猫が死んだとき。(3回)
仕事で人生をひっくり返してしまうほどの大失敗をしたとき。
最初の妻と別れたとき。
そして、あと二ヶ月生きていられるかどうかと宣告された今回。
泣いた。
死ぬことは怖いというより、淋しい。
今の妻ともう少し一緒に居たかった。
行きたかったところ、したかったこともいくつかあるけど、それらより、今の妻ともうすぐ別れることになるんだなあと思うと、
どうしようもなく、淋しくて悲しい。涙が出た。
昨日の朝、病院へ行くためにマンションの前でタクシーを待っていた。胆管炎による倦怠感が強かったため、階段横のタイルの上に座って待っていた。気温は低かったが、よく晴れた日差しが暖かかった。ゴミを捨てに行ったらしい母娘が、おはようございます、と気持ちの良い挨拶をしてきたので、僕もおはようございますと頭を下げた。
「デイケアですか?」その50代前半くらいの母親は、続けてそう言った。苦笑した。64歳の誕生日を迎えて一ヶ月だけど、もうそんな風に見えるようになってしまっているんだなあ、と。黄疸で顔も(体も)黄ばんでいるし、体重が減っているためにかなり老けて見えるんだろう。
1月下旬に兵庫の実家に引っ越すための最後の下準備として、11月の21日、車で所沢の住まいを出た。浜名湖を通過する頃、急に、それこそ1時間もかからずに高熱の発熱感を感じ、パーキングエリアで体温を測ると39.8度の体温があった。急遽、近くのホテルを予約したが、そこへたどり着くまでに強烈な手の震えと寒気に襲われ、意識が飛びそうになる。横で恐怖に駆られる妻にホテルまでの残りの距離をカウントダウンしてもらい、意識が飛ぶのを避けながらなんとかチェックインする。
そのホテルで2泊し、滋賀あたりからも襲われた発熱と戦いつつ、実家に飛び込む。引越準備などは何もできず、到着の翌日から地元の総合病院で胆管炎と診断され、5泊6日の点滴と抗生物質を投与しながらの緊急入院。
最小限の片付けや手続きを済ませて、新幹線で埼玉まで戻る。で、昨日、「デイサービスですか?」と声をかけられながら普段の主治医の元へ行ったところ、1月の引越は取りやめるよう強く勧められた。「はっきり言いますが、もう、余命ということを考える時期に来ているんですよ」そうはっきりと言われる。
抗がん剤治療も、今の体力に見合うだけの少量を細々と続けていてももう効果は期待できないから、今後は対症療法で痛みや炎症、発熱などに対応しつつ緩和ケアに移りましょう、とのこと。
なんだか、そう言われるとものすごくすっきりした。全ての引越準備をキャンセルした。
これからは在宅ケアで麻薬などを使いつつ、穏やかに死んでいこう。ストンと胸にそういう決意が落ちた。
そういうことで、ここで長く長くお付き合いいただいてきた方々にもとりあえず、この時点でお別れを告げようと思う。あと一ヶ月なのか、二ヶ月なのか、半年かそれ以上か?分からないけど、思い残すこともかなり無くなった。本当に長い間ありがとうございました。今後は生きていて、体力気力があれば
https://ameblo.jp/espelho/
で近況報告をしていけるかもしれないので、興味のある方は覗いてみてください。
抗がん剤治療のせいか、この頃、甘みや塩分が以前より(或いは周りの人より)敏感に感じられるようになってきた。
だから、外食で困ることが増えてきた。
前はおいしいと思えた料理が食べられなくなっていることがとても多い。
カレーなどは、もう自分で作らないとだめになってきた。
でも、カレーって、やっぱり専門店の方が(塩分の問題さえ無ければ)おいしいのだが・・・・。
ひさしぶりに1時間ほど散歩ができた。
今年になってこんなに歩いたのは初めてだな。
また、カメラをぶら下げてあちこちへ出かける機会を増やそう。
(本当はあちこち電車に乗っていければ良いんだが、色々と不安・不便があって、
まだ車でしか出かけられない)
公園では、おいしそうな鴨(アヒル?)も散歩中。
先日、体力の低下がひどいので化学療法をやめることも考えるように主治医に言われた。
CTをとるとがん細胞は確実に大きくなってきていることも判明した。
今の治療方法をやめると後は放射線くらいしか残っていないという。
夜中に腹部の痛み(胃炎に似ている)で目が覚めることが増えたたため、
持続性の麻薬テープを増やしてもらうことになった。
(フェンタニルクエン酸という、四角いシールのような物で、24時間ごとに新しい物を
胸部に貼っている)
さて、あとどれくらい持つんだろうか?
