元・ボクシング世界ヘビー級世界王者モハメッド・アリ氏が亡くなった享年74歳。
(1942.1.17~2016.6.3)
゛ホラ吹きクレイ゛と呼ばれ、1970年代日本のビーバーエアコンのCMにも出ていた。
1976年6月26日格闘技世界一決定戦モハメッド・アリ×アントニオ猪木のために
来日した。連日新宿京王プラザに宿泊し深夜ジョギングトレーニングをしていた。
当時高校1年生で渋谷に住んでいたエスパーはモハメッド・アリに会いたくていてもたってもいられなくて
深夜走って渋谷から新宿京王プラザに行った。多数の報道陣やファンが。
身長190センチ。デカくて驚いた!足首に2キロの重りを入れていたが走り出すとファンたちが追い付けないほど速かった。
当時アリにサインしていただいた。自分はシャツに。翌朝登校し級友らにサイン色紙6枚渡した。
あとアリと走った写真が翌日の東京スポーツの一面に掲載された。
超嬉しかった。
アリ猪木戦は世紀の茶番劇といわれNET(現在のテレビ朝日)で昼に放送され夜再放送した。
空前の視聴率だった。試合を観た老人二人が興奮のあまり二人ショック死した。
エスパーとしてはあの試合は真剣勝負だと思う。
ボクシングとプロレスでルールが違うからどうしてもああなってしまう。
ヘビー級ボクサーのパンチをくらったらひとたまりもない。しかしプロレス何でもありにしてしまうと
プロレスは技が多様で格闘技の最高峰なのでバックドロップとかでボクサーは撃沈してしまう。
実は当時の猪木は世界的には知名度が低かった。
この命懸けの試合は世界で注目された。引き分け。
試合後二人に友情が芽生え
アリは猪木に「♪ALI‐BOM‐BA‐YE」(作曲/マイケル・マット)の曲をプレゼントした。
これが後の「イノキ ボンバイエ」に継承された。
ここ100年間の偉大なボクサーを三人挙げると
ジョー・ルイス、モハメッド・アリ、マイク・タイソンだろう。
全盛期同士対戦したとしてもタイソンよりアリとみる評論家は多い。
それにアリは単にスポーツ選手としてではなく
市民権、反戦、反人種差別、政治に影響を与えた偉人である。
モハメッド・アリ氏のご冥福を心よりお祈り致します。