エスペラント語への疑問 Duboj al Esperanto -2ページ目

「星の王子さま」を自動翻訳にかけてみると、、、

アントワーヌ・ド・サンテグジュペリの「星の王子さま」の冒頭部分を、インターネットの自動翻訳にかけてみました。フランス語←→日本語のインターネット自動翻訳はあまりありませんが、3つのサイトが見つかりました。

原文
Lorsque j'avais six ans j'ai vu,une fois,une magnifique image,dans un livre sur la Forêt Vierge qui s'appelait "Histoires vécus". Ça représentait un serpent boa qui avalait un fauve. Voilà la copie du dessin.

(6歳の時、「本当にあったお話」という原生林について書かれた本の中で、すばらしい絵を見ました。それは獣を飲み込もうとしているウワバミの絵でした。これがその絵の写しです。)

1. 1-800-Translate による自動翻訳
私が6歳であったとき、私は、「生活された歴史」と呼ばれた未踏の森についての1冊の本で、かつて、壮大な写真を見た。 それは子鹿を飲み込んだヘビボアを表した。 図画のコピーがある。

2. Infoseek マルチ翻訳
私が6才であったとき、かつて、私は見ました、素晴らしい絵、電話をされたバージンフォレストの1冊の本において、「履歴は生きました。」 それは、淡黄褐色をのみこんだヘビボアを表しました。 図面のコピーが、あります。

3. WorldLingo
私が6歳私鋸だった時、「物語呼ばれた」と原生林の本の素晴しいイメージが、住んでいたら。 それはシカを飲み込んだヘビのボアを表した。 デッサンのコピーはここにある。

1は「生活された歴史」などいくつか問題もあるものの、一応日本語として成り立っています。
2と3が変なのは一旦英語に翻訳したものをさらに日本語に翻訳した重訳だから。3の「私鋸」は j'ai vu(私は見た)→ I saw → 私のこぎり、というわけで笑えます。

1のサイトで一旦英語に翻訳し、さらに日本語にすると全然違うものになったので、1はフランス語から直接日本語に訳しているように思えるのですが、それにしては fauve(野獣) が「子鹿」になっているのは奇妙。これは fauve(野獣、鹿子色)→ fawn(鹿子色、子鹿)→ 子鹿、という流れで起こる事ですから。

エスペラント版「星の王子さま」 もありますよ。

La Eta Princo per mas^intradukilo.

papageno

エスペラントとは

エスペラントの批判ばかりしているので、エスペラントが役に立たないと言っているように思われるかも知れませんが、そうではないのです。エスペラントが誕生して120年間、それは実際に役に立って来ましたし、これからもしばらくは役に立つでしょう。

エスペラント以外にも実に多くの人工国際語が作られて来ました。その数は数千にもなります。しかしヴォラピュク、イード、インテルリングワなど、いくつかの例外を除いては、ほとんど広まりませんでした。その中でエスペラントが突出して普及したのは、いろいろ理由があるでしょうが、やはり言語としての完成度が高かったからだと思います。

国際語の問題を考えている人は、ぜひ一度はエスペラントを学んでほしいです。そして一人の人間が作った言語でも、日本語とか英語などと同じように、機能するものだという事をまずは確認して欲しいのです。その上でこれからの人類の言語のあり方を考えていただきたい。

未来は翻訳機の時代だとは思いますが、そうは言ってもやはり同じ言葉で直接話す事にまさるものはありません。そのような時に、その言葉のひとつとしてエスペラントは役に立ち続けるだろうと思います。

Lernu unufoje Esperanton tiuj, kiuj pensas pri problemo de internacia lingvo.

papageno

音叉

ふと「音叉」ってエスペラントでなんて言うのだろうと思って、フランス語が diapason(ディアパゾン)だから diapazono(ディアパゾーノ)ではないだろうかと調べてみたら、その通りでした。ちなみに英語では tuning fork .

これはほんの一例。エス仏辞典というのを持っているけど、万事がこの調子で、ほとんど同じ単語が多少の綴りの入れ替えだけで載っている。これでこの言葉がどこの国の言葉でもないと言えるのだろうか? どこの国の言葉でもないにしても、かなりの割合でフランス語であり、ましてやこれが文化的にヨーロッパのものである事は明白だ。

実際私はフランス語を勉強するようになってからエスペラントが多少わかるようになって来た。私のエスペラント理解にはフランス語が必要だったのである。果たしてそれでもエスペラントが易しいと言えるだろうか?

