最近アート作品をブログに載せないが

事情があり載せることができないのだ。今回は時間を要する作品。



・・・というわけで1986(昭和61)年友人の経営していた古着屋(デッドストック、アンティークショップ)の

エスパーが作成したチラシを掲載します。

町田駅前でエスパー自身がチラシ配りもしました。


時は日本がバブル真っ只中!

友人は不動産で年収3、4千万円稼いでました。

私のために町田にアパートを借りてくれ、登戸のデザイン事務所(機構設計事務所)に勤務してました。
NEC製品の製図です。武蔵小杉のNEC工場へ部品の配送もしてました。


本当は『D‐ぴっち』の2階が空室だったのでそこに住みたい、店の店員で働かせてほしいと頼んだけれど却下されました。

製図事務所で修行し独立してフリーの製図師になり、友人に後にバックするようにと。

友人は先を見込んでビジネス目線で物事を進めていたのです。

エスパーはそのあたりから自由業を目指していて

ハート出版のフリーライターをし本の原稿を書き上げましたが出版化には至りませんでした。

不動産の友達に近い将来テレビで活躍するようになるから活動の援助を要請しました。

皆、滑舌が良くないのにテレビに出れるわけがないと言い、相手にされなかったけど

ビジョンがあり、絵、オカルト、格闘技やびっくり人間ジャンルでいけば必ずうまくいくと思ってました。


実際それから約3年でテレビデビューです。



古着屋で働いていた友人は古着をたくさん持って逃げました。

「だから俺を店員に雇えば良かったのに」(伊東)


学校時代、校内で一番休んだけど成績は常に中以上を維持し

世間一般的なことはできないし、知らないが

自己の得意ジャンルにだけは特化してました。

なのでどんな状態でも逆転できると信じて生きてきました。


昨年夏からアートを復活させ、第二の転機です。

全く他とは異なる発想。


町田に住んでいたころ友人は芸能の道への援助はしないものの

金銭にものをいわせてキャバクラや居酒屋などわけわからないぐらいおごってくれました。






今ある原動力、原点です。町田は(^3^)/