あみん 待つわ | 「人の痛みがわかり、患者さんを身内の如く」を心がけている歯科医院です。

「人の痛みがわかり、患者さんを身内の如く」を心がけている歯科医院です。

医療の基本がお互いの信頼関係の構築と考えています。
患者さんの素朴な疑問に「傾聴する」姿勢が最も大切と考えています。
「相手を思いやる気持ち」を大切に、
前向きに研鑽を積んでいきますので、皆さん御教授の程、お願い致します。



岡村孝子と加藤晴子は、名古屋市の椙山女学園大学の同級生として知り合った。岡村は愛知県立岡崎北高等学校を卒業して1浪後に入学、加藤は愛知県立小坂井高等学校を卒業後に現役で入学しており、2人は1歳違いである。大学入学時、岡村が履修届の書き方を加藤に尋ねたのが2人の出逢ったきっかけである[1]。
岡村が加藤に自作の曲を聞かせたことで、2人は意気投合して、デュオを結成することになった[1]。デュオ名は、さだまさしの楽曲「パンプキン・パイとシナモン・ティー」(1979年、アルバム『夢供養』収録)に登場する喫茶店「安眠(あみん)」から採った[1][2]。当初は「亜未夢」という漢字を当てていたものの「あくむ」などと誤読されることが多かったため、平仮名表記に変えた(さだが喫茶店の名前にした「安眠」の由来は、ウガンダの独裁者イディ・アミンである)。
デビューから活動休止まで(1981年 - 1983年)[ソースを編集]
1981年秋、あみんは第22回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に「琥珀色の想い出」で出場[1]。本選(全国大会)へは進めなかった[1]が、中部北陸大会で優秀曲賞を受賞した。ちなみに、このとき同じブロックからアラジンの「完全無欠のロックンローラー」が本選に進み、グランプリを獲得した。
1982年春、第23回ポプコンに「待つわ」で出場、5月16日の本選に進出、グランプリを獲得した。
同年7月25日、「待つわ」で日本フォノグラムよりレコードデビュー。1982年唯一のミリオンセラー(102万枚)を記録した[1]。あまりの有名さと分刻みのスケジュールで、大学の授業に出ると教授から「芸能人は来るな」と教室を追い出されたというエピソードもあった。同年12月31日には『第33回NHK紅白歌合戦』に出場した。(引用)