C^u Esperanto estas la franca lingvo?

papageno

エスペラントに特権は無い

全てのエスペランティストがそうである訳ではないが、時々救いがたいほどエスペラントの特権意識を振りかざす人がいてイヤになる事がある。

エスペラントは一つの言語である。それ以上でもそれ以下でもない。ただ日本語や英語などの自然語は多くの人々によって徐々に形成されて来たのに対し、エスペラントのような人工語は一人の人が短期間に集中的に作り上げたという違いがあるだけだ。

エスペランティストはしばしば英語には国際語になるような特権は無いと言う。そう言っておきながら次の瞬間エスペラントにはそれがあると言う。なぜ? 全ての言語は平等ではないのだろうか? それともエスペラントは何か特別なものとでも言いたいのだろうか?

エスペラントのこのような特権意識は危険である。エスペランティストの中には他の人工語に対し侮蔑的、差別的な発言をする人が多々ある。エスペラントだけが成功した人工語であるとか、他の人工言語は消滅しただとか(!!!)。

全ての言語は平等であると言うなら、当然エスペラントもその中の一つに含まなければならない。そして他の人工言語も。
エスペラントに特権など無いのである。

Esperanto ne havas privilegion.

papageno

不完全な外国語より不完全な翻訳機を

どのみち、外国語(もちろんエスペラントも含む)を習得するなんて大変な事である。外国で生まれた日本人の子供だって、バイリンガルになるなんてまれな事である。

外国語の習得なんて一部の、才能に恵まれた者、仕事上どうしても必要な者、物好き(言語マニア)、ひま人などに任せておいて、その他の者は翻訳機を使えばいい。そのような時代がすでに始まっている。

一生懸命勉強してもどうせ大した事もしゃべれず、相手の言う事も、書いてあるものも30%ぐらいしかわからないのなら、70%正しく訳してくれる翻訳機とどっちがいい? 


おもしろい話があります。同時通訳においては、情報の10%が消え、2~3%が誤って伝わるものだそうです。それがリレー通訳(A語←→B語←→C語というような)となると当然その数字はもっと上がります。「国連関係機関で提供される全言語サービスに関する国連調査によると、科学会議に関していえば、もとの情報量の50%の情報が、リレー通訳の課程で消えてしまっている」そうです(→このページ の「大量の情報の消失」参照)。こんなひどいものなら、少なくともリレー通訳に関してはもう間もなく通訳機に取って代わられそうじゃないですか? 

また別の報告では、2004年にEUで69万3306ページの文書が機械翻訳で訳されたそうです。それがそのまま配布されたのか人間によって手直しされたのかはわかりませんが(→このページ の中ほど)。

すでに翻訳機の時代は始まっています。もうこれ以上外国語(もちろんエスペラントも含む)の習得に無駄な努力と時間とお金を注ぎ込むのは止めにしませんか? 

Tempo de tradukilo jam venis.

papageno


世界共通語への妄想

全てのエスペランティストがそう思っている訳ではないけれど、エスペラントの基本的な理念は世界中の全ての人が母国語に次ぐ第二言語として、つまり共通語として、エスペラントを使用するようになる事です。

ええっ!? それっていわゆる言語帝国主義そのままじゃないの?

さよう、その点において英語もエスペラントも同じ穴のムジナなのです。違う点は一方がすでにその帝国主義をある程度実現しているのに対し、一方は自分たちで妄想しているだけという点です。だからエスペラントの英語に対する嫉妬と羨望は激しい。ありとあらゆる英語の悪口を言っておきながら、結局は自分がそれに取って代わりたいというだけの事です。一方は自然言語であり一方は人工言語であるという違いがあるものの、どちらもヨーロッパの言葉であり、非ヨーロッパ人にとっては同じ事なんですけどね。

エスペランティストはしばしば、世界の全ての言語を基礎にした人工言語などできないと言いますが、そんな事わかったもんじゃない。千年か一万年か何年かかるか知らないが、きっとできると思います。でもその前に優れた翻訳機ができて、そんなものも必要なくなるんですけどね。

Esperanto estas lingvo imperiisma.

papageno


共通語の時代の終わり。

完全な翻訳(通訳)機ができるとします。完全と言うと誤解があるかも知れませんから充分信頼できると言った方がいいかも知れませんが、長ったらしいので簡単に完全と言わせてもらいますが、いずれできるでしょう。ある程度のものならすでにできていますから、時間の問題でしょう。

するとどうなるか、まず義務としての外国語教育はなくなるでしょう。外国語は趣味としてやりたい人、直接その言葉で読みたい人、話したい人だけが学ぶようになるでしょう。

そしてもはや人類は共通語を必要としなくなります。
これはすばらしいことです。共通語は必ず地域の言葉、つまり民族語や方言を破壊しますから。たとえエスペラントだって万が一(万が一の可能性もありませんが)世界の共通語になったりしたら、必ず民族語を破壊するでしょう。

