当たり前のことですが、心から忘れないために。
後藤昭=酒巻匡=田口守一「鼎談 刑事訴訟法の学び方・教え方」法学教室197号15頁以下(1997年)
「後藤 (前略)
また、酒巻さんがおっしゃったように、確かに答案を見て感じることがあります。いちばん困る型の答案は、具体的な事例を解決をきいた時に、『実体的真実発見と、人権保障の調和の観点から、これこれと解する』みたいなものです。こういう答案が、どうも司法試験の勉強をしていると思われる人の中に多いわけです。
確かに、そういう利益の対立が問題になる場面も多いのですが、それはいわば当然のことであって、その調和をどう解決するかについて、刑事訴訟法あるいは憲法の条文に、一応の基準があるはずです。もちろん、条文だけからは自明の結論が出ないからこそ出題されるわけですが、やはりまずは解決の枠を示しているはずの条文に照らして問題点を分析してほしいのです。そこからどのような理由でどのような解決が導かれるかを説明してもらわないと、少なくとも実定法学の答案にはならない、と私は考えているのです。そのような姿勢で書いていけば、『何々と解する』というような、自己満足的な表現にはならないで、例えば『何々と解すべきである』とか、『介さなければならない』という、もっと力強い表現になるはずです。さらに言えば、刑事訴訟法についての利益の対立は、真実発見と人権保障のすべて還元できるわけではありません。もっと複雑な利益の絡み合いがあるのです。
酒巻 後藤先生のおっしゃったとおり、私も授業では、口をすっぱくして『条文を読め読め』と言っております。法律の解釈をしている以上、すべての出発点は条文です。これは松尾先生の『刑事訴訟法と条文』(法学教室197号6頁以下-ESP補足)のむすびにもピシリと押さえられているところですから、よく注意していただきたいと思います」
アンダーライン、下線はESPによる。
なお、この鼎談で、私が一番印象に残ったのは、後藤先生が鼎談の17頁で述べている、
「刑事裁判には、ドラマがあると思うのです」
という発言です。
余談。
昔の法学教室を読んでいると、「あの先生のお若い頃の写真」が見られて、貴重です。