一般人の俳句投稿(直接投稿やFAXやメールでの投稿)による

5時間ぼともかかる大掛かりな番組がありました。「季題」は、

芋、曲、秋 だったと記憶しています。

投稿された作品を、選者となった作家が選び、お互いに作品の

良さをアピールして、トーナメント方式で討論して勝ち残り、最後に

【大賞】を決めるという番組でした。

次に大賞作品と、6名の作家の推薦作品を紹介します。

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[大 賞] 大曲がりして星こぼす天の川

[推薦1] 芋の葉を開けばこぼる露と蟻

[推薦2] 主婦の座で通す生涯芋煮る

[推薦3] ミサ曲を金木犀に聴かせたる

[推薦4] 塩竈(しおがま)に山あり海あり愁思あり

[推薦5] 秋の淡海(おうみ)水尾(みを)切る水尾のありにけり

[推薦6] 東京タワー十月を二等分

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残念ながら私は「現代俳句」について、正しく詳細な定義を知りません

ので、私の感想に誤りがあるかと思います。その上、伝統俳句

「文語・古語」に詳しいわけでもありませんので、「国語辞典」と

「古語辞典」をたよりに、このブログを書いています。

しかし、俳句の生命は「切レ」の存在にあることには、かわりはないと

考えます。

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[大 賞] 大曲がりして星こぼす天の川

〔口語作品として〕 

「・・・して」は、接続助詞だと思います。「こぼす」は五段活用の自動詞で、

「・・す」は終止形と連体形を意味します。直後に名詞の「天の川」があるので、

ここでは連体形だともとれます。

従って、この作品には「切レ」がどこにも存在しないと思います。つまり

俳句ではないと言うことになります。

〔文語作品として〕

「して」は、サ変動詞「す」の連用形「し」に接続助詞「て」がついた【組み合わせ】

という記述が辞典にありました。「こぼす」は、他動詞サ行四段活用となっており、

「・・・す」は終止形と連体形を意味しています。

従って〔文語〕でも「切レ」はないことになりそうです。

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[推薦1] 芋の葉を開けばこぼる露と蟻

〔文語作品として〕

「こぼる」は、自動詞ラ行下二段活用で終止形となっています。従ってここに

「切レ」が存在します。「・・・る」は、〔口語〕では助動詞下二段活用であり、

〔文語〕では助動詞「り」の連体形と辞典では説明されていますが、

伝統俳句として成立していると思います。ただ「露」と「蟻」とが同じ葉の上に

存在するのか、私には気になります。

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[推薦5] 秋の淡海水尾切る水尾のありにけり

〔文語作品として〕

最後に「けり」という〔古語〕がありますが、〔古語辞典〕にある「みを」の意味は、

川や海の中で、船が往来する深い水路と書かれています。

選者の説明では、船が進んだ後に出来る水の広がりだと言ったようですが。

〔口語〕と〔古語〕が同時に使用されるのは、誤った記述だと思います。

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(以上です)

〔私的学習〕

多分どの新聞にも、読者投稿の俳句欄があるとおもいますが、

次のような作品が選ばれて掲載されていました。俳句となる

最大の要因「切レ」について考えてみました。俳人でない私の

理解ですので多少の誤解があることを前提に、お読みください。


1.すすき野の波に溺れてゆく夕日

「ゆく:行く,往く」は、自動詞カ行四段活用で、終止形も連体形も

「く」となっています。あとに名詞の「夕日」があるので、ここでは

「切れ」ていないと言うことになりそうです。


2.鴨着いて沼に佇む五六人

「て」は接続助詞だとおもいます。「佇む」は、自動詞マ行四段

活用で、終止形も連体形も「む」となっています。あとに名詞の

「五六人」があるので、ここに「切れ」は無いと言うことになりそう

です。


3.たましひの乗り移りたる菊人形

「たる」は、完了の助動詞「たり」の連体形だとおもいます。

従って後に続く名詞の「菊人形」との間には、「切レ」は無いと

言うことになりそうです。


4.一枚が枝を離るる谷もみじ

「離る」は、自動詞ラ行変格下ニ段活用で、「るる」は連体形

だとおもいます。従って名詞「谷もみじ」との間に「切レ」は

無いと言うことになりそうです。


5.秋深し人影も無き仏心寺

「深し」は、形容詞ク活用で、「し」は終止形です。従って

「人影」との間に「切れ」が有ることになりそうです。

「無き」は、形容詞「無し」の連体形で、後に続く「仏心寺」

との間に「切レ」は無いことになります。


6.風音の重さつなぎて蘆の花

「て」は、接続助詞だとおもいますので、「切レ」は無い

ことになりそうです。


7.山みちの風の秋蝶とは黄色

「秋蝶」という名詞だとすれば、どこにも「切レ」は無い

ようにおもわれます。


8.亡き僧は下戸好まれし栗の飯

「好まれし」 と 「栗の飯」 との間は、「し」が助動詞

「き」の連体形であるため、「切レ」は無いおもいます。

しかし、「亡き僧は下戸」で一旦文章が終わっていて、

後半が切り離された文章だと考えれば、ここに「切レ」

が有ることになりそうです。ただし切り離さない文章と

意味が違ってきます。


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以上15作品のうちに、このようなものがありました。

俳句と、そうでない17文字の作品との区別は、やはり

簡単ではなく、多くの新聞読者が、どのように理解して

いるのか不明です。

福岡市とその近郊の小学校・中学校の生徒を対象にした

第52回「少年少女俳句」コンクールが開催されたという記

事がありました。応募作品数は、小学校の部が694点で、

中学校の部が468点と報告されています。

最高賞の福岡市長賞に選ばれたのは、小学校の部では、

六年生の次の作品でした。


夏の日のきらめく海にダイビング


『「切レ」と俳句の正体』 で私の学習報告をしましたように、

俳句が成立する最も大切な要因は「切レ」が存在すること

であると、俳人清水杏芽氏から学びました。


さて前述の作品は、「海に」で軽い「切レ」があるように思い

ますが、次のようにしたら、「切レ」の存在をハッキリできる

のではないかと私は思います。


夏の日やきらめく海にダイビング


中学校の部では、二年生の次の作品でした。


校舎から見える新緑油山


上記の作品は「新緑」のあとで「切レ」が存在していると理解

することもできますが、「新緑」と「油山」とが一体となって

「新緑油山」と読者が受け止めた場合には、「切レ」がなくなる

という心配が私には残ります。


受賞の2作品は、子供らしさが上手く出ていると思います。


(この項おわり)