公園の主二代目は、二人組だった。

五十嵐さんは元極道の親分。怒るとマシンガンを持ち出したという。

確かに貫禄はあるが、往年の名俳優・志村喬にそっくり。黒澤映画『生きる』の挿入歌「♪命短し恋せよ乙女~」の歌がよく似合う。

故郷秋田に家族を残し東京に流れてきた。


その一回りくらい下の高橋さんとは板橋で知り合い意気投合したらしい。高橋さんも秋田出身。独身。

二人とも器用で棺桶のような住居を2体作成した。顔の部分がフタみたいに開く。


エスパーはこの地を王家の谷と読んだ。考古学者ハワード・カーター気取りに

「今日はファラオ様おられるか」と尋ねた。


区が段ボールハウスは迷惑だからと撤去した。



コンビは懲りずに

砂場にモンゴルの遊牧民の移動式テント、「ゲル(もりくはパオ)」を設置した。中は8人入れる。


迷惑な話だがはたから見たらおかしかった。五十嵐さんが亡くなった。老衰?享年68。


その後、新潟から来たという本格的ホームレスがたつ島さん。

子供たちを残してきたという。自分がみじめだから会いたくはないという。

全く働かず空き缶拾いすらしない。周りの仲間たちに助けられ生活していた。

エスパー、たつ島さんに「公園会長」とあだ名をつけて呼んだ(笑)!

それから三年後くらいに区のすすめで生活保護を受けた。たつ島さんのアパートに行ったら

二部屋でベランダが10畳もある。急にいい生活になったが、毎日電車に乗り三駅も離れた公園に通った。さすが公園会長!

公園会長が初めてエスパー宅に来た。嬉しそうに酒を飲んで帰っていったが、まさかそれが最期になるとは。

それから10日後くらいにたつ島さんは酔って道を歩いていたら車にはねられて亡くなった。享年68才。以来公園に顔出すのはやめた。

公園に行くといろんなことを思い出す。