よく法律の勉強などでは、「主要科目の基礎・基本が大事」と言われるわけであり、このことを否定する人はいないと思います(司法試験の合格体験記では、そういうことがたくさん書かれているわけです)。
しかし、この「スローガン」だけでは、何ら処方箋にはなりません。「何が基本なのか?」という問題が残るわけであり、かつ、それこそが、学習者にとって重要だからです。
 
で、その「基本」とは何か、を考える上で、貴重な資料があります。
それは司法試験委員会会議第46回で配布された資料です。
 
司法試験委員会会議第46回会議
http://www.moj.go.jp/shingi1/shingi_shihou_080604.html
 
資料7 最近の司法修習生の状況について
http://www.moj.go.jp/content/000006952.pdf
 
以下、引用。
 
「最近の二回試験で『不可』とされた答案は、実務法曹として求められる最低限の能力を修得しているとは認め難いものであった。以下、典型例を示す。
 ア 民法、刑法等の基本法における基礎的な事項についての論理的・体系的な理解不足に起因すると見られる例
 ○刑法の重要概念である『建造物』や『焼損』の理解が足りずに、放火の媒介物である布(カーテン)に点火してこれを焼損させた事実を認定したのみで、現住建造物等放火罪の客体である『建造物』が焼損したどうかを全く検討しないで『建造物の焼損』の事実を認定したもの
 ○債務の消滅原因として主張されている民法505条の効果を誤解して、相殺の抗弁によっては反対債権との引換給付の効果が生ずるにとどまる旨を説明したもの。
 イ 事実認定のごく基本的な考え方が身に付いていないことが明らかである例
 ○『疑わしきは被告人の利益に』の基本原則が理解できておらず、放火犯人が被告人であるかのどうかが争点の事案で、『被告人は犯行が行うことが可能であった』といった程度の評価しかしていないのに、他の証拠を検討することなく、短絡的に被告人が放火犯人であると結論付けたもの。
 ○刑事弁護人の立場を踏まえた柔軟な思考ができずに、被告人が一貫して犯行を否認し、詳しいアリバイを主張しているのに、被告人の主張を無視し、アリバイに関する主張を全くしないもの」
 
上記の引用からは、誰もが押さえるべき基本原則(例えば、民法で言うところの債務者主義とか、刑法で言うところの罪刑法定主義とか)や、また、条文上の要件・効果、さらには条文上の重要概念を正確に理解し、かつ、それが具体的事実に的確にあてはめることができるようになることが大切だということが理解できます。
 
ここで挙げられている相殺の例を出すと、「相殺の効果が引換給付」と書いてしまったのは、相殺の効果を押さえていないことに起因するものと思われます。逆に言えば、相殺の効果をしっかり押さえていれば、こんなことを書くことはありえません。
 
「そんなの当たり前じゃないか」と思うのかも知れませんが、勉強が進んでいくと、そういうことがすっぽり抜け落ちる危険は十分にあるのです。例えば、法科大学院などでは、相殺と言えば、相殺と差押え・債権譲渡とか、物上代位と相殺とかそういうテーマが中心に取り上げられると思います。わざわざ相殺の要件・効果に、1時間も2時間も使ってはないと思います。しかし、相殺と差押えの諸学説、判例を理解したからといって、自動的に相殺の要件・効果を理解できるわけではありません。現に、相殺と差押えを理解している人に、いざ、「相殺の要件は?」と問うて、根拠条文すら挙げられない危険はあるのです。現に、上記で挙げた例は、法科大学院生ではなく、法科大学院を修了し、また、司法試験合格によって、司法研修所入所相当と判断された修習生がやってしまったミスであります。このようなミスをした修習生も、相殺と差押えの論点について問われれば、一通りの答えはできたはずです。 

 
「法科大学院生・司法試験受験生や、修習生は基本が出来ていない」ということは、法科大学院にいる研究者・実務家教員、修習生の指導にあたる実務家から繰り返し言われることもあります。試験委員の採点実感でも同様です。しかし、もう愚痴を繰り返しこぼす時期ではありません。「基本が出来ていない」という「愚痴」を、100回、1000回言えば、法科大学院生、司法試験受験生、修習生が基本が身につくようになるとは思えません(現に採点実感では、似たようなことが繰り返し指摘されています)。「基本とは何か」、「基本をどう身につけるべきなのか」という処方箋を考え、示すときに来ていると思います(コアカリキュラムの策定の取り組みは、その一歩として、評価できます)。法曹養成における問題は、法科大学院制度をどうすべきか、司法修習のあり方をどうすべきか、という大局的な問題も重要であると共に、このような小さな問題(「小さな」とは言えないかも知れませんが)を1つ1つ解決していくことも、大切だと考えています。