免罪符―――それが何なのかは時と場合による。

 

 若い時はその若さを。

 忙しい時はその忙しさを。

 傷ついている時はその傷を。

 病気の時はその病気を。

 うつろな時はそのうつろを。

 

 今の私は、心の傷と育児と病気と怪我を免罪符にしている。

 これでいいのだ、何か失敗しても自分のせいじゃない。

 そう言い聞かせている、それで救われている。

 免罪符、言い換えれば「~~だから」だ。

 一生懸命さを欠いているわけではない、いつだって必死だ。

 

 でも、もう疲れたよ。

 長い間、ボロボロの心と体でたった一人戦い続け、ついに折れてしまい今に至る。

 

 運ばれている間、やってしまったと思っていた。

 これでもう無理が出来なくなる・・・だけど、どこかホッとしている自分がいた。

 

 そういう病気だから

 体が痛いから

 おかしくなっちゃったから

 一人だから

 今は、そんな免罪符を振りかざしている。

 それで、少しでも楽になれるのならば、いいじゃないか――そう思いながら。

 

 

 

 

 ちょっとセンチでとりとめのない文を読んでいただき、ありがとうございました。