もっと推し進めて、たとえば日本語の共通語も必要なくなるかも知れません。東京方言を基礎とした共通語のために、他の方言が破壊されている事実は誰もが認める事だと思います。将来は東京人と大阪人が翻訳機を通して会話するかも知れません、いやホンマ。

Fino de komuna lingva epoko.

papageno

英語もエスペラントも要らない。

ほんの2・3年前までは、エスペラントに疑問を感じつつも、これ以外に国際語としてふさわしいものは無いようだから仕方がないなあ、と思っていました。でもインターネットで自動翻訳、あるいは機械翻訳というものを試してから、ちょっと考えが変わって来ました。全くひどい事もありますが、時々びっくりするぐらい正しく翻訳される場合もあります。とりわけ日本語と韓国語の場合かなり実用になる事が多い。これは将来は、星新一の作品にいつも出て来るあの翻訳機も夢ではないと思うようになりました。

考えてみればエスペラントは全くヨーロッパ語そのもので、その時点で国際語としてふさわしくない事は明白です。もちろん英語であれ中国語であれ、ある特定の民族語がふさわしくない事は言うまでもありません。どんな人工言語も(これまで何千という人工語が作られて来ましたが)それを十分にマスターするには相当の時間と労力とそしてお金が必要となります。そしてどんな言語であれ、それを学んでいる途上でできる人とできない人の落差が生まれ不平等が生まれます。エスペラントについて書かれたものでその事に触れているのを今まで見た事がありません。

本当に中立で平等なのは翻訳機をおいて他にありません。

誤解の無いよう言っておきますが、エスペラントはとても魅力的な言語で、私も大好きで、これからも時々勉強しようと思っていますが、魅力があるからといって国際語としてふさわしいという事には全然ならないという当たり前の事を認識しなければなりません。

Oni ne bezonos plu nek la anglan nek Esperanton.

papageno

2020年までに音声自動翻訳機が実現?

「自動翻訳」で検索していると、次のような記事が目に止まりました(一部引用)。

>総合科学技術会議は18日、2025年に目指す国民生活の姿を描いた「イノベーション25」中間とりまとめを実現するための技術的な行程表(ロードマップ)をまとめた。生命科学や情報通信などの分野別に、10年までと11年以降の研究目標を示した。今月末にまとめられる最終報告に反映され、政府の「骨太の方針」に盛り込まれる。

 技術革新のロードマップは、まず再生医療や自動音声翻訳など実用化のための基礎的な技術がある六つの項目を「社会への還元を加速させるプロジェクト」として先行的に進め、5年以内に実証研究を始め、成果が社会に早く出せるようにするとした。自動音声翻訳では、ビジネス会話までの同時翻訳サービスの20年までの実現を掲げた。
http://www.asahi.com/science/update/0518/TKY200705180317.html

ビジネス会話「まで」の同時翻訳という事ですが、どういうレベルを意味しているのでしょうね。いずれにせよ本当に近い将来信頼できる翻訳機ができるという事で楽しみです、、、う~ん、本当に後13年でできるのでしょうか? 皆さんどう思われますか?

エスペランティストの中立意識(ウィキペディアをめぐって)

ウィキペディアのエスペラント版 Vikipedio は最も人気のあるエスペラントサイトではないでしょうか?

その Vikipedio の中で、いろいろな言語の項目(例えば日本語 とか、エスペラント 自身とか)を見て下さい。その言語の例文として、Patro Nia というものがあるのに気付きます。Patro Nia (主の祈り)とは「天にまします我らの父よ」で始まるキリスト教の祈りの文です。これは昔から世界の各国語を紹介する時に使われて来たもののようですが、このような非中立的な特定の宗教の文章を未だに使っているエスペランティストの感覚って一体なんでしょう? 

調べてみたところ、実に59の言語の項目に Patro Nia が掲載されていました(調べたい方はこのページ からどうぞ)。その中には中国語やサンスクリット語もあれば何とクリンゴン語までありました。クリンゴン人ってキリスト教徒なんでしょうか? さらにトルコ語までありましたが、トルコって国民のほとんどがイスラム教徒なんですが。大体このエスペラント版ウィキペディア以外に言語の例文として主の祈りを掲載しているものなんて見た事ありません。

実は私は Vikipedio の Diskutejo(日本語版の「井戸端」に当るもの)にこの事について問題提起した事があります。何人かの人が賛同のコメントを書いてくれましたが、それ以上は関わっていません。それにしてもこの事について問題提起したのが世界中で私たった一人とは! エスペランティストの中立意識を見てもらうためにも、もう少し放置しておこうと思いますが、そのうち全部削除するかも知れません。

papageno