3月に退院して、初めて自宅の浴槽につかったとき、あまりにも体の肉が落ちていて、尾てい骨が突出し、お尻の下に手を入れないと浴槽に尾てい骨が当たり非常に気持ち悪い感じがしたこと。そして、背骨も飛び出しているので、浴槽にもたれるとゴリゴリと背骨が当たることも気持ち悪かった。病院などの堅い椅子に座ったときも尾てい骨は当たるので、とても不快だ。
あばら骨もはっきりと浮き出ている。
ズボンは全てだぶだぶになり、サスペンダーで吊さなければどれもはけなくなってしまったが、はいてみたところでまるでチャップリン状態。
以来もう半年になるが、未だに体重は48キロ程度にしかならない。
そして、抗がん剤治療を続ける体力もギリギリの状況なため、標準なら月に3回(毎週一回で3週間治療し、4週目は休み)の治療も、月に1回がせいぜい。
おかげで、抗がん剤の副作用で抜け落ちていた体毛(頭髪、眉毛、ひげ、陰毛など)も、今ではほぼ従前通りに回復してきた。
癌で死ぬか、フレイル(体力の極度な低下)で死ぬかは別として、徐々に『寿命』という言葉が実感として感じられるようになってきた。
この先、もう仕事をすることもないだろうし。
また、このタイミングで、兵庫で独り暮らしをしている母がだんだん歩けなくなってきていることも加え、来年早々に実家に引っ越すことを決意した。
だから、仕事も辞め、少しずつ身の回りの物(衣類や本、CD等)を整理することを始めた。
手術ご、退院してからはできるだけ早いうちにおかゆなどの流動食をやめ、普通の食事をとるように指導されていたのだが、とにかくものが口を通らない。喉ではなく、口を通らない。ひたすらに何もかもがまずい。
数日たって、コンビニエンスストアのおにぎりを一つ丸ごと食べられたときは、本当にうれしかった。
しかし体重の減少を抑えることが急務であったので、近くの訪問看護医院に頼んで、週に二回、栄養点滴をしてもらうこととなった。
食事だけではなく、5分歩くこともままならない体力(筋力)だったから。
体重が45キロを切ったら悪液質になりますからがんばりましょう。
医者にはそう言われたので、色んなものを絶望的なまずさを我慢して食べる努力をする。
悪液質とは、運動量が減り、体重と筋肉が減り、食事量が減り、体力が減っていくと、ある程度のラインを超えた時点で摂取した栄養がもう吸収されなくなり衰弱していく体質のこと・・・らしい。
しかし、何を食べても、バイパス手術の後遺症でひどい下痢が続き、給料以上に無駄遣いをしている人の家計状況みたいになってしまった。
焦る。
胃や腸の手術をした人のブログなどを読むと、やはり多くの人が“食事”に悩んでいるらしい。
まず、とにかく何を食べても激烈にまずい。これは抗がん剤をやっていたときの副作用で経験する「味覚障害」とはまた別の経験だった。
味は変わらないのだが、それがもう経験したことがないくらい、殺人的にまずく感じる。
だから、量もとれない。
ご飯をスプーンに二杯くらいと、副菜を二口。
それくらいがせいぜいとなる。
だから、痩せる。
筋肉が落ちる。
体力も落ちる。
3月3日、ようやく二ヶ月に及ぶ入院生活が終わった。
自宅まで公共交通機関で帰る体力が残っていなかったので1時間以上の道のりをタクシーで帰る。
食事が苦痛なのは、退院してからも半年近く続いた。
退院時の体重は47キロだった。
2月1日、胃と小腸をつなぐバイパス手術を受けた。
手術後、目が覚めて、ICUの個室でテレビを見ていると、中国の武漢から、中国ウイルス(コロナウイルス)を逃れてきた日本人を乗せたANAの飛行機が羽田に着いたというニュースをやっていた。
右腕の動脈に針を突き刺され、尿カテーテルを差し込まれ、経鼻胃管を入れられ、背中に麻酔薬を流し込むための管を差し込まれ、寝返りも打てない高熱の体で、独り大きなカプセルホテルのようなICUで仰臥しているのはなんとも言えない気持ちになる。
それでも二日目には歩行器に捕まりながら病棟内を歩かされ、4日目には一般病棟へ移された。
重湯と具のない味噌汁だけの食事から始まり、10日ほどで五分がゆまで食べられるようになったが、再度十日目にまたしても胃が詰まり激しい嘔吐。今回も経鼻胃管を挿入され、翌日からは点滴のみの入院生活。
昨年(2019年)の冬から、膵臓癌の影響で幽門(胃腸の出口)や十二指腸が閉塞する症状が頻発した。
胃の中のものが水分も含め、全くその先の十二指腸とか小腸・大腸へ流れていかないと、
1.脱水症状が起きる。
2.胃が膨張し、激しい嘔吐が繰り返し起きる。(赤ワインのような色の吐瀉物、ほとんどは水分だが、が洗面器いっぱいに出たりする)
3.栄養がとれないため、体重がどんどん減っていく。
といった症状が起きる。
このため、昨年冬頃から4~10日の入院を繰り返し、経鼻胃管(鼻から胃腸まで胃液などを吸い取るための管)を処置される。
これは本当につらい。
そして1月10日には胃から小腸へのバイパス手術のため長期入院をすることとなった。
この時点で昨年秋まで65㎏あった体重は55キロほどに減っていた。
1月31日に胃に第二の穴を開け小腸につなぐ手術をした後、一ヶ月はほとんどまともな食事ができない状況が続いた。
口からとる食事の代わりに、CVポート(鎖骨の少し下の部分に埋め込まれた、大量の点滴を送り込むためのボタンのような器具。腕などの血管からの点滴より、より多く早く流し込める)から高カロリー点滴やその他の輸液を流し込まれるだけの日が続いた。
結果、2月の終わりには体重は50キロをかろうじて維持している状況となった。

昨夜、激しい腹痛がなかなか治まらないので、やけくそ気味にオキシコドン(麻薬系の鎮痛剤)を通常の4倍服用してみたら、胃か十二指腸かが止まってしまい、胃液で胃腸が膨れ上がり、別な腹痛を起こしてしまった。こうなると胃液の逆流も激しい痛みを伴うので、零時過ぎにタクシーで40分かけて三鷹の杏林のERに駆け込んだ。駆け込んだときはウンウンうなっていたのだが、いざ処置室に入ると大量(1.5リットルくらい?)の褐色の胃液を嘔吐し、すっかり楽になってしまった。
でも、翌朝には腫瘍内科の予約もあったので、そのまま用心のためERで点滴を受けながら寝たら、久々に爆睡。朝の8時半までよく寝た。
今日は、腫瘍内科の主治医に基礎となる鎮痛剤(これも麻薬系)の量を倍増してもらい、抗がん剤もついに変更することになった。
今度始める抗がん剤が効かなくなると、保険の使える標準治療はもう無い。先進医療につぎ込める金(少なくとも毎年そこそこの新車が買えるほどの金額)があるほど余裕はないので、あとは、疼痛管理をしながら死ぬだけらしい。
死ぬときは手短に楽に死にたいものだ。