※映画『Michael』の内容に触れています。ご了承ください。

前回は、映画『Michael』を通して改めて感じた

マイケル・ジャクソンの圧倒的な「光」について書きました

幼い頃から人を惹きつける歌声を持ち、やがて音楽だけでなく

ダンスや映像、演出まで含めて

新しい世界そのものを創り出していったマイケル

けれど、その強い光の背後には深い影もありました

 

今回、映画を観ていて私が最も心を動かされたのは

マイケルと父ジョセフ(ジョー)・ジャクソンとの関係です

才能を見つけた人が              自由を与えてくれるとは限らない

父ジョーは、子どもたちの才能を早くから見抜き

ジャクソン5として世に送り出しました

インディアナ州ゲーリーの一家から、世界的なスターを生み出していく

その行動力も先見性も、並大抵のものではなかったのでしょう

 

兄弟の中でも、マイケルには明らかに際立った才能がありました

父ジョーは、それを誰より早く見抜いた

その意味では、父の存在がマイケルの人生に

大きな扉を開いたことは確かだと思います。

 

けれど

才能を見つけてくれた人が

必ずしもその才能を自由に生きさせてくれるとは限りません

 

父ジョーのもとで、マイケルは歌い、踊り、成功していきます

その一方で、何をするのか

どこへ向かうのか

どのように活動するのか

人生の多くが父によって決められていました

幼いマイケルには、自分で選べることがほとんどなかったのでしょう

大きな翼を持った「籠の鳥」

映画を観ながら、私の中に一つのイメージが浮かびました

籠の鳥

幼い頃、その籠はマイケルを守る場所でもあったはずです

父に導かれ、兄弟たちと歌い、まだ知らない世界へ出ていくための場所

けれど、鳥は成長します

翼が大きくなれば、いつまでも同じ籠の中にはいられません

まして、マイケルの内側には次から次へと創作のアイデアがあふれていました

誰かに与えられた曲を歌うだけでは、もう足りない

自分で音を生み出したい

自分でリズムを作りたい

自分の頭の中にある世界を自分自身の作品として形にしたい

 

才能がなかったから、マイケルは苦しかったのではない

才能にあふれていたからこそ、

籠の中にいることが苦しかったのではないか。

 

自分には飛べることがわかっている

行ってみたい場所がある

見てみたい世界がある

自分の翼で、どこまでも飛んでいきたい

それなのに自由に飛ぶことができない

その苦しさは、どれほどだったでしょう

「ここから先は、自分で選ぶ」

成長したマイケルは、自分自身のチームを作り始めます

自分を守る弁護士や、自分の仕事を支える人たちを自分自身で選ぶ

そして、父をマネージャーから外したいという意思を示します

私はこの場面が、とても印象に残りました。

父への単なる反抗ではなかったと思うのです

むしろ、

「ここから先の人生は、自分で選ぶ」

というマイケルの意思表示のように感じました

 

誰と仕事をするのか

何を創るのか

どの道を歩くのか

それまで周囲に決められてきたものを、一つずつ自分の手に取り戻していく

人生の主導権を、自分自身へ戻していく

マイケルにとって、それは大きな一歩だったのだと思います

子どもでいる時間を持てなかった少年

自由を手にしたからといって、過去まで消えるわけではありません

映画では、大人になったマイケルがおもちゃに心を躍らせたり、

子どもたちと無邪気に触れ合ったりする姿も描かれます

その姿を見ながら、私は胸が少し痛くなりました

 

マイケルは、大人になってから

子どもの頃に持てなかった時間を取り戻そうとしていたのではないだろうか

そんなふうに感じたからです

普通の子どもなら、遊ぶ

ふざける

失敗する

何の目的もなく時間を過ごす

そんな時間があります

 

けれど、幼い頃からプロとして舞台に立ち、

練習を重ね、常に結果を求められてきたマイケルには、

「何もしなくてもいい時間」がどれほどあったのでしょう

世界中から愛されるスターになっても、

心の奥には、まだ遊び足りなかった少年がいたのかもしれません

子どもの頃に得られなかったものを、

大人になってから取り戻そうとすることがあります。

時間が経っても、心の中には消えずに残るものがある

私はそこに、マイケルが抱えていた深い傷の一端を見るような気がしました

離れたからこそ、もう一度向き合えた

マイケルは父から離れました

けれど、それは父を完全に拒絶することとは違っていたのだと思います

まず、自分の人生を自分の手に取り戻す

自分で仕事を選び、自分のチームを持ち、自分が創りたい音楽を創る

 

そうして自由を得たあと、マイケルは再び家族と向き合います

父ジョーが望んでいた兄弟とのツアーにも参加しました

本心では葛藤がありながらも、最後には自分で「やる」と決める

ここが、とても大切なのだと思います

以前なら、父に言われたから従うしかなかった

でも今度は違う

 

同じ行動でも、自分で選んだのなら意味が変わる

父に命じられてステージに立つことと

自分の意思で「家族のためにやろう」と決めてステージに立つこと

外から見れば同じように見えても、その内側はまったく違います

マイケルは父の願いに応えたうえで、自分自身の道へ進んでいきます

父から離れることと、父を否定することは同じではない

自分の自由を取り戻すことと、家族を捨てることも同じではない

一度きちんと距離を取り、自分自身として立てるようになったからこそ

父の思いを見る余裕も生まれたのかもしれません

そして、父との関係は和解へと向かっていきます

 

親を理解することと、自分の傷をなかったことにすることは違います

「あの時は苦しかった」

という自分の気持ちまで消す必要はない

その痛みを抱えたままでも、相手を別の角度から見ることはできます

それは、再び相手に従うことではありません

自分の人生を取り戻したうえで、その関係をもう一度、自分で選び直すこと

マイケルと父との和解には、そんな意味もあったのではないかと感じました

そして『BAD』へ――もう一つの「自分で選ぶ」物語

今回、改めて「Bad」の長尺版を観ました

そこに描かれていた物語を、私はこれまでほとんど知りませんでした

マイケルが演じる青年は、学校から地元へ戻ってきます

けれど、昔の仲間たちは、戻ってきた青年に以前と同じ生き方を求める

「仲間なら、こうするはずだ」

「本当に強いなら、こうしろ」

そんな無言の圧力の中で、自分が望まない道へ引き戻されそうになります

それでも、青年はその道を選びません

周囲に認めてもらうために、自分を曲げることをしない

誰かが決めた「強さ」ではなく、自分自身の価値観を選ぶ

 

その姿を見て、私は映画『Michael』のマイケルと重ねずにはいられませんでした

父の敷いた道から離れ、自分の人生を自分で選び始めたマイケル

そして「Bad」の中で、昔の仲間が求める道を選ばなかった青年

どちらにも共通しているのは、

「周囲から求められる自分ではなく、自分が選んだ自分を生きる」

ということでした。

Who’s Bad?

そして『BAD』

Who’s Bad?

この言葉をそのまま見れば、

「誰が悪いの?」

とも読めそうです。

でも、この言葉のニュアンスを知ると

『BAD』のマイケルが少し違って見えてきます

それについては、また次回、お話ししましょう

 

私には『BAD』のマイケルが、

「僕が誰なのかは、僕が決める」

と世界に宣言しているように見えました

 

父に決めてもらうのでもない。

昔の仲間に決めてもらうのでもない

世間に決めてもらうのでもない

自分自身で決める

籠の中で歌っていた少年が、自分の翼で飛び始める

『BAD』は、その姿を象徴する作品のように感じます

人生は自分で選ぶもの

私たちは、子どもの頃には自分の人生を自由に選ぶことができません

どこに生まれるか

どんな親のもとで育つか

どんな価値観を教えられるか

それらを、自分で選ぶことはできません

 

大人になってからも

「こうするべき」

「こう生きなければならない」

「周りがそうしているから」

という、いつの間にか身につけた価値観の中で生きていることがあります

扉はもう開いているのに、自分でまだ籠の中にいる

そんなことさえあるのかもしれません。

人生のどこかで必要になるのは、

「私はどう生きたいのだろう」

と自分自身に問いかけることだと思います

 

親の期待でもない

世間の常識でもない

仲間から求められる自分でもない

誰かが敷いてくれたレールでもない

 

自分が選ぶ

自分で決める

その選択を、自分の人生として引き受ける

 

マイケルが父のもとから離れたこと

自分自身のチームを作ったこと

その後、自分の意思で父の願いにも応えたこと

父と和解したこと

そして『BAD』へ進んでいったこと

 

その一連の姿を見ていると、私は思います

人生を自分で選ぶというのは、ただ誰かから離れることではありません

 

離れることも

戻ることも

応えることも

断ることも

自分の意思で選べること

それこそが、本当の自由なのではないでしょうか

 

どんなに才能がある人でも、人生は自分で選ぶもの

自分で選んだ人生だからこそ、その才能は本当の意味で羽ばたき始める

 

マイケルの光と影を見ながら、私はそんなことを改めて感じました

 

次回は、Who’s Bad? という言葉に込められた英語のニュアンスにも

触れながら、自分の翼で世界へ羽ばたいたマイケルが遺したもの

そしてマイケルを演じた甥、ジャファー・ジャクソンへの

思いを綴りたいと思います

 

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