動翻訳、機械翻訳)の時代でしょう。すでにインターネットで機械翻訳を使った人は多いでしょう。日本語と英語というように系統の違う言語ですとまだまだですが、日本語と韓国語などでは時に驚く程よく翻訳される事があります。音声の方の実態はよく知りませんが、将来携帯電話に翻訳機が組み込まれて、外国人と会話する時代が来ると思います。

papageno

エスペラントへの疑問

エスペラントと言うものに出会ってからすでに20年以上になりますが、初めは「希望する者」だったのに、このところは「失望する者」になってしまっています。

相も変わらずエスペラントの誇大広告をしている人がいる事には驚かされます。
やれ世界一易しい言語だとか、やれ中立的な言語だとか、日本語や英語や韓国語やブルガリア語などと同様の一つの言語に過ぎないのに、この言語こそが国際補助語としてふさわしい唯一の言語であるかのように言う人がまだ存在しています。

エスペラントは一つの言語です。それは一人の人が集中的にその基本を作り上げたという点において、日本語とか英語などの言語とは異なりますが、一つの言語である事に変わりなく、エスペラントが何か特権を持っているわけではありません。

もうそろそろエスペラントをただの一言語の地位に戻してやるべき時ではないでしょうか?

papageno