岡村が加藤に自作の曲を聞かせたことで、2人は意気投合して、デュオを結成することになった
[1]。デュオ名は、
さだまさしの楽曲「パンプキン・パイとシナモン・ティー」(
1979年、アルバム『
夢供養』収録)に登場する喫茶店「安眠(あみん)」から採った
[1][2]。当初は「亜未夢」という漢字を当てていたものの「あくむ」などと誤読されることが多かったため、平仮名表記に変えた(さだが喫茶店の名前にした「安眠」の由来は、
ウガンダの独裁者
イディ・アミンである)。
デビューから活動休止まで(1981年 - 1983年)[ソースを編集]
同年7月25日、「待つわ」で
日本フォノグラムよりレコードデビュー。1982年唯一のミリオンセラー(102万枚)を記録した
[1]。あまりの有名さと分刻みのスケジュールで、大学の授業に出ると教授から「芸能人は来るな」と教室を追い出されたというエピソードもあった。同年12月31日には『
第33回NHK紅白歌合戦』に出場した。(